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「画業50周年記念展 竹宮惠子カレイドスコープ」開催! 竹宮惠子さんが振り返るマンガ家人生の足跡

文:小田真琴、写真:岡田晃奈    ©竹宮惠子 『風と木の詩』

 会場に入ると、ベンチに手を掛け、優しく微笑むジルベールが私たちを迎えてくれる。ベンチには座ることができ、もちろん撮影も可能。今回の展示のアイコンともなったこの「2ショットコーナー」は、連日行列ができるほどの人気ぶりだ。

 「今日は先生のトークショーがあるので、出待ちしている方もいらっしゃるんですよ」と、川崎市市民ミュージアムの滝口真央さん。マンガ界広しと言えども、個展でここまでの来場者を集められる作家は数えるほどしかいない。少女マンガ界のレジェンド、竹宮惠子はその数少ない1人であるのだ。

 竹宮の名を日本中に知らしめたのは間違いなく『風と木の詩』だろう。少年たちの同性愛や激しい生き様を描いたこの作品は、女性のみならず男性をも虜にし、マンガ界の伝説的名作となった。

 展示はまず『風と木の詩』の膨大な原画や資料から始まる。会場の熱気は凄まじく、ガラスケースぎりぎりまで顔を近づけて見入る人も多い。妖しくも美しいその絵に、誰もが魅了されているのだ。

 しかし竹宮作品の魅力はそればかりではない。『地球へ…』のような本格SFも、『空がすき!』のような幸福感あふれる作品も、『変奏曲』のような聴覚に訴えかける音楽マンガも、『私を月まで連れてって!』のようなコメディも、同じ作家から紡ぎ出された極上の物語だ。展示を眺めながら、多岐にわたる業績は、まさに天才の所業だと改めて思う。

 今回はそんな竹宮惠子さんに貴重なお話を伺うことができた。『風と木の詩』のこと、マンガの未来、教育者としてのメッセージなど、およそ1万字のロングインタビューをお届けする。

『風と木の詩』のジルベールとの2ショットコーナー。

「『風と木の詩』からは逃げられないわよ!」と言われました

──今回の展示は「カレイドスコープ」の名にふさわしく、竹宮さんの華やかで多彩な業績を存分に辿ることができる構成です。

 これまでの個展の集大成と位置づけています。今まで読者のみなさんとやりとりしてきて、リクエストの多かったところをいかにして膨らませるかを、スタッフのあいだで話し合ってきました。北九州から始まって、青森、徳島、新潟とやってきましたが、会場によって広さも展示の方法も違うので、いちいちおもしろいんですよね。青森ではジルベールのベンチを森の中に設置しました。雨の日は行けないんですけど(笑)。

──あのベンチもついに首都圏へやってきました。

 はい(笑)。しばらくぶりの首都圏での個展です。ここ(川崎市市民ミュージアム)ではとても優雅に展示していただいてありがたいです。

──会場に入るとすぐに『風と木の詩』コーナー。中でも冒頭のシーンが描かれたクロッキー帳が圧巻でした。あれが描かれたのが1971年。『風と木の詩』の連載が開始される、なんと5年も前です。そのころからすでに冒頭の50ページは完成されていたのですね。

 そうです。まったく変える気はなかったですね。そこからしか連載はしないと決めていたんです。

──連載開始から40年以上がたちましたが、『風と木の詩』の魅力はまったく色褪せることなく、今なお新たな読者を獲得しています。

 中島梓さんがまだご存命のころに「あなたは『風と木の詩』からは逃げられないわよ!」と言われたことがあります。そのころはおそらく『>5:00PM REVOLUTION』を描いていて、まったく毛色の異なる方向へ行っていたものですから、そういうふうにおっしゃったのだと思うのですが、それはたしかにそうかもしれないなと思いましたね(笑)。

──その後に続編や近い世界観の作品を描かなかったのはなぜですか?

 『風と木の詩』の世界が嫌いになったわけでもなんでもなくて、ただあまりにもそれに支配されるのが嫌で、ちょっと離れてみたかったんですよね。嫌がってるわけではないんですけど、「そういうふうに見えるのかな」とは思いました。

うわべだけの幸せとか明るさに疑問を感じていました

──『風と木の詩』の影響力をご自身で実感なさったのはいつごろでしたか?

 やっぱりBL(ボーイズラブ)というものが定着し始めた1990年代ごろですかね。それがひとつのジャンルになるなんて考えたこともありませんでした。マイナーなものをメジャーにするつもりではやっていましたが。

──必ず受け入れられると信じていたそうですね。

 読者を説得しようという気持ちがとても強かったんです。自分自身がいいと思うものをわかってもらわなくてはならない、というほとんど使命感のような…なんの使命感なのでしょうか(笑)。ここでなんとかしないとマンガ家になった意味がない、とは思っていました。私がおもしろいと思うことを伝えたかったんです。

──今やBLは200億円市場。その後の世代に大きな影響を及ぼしました。

 影響を及ぼしたいという気持ちがあったわけではないのです。どうすれば「少女」たちに受け容れられやすいのかを、一生懸命考えていました。できるだけ平易な言葉で、難しく言わないようにすることを心がけましたし、マンガのエンタテインメント性はとても大事なものなので、独りよがりだけは避けるようにしました。ファンレターも全部読んで、わかりづらいところがなかったかをいちいち確かめていましたね。

──何度読み返してみてもおもしろいのは、さまざまな視点から読める豊かな物語世界があるからだと思います。どのキャラクターからも、その人生が透けて見えるようです。

 それはもうキャラクター作りの基本ですよね。作者はすぐその人に成り代われるくらいじゃないとマンガは描けません。たとえ端役であっても、その人特有の言い回しや立ち回り方はありますし、必ず守るべきです。演劇などでは当然のことなんじゃないでしょうか。

──竹宮さんは当時まだ20代の後半。どうやってその深い洞察力を身につけられたのでしょうか。

 子どものころから、親だったらこう見る、子どもだったらこう見る、という客観的なものの見方を常にしていました。小学生時代は先生方の人となりを観察するのが好きで、だから未だに一人一人の性格をよく覚えています。そのころから、たとえば絵日記の絵ですら俯瞰の構図が多くて、全体を捉えたいという気持ちが強かったんだと思います。

──竹宮作品の透徹した客観性、突き放したような物語との距離感はそんなところに由来していたのですね。

 キャラクターに入れ込みたい人には「救いがない!」ってよく言われます(笑)。

『風と木の詩』クロッキーノート ©竹宮惠子

──いわゆる「悪人」キャラの動機も非常に丁寧に描かれているのが印象的です。

 昔のマンガは悪い人間は悪いとわかりやすく描いていましたが、悪い人にも悪いことをする理由があるんですよね。

──明るい物語が好まれる少女マンガの世界にあって、悪の魅力を前面に押し出した『風と木の詩』はやはり異色です。

 うわべだけの幸せとか明るさに疑問を感じていました。とにかくまず真実を知らないとなにも始まらないと思っていて。どれくらい悪というものが深いのか、どうすればそれを凌駕できるのか。人の本質を知らないままではリアリティがありません。

──ネガティブな面を含めてこその、人の真実であると。

 そうですね。それが深く理解されていればいるほど、「抵抗」というものがしっかり描けるんです。私の生き方において、抵抗するということにとても重きをおいている感じはします。世界は自由であるべきだと考えると、自由のためには沢山の問題や障害があることも当然のように見えてきます。その時に自分はどうするのか。抵抗できるところはしっかり抵抗し、時を待つ必要があれば待つ。待ちながら問題の存在や障害のことは決して忘れない。思いもかけない社会の変化が、時には問題をかき消してくれることもあります。強い発言をすることもあるけれど、それが無視されたとしても傷つかない。世界がそれを必要としていないだけだと思えるから。そういう長く静かな「抵抗」が私流の方法です。

──当時の周囲の反応はいかがでしたか?

 「死ぬ話ばかりですね」とよく言われました(笑)。明るい話も書けなくはないんですよ。実はハッピーな物語が好きなんです。「クリスマス・ストーリー」と呼ばれるジャンルの古いアメリカ映画とか。中学生のころはミュージカルが好きで、その理由もミュージカルには悪い話がほとんどないからでしたね。

──しかし竹宮さんには『私を月まで連れてって!』のようなハッピーな名作もあります。

 描いていてラクで楽しいのはやっぱりコメディなのですが、それを自分の売りにはしてないので、評価してくれる人は珍しいと思います。

──『風と木の詩』に世間からの反発はありませんでしたか?

 なんらかの苦情は(版元である)小学館へ来ていたとは思うんですけど、「この作品は編集部の決断で連載したのですから、最後まで守ります。安心して執筆に専念してください」と言われていましたので、苦情の内容までは教えてもらっていません。私のほうも野放図になんでも描いていいとは思っていなくて、時代に合わせて「ここまでなら描けるかな」と気は遣っていました。

──どのあたりを基準にしていましたか。

 絶対に下品にはしないと決めていました。 人のあまりよろしくない行動を描いているわけですが、それを綺麗に見せたいということではないんですよ。悪いことは悪いと理解してほしいんですけど、最低限上品にしようとは心がけました。

──竹宮さんにとって「下品」とは?

 「開けっぴろげすぎる表現」ですかね。今だったらそれも可能なのかもしれませんが、それは自分の語りたいものではありません。『風と木の詩』はポルノだとよく言われましたけど、でも自分ではそうは思っていません。ポルノっていうのはそのこと自体を楽しむスタンスですが、私はそうではなくて別のことが語りたかった。連載も後半になるとベッドシーンは少なくなりました。最初はショッキングなシーンを描く必要もありましたけど、ずっと必要なわけではないので。

『風と木の詩』より「午睡のKISS」 ©竹宮惠子

自由は本質、求めるというより「そうあるべき」

──既存の価値観やセオリーのようなものに抵抗してきたのが「竹宮惠子」という作家の在りようであるように思います。その強いモチベーションはいったいどこから?

 その質問には本当に困ってしまいますね。私は抵抗していなかったことがなかったから(笑)。常にそう思っていますし、それは今でもまったく変わりありません。さまざまな事象の中には、まだ誰も気づいていない、まずいことがあるんじゃないか、と考える感覚は常に持っています。事象っていうのはよそ行きの顔でやってくるんですけど、裏にはいろいろなことがあります。そういう考え方が常になっています。

──先ほどもお話にあった生来の強い客観性が影響していますか?

 そうですね。常に物事の裏側を見る性格でした。裏があることが許せないとか、大嫌いだとか、恨むだとかではないんですね。人間というのはそうするものだと思っているんです。

──だから竹宮さんの作品にはルサンチマンがないのですね。

 ないですね。感覚としての観察力というか、自然な情動というか…。人間っていうのはそういうものなんだよ、こういうところでちらっと悪い部分を見せるものなんだよと、子どもの読者にも教えてあげたいんです。

──自主規制に対する抵抗感のようなものはありましたか?

 『風と木の詩』だけでなく、ほかの作品でもけっこうありました。たとえばある作品で被差別的存在の河原者に石を投げるシーンがあったのですが、編集部からこの表現はまずいと指摘されたことがあります。私が「いや、そのシーンは絶対に必要だから描きます」と言うと、「ではせめて石の数を減らしてくれ」と返されまして、いや、そういう問題ではないと思うんですけどって(笑)。マンガもさまざまなものを表現するようになってきましたから、お互いに神経を尖らせていたのでしょう。自由度も上がったぶん、微妙な表現があったのかもしれません。

──自由を求めていたのでしょうか?

 自由は本質なので、求めるというより「そうあるべき」だと思っています。ただし規制する側にもいろいろな都合があるのだということもわかっています。

──自由は実現しましたか?

 私はそういうふうに思っています。もちろん今でも規制がないわけではないのですが、自分にとっての折り合いのつく場所というのがあって、そこに落ち着いていればあまり文句はないですね。

『地球へ…』より「星のうまれるところ」 ©竹宮惠子

本当に感動している瞬間には、言葉なんて出てこないんです

──新しいことをしようとすると、そこには軋轢が生じたこともあったかと思います。

 たとえば『空がすき!』を描くときに、ミュージカルなんてマンガで描いてどうするんだと言われました。そのころの私は「動き」を描くことに執着していたので、ミュージカルマンガならば、普通に暮らしていたのでは見られない肢体だとか、さまざまな動きを表現できるはずだと考えたんです。

──たしかに竹宮さんの絵は動きがダイナミックですよね。

 それを描けるということが自分の特長だと思っていたものですから、キャラクターには大きな動きをさせたいのですが、踊り以外ではなかなか表現できないんですよね。

──もうひとつの代表作『地球へ…』は少年誌での連載でしたが、そうした特長が生きたのでしょうか。

 デビュー当初、私が少年マンガに行かなかったのは、自分の線の弱さが理由でした。このまま連載してもダメだろうと考えたんですよね。『地球へ…』のころになると少女マンガ家も少年マンガを描くようになってましたので、だったら行けるかもしれないなと思ってやりました。

──今日ではますます少年マンガも少女マンガ化しています。

 少年マンガの世界でも繊細なものを描くようになってきましたよね。お互いにだんだん近寄ってきて、境界線がなくなりつつあります。

──展示で拝見した原画で印象的だったのが、ジルベールが着ていた服の布の質感でした。布地の手触りや重みがひと目でわかるのです。感動しました。

 布質の描き分けは水野英子先生が描くドレスなどから理解していました。実は私の母が洋裁をやっていまして、さまざまな布を扱っていたものですから、それはよく見ていましたね。重い生地、軽い生地…どうやって描くのかは楽しみでした。

──そして竹宮さんといえば『変奏曲』などで見せる音楽の表現も特徴的です。

 音楽を聞いているだけのシーンで、感動してるということをセリフを使わずにどうやって表現するかはよく考えました。そこでぺらぺらと喋ったりはしないでしょう。本当に感動している瞬間には、言葉なんて出てこないんです。せめて内声で語るくらいしかできませんよね。

──今でこそ演奏シーンに紙幅を費やすマンガは多くなりましたが、『変奏曲』のころは演奏シーンでセリフもなしに数ページも使うのは画期的だったのでは。

 エドアルド・ソルティのバイオリンを聞いてホルバート・メチェックが打ちのめされるシーンでは2ページまるまる使いました。人の魂を揺さぶる状態を絵にするとどうなるんだろうと一生懸命考えて、さまざまな線や模様を使って表現したんです。

『変奏曲シリーズ』より「秋の午後・ノクターン」 ©竹宮惠子

持てる時間はできる限りマンガに回していました

──そうした表現を考えるうえでも、さまざまな知識や教養が必要とされます。お忙しい中でどのように身につけていったのでしょうか?

 そんなにたくさん聞いたり読んだりしているわけではないのですが、たとえばレコードを鑑賞するときには、自分がそれをどれくらい理解できたのかを重視していました。同じ曲を別の人が演奏したものとの質の違いなどを理解できないといけないと。

──数よりも質ですね。

 私にとってはそのとき1回しかチャンスがないと思って聞くので、徹底して考えるんですよね。

──気合いが違いますね。

 持てる時間はできる限りマンガに回していたので、映画を見に行くにしても1回がせいぜいだったんですよ。本当に映画好きな人なら何度でも行くのでしょうけど、それは私にはできないんです。

──『風と木の詩』を描く4年前、1972年には盟友である増山法恵さん、萩尾望都さん、山岸凉子さんと約1か月半に渡るヨーロッパ旅行を敢行します。

 やってみるに如くことはないということでやってみたんですけどね(笑)。22歳のころでした。私はヨーロッパを、『風と木の詩』を描きたいと思っているわけですから、できるだけ早く行って勉強しないとダメだろうと。わからないことだらけだし、資料がそんなに揃っていたわけではないですし。

──24年組のマンガ家の方たちが描くヨーロッパはそれまでの少女マンガとはまったく異なりました。

 実際のものを見ているわけですから、やはり違いますよね。たとえば山岸さんのマンガは建物の大きさが違いました。山岸さん、当時は『アラベスク』の1回目か2回目の原稿が入ったばかりで大忙し。だから身支度も全部妹さんに任せて「妹が買った服だから似合うかどうかもわからない」とか言っていましたね(笑)。

──萩尾さんは『ポーの一族』のころでしょうか。

 旅行中にも描いていましたね。「メリーベルと銀のばら」あたりを描いていたような記憶があります。

──竹宮さんは?

 『空がすき!』の連載を終えたころですかね。第2部を描くとか描かないとかの話があるころでした。

──『空がすき!』はパリが舞台。竹宮さんにとっては答え合わせのような感覚もあったのでしょうか?

 パリの資料はけっこう集めていたので、それを実際に見たいという気持ちはありました。できるだけ下町から上流階級が住むような場所まで見たかったんですよね。一般的なところには全然行きたくなくて、観光とかどうでもいいでしょって思っていました。でも増山さんが行きたがるので行きました(笑)。

──現地の人から見てもそんな観光客は珍しかったのでは。

 そうですね。なんか子どもがウロウロしてるみたいな(笑)。為替レートも1ドル300円くらいでしたし、海外旅行をする日本人自体が稀でした。

──ものすごい先行投資でしたね。

 結果的にそうなりましたね(笑)。

──そこまでしてしまうエネルギーの源泉はいったいどこにあったのでしょう。

 当時はなにかを変えたい機運みたいなのが若者全体にあって、決して将来が安泰なわけではなく、人数も多いし、競争も激しいということがわかっていたので、自助努力しなきゃだめだという緊張感みたいなものは持っていました。なにか新しいことを見つけないと、って。

──資料集めはどのようにするのでしょう?

 ピンとくる写真が載ってる本をとにかく買い求めました。本屋さんに行っても文字は読めないんですが、ピンとくる写真や絵を探して、買ったものを全部船便で送るんです。だからマイナーな洋書が今でもうちにはたくさんあります。特に鉄道に関する本がたくさん。列車はもともと馬車の形から作られたっていう歴史的事実も、絵をずーっと見てるうちにわかりました。そうやって勉強したんです。

150点の展示品はどれも見応えあり。じっくり時間をかけて鑑賞したい。

『BEASTARS』はすごくおもしろいなと思いました

──現在はマンガ家であると同時に教育者でもあります。

 最新作といってもずいぶん前なんですけど(笑)、『時を往く馬』は大学に教えに行くようになってからの作品で、学生のための短編のお手本みたいな感じで描きました。

──学生から「竹宮先生たちにすべてやられてしまって新しいことなんてできない…」というような恨み節を聞くことはありますか?

 学生たちは「もう新しいものなんてなにも残っていない」と言うんですよ。でもたとえば同じCMを4コママンガにして描いてもらうと、やっぱりみんな違う。選ぶコマとか角度が全然違うんですよね。そこに自分の関心を付け加えればストーリーが同じでもあなただけのものになりますから、ということをよく説いています。

──革命は今でも起こし得ると。

 そうですね。まったく同じようなテーマでも、視点が変わるだけで全然違うものになるので、それはわかってもらいたいなと思います。

──最近のマンガはお読みになりますか?

 わりと読んでますよ。『BEASTARS』と『チーズ・イン・ザ・トラップ』がよかったですね。『BEASTARS』は今の時代にとても合っていると感じました。こんな設定なかなか思いつきませんよね。最初のページから衝撃があって、すごくおもしろいなと思いました。

──少女マンガはいかがですか?

 『チーズ・イン・ザ・トラップ』は少女マンガと言えませんかね。さいとうちほさんの『とりかへばや』が、現代風なところと、ちゃんと時代考証しているところと、うまく織り交ぜてあっておもしろかったです。くらもちふさこさんもよく読んでいますよ。最近の『花に染む』もよかったです。

──くらもちさんとはなにか御縁があるのでしょうか?

 2017年の手塚治虫文化賞の席でお隣だったんですよ。初めてお話しさせていただきました。実は『>5:00PM REVOLUTION』を描き始めたころ、くらもちさんの作品を読んで一生懸命勉強してたんです(笑)。くらもちさんの色の塗り方が不思議で、真似たりしていました。『おしゃべり階段』とかでしたかね。

──雑誌の休刊が相次ぐ一方で、電子書籍の売り上げが急増し、ウェブやアプリでの配信も盛んになるなど、マンガ業界が激変しています。

 デジタルが入ってくること自体は2000年くらいから予測はされていましたし、それがもう不可逆であることもわかっていましたが、それがマンガにとってよいことなのかどうか、まだ答えは出ていないと思います。私はコンピュータは嫌いではありませんよ。『地球へ…』を描いていてコンピューターが嫌いとは言えないですよね(笑)。

棒人間だけのマンガを描いてみたいんです

──2016年には突如Twitterを始めてファンを驚かせました。

 私は出版社とは契約していないので、なかなか宣伝してもらえないんですよ。だから自分でやっていかないと難しいのかなと、マネージャーから提案してもらって始めました。

──テクノロジーに対して抵抗感がないんですね。

 そうですね。日本ではTwitterがSNSの中でもっとも説得力があるということなので、Twitterを選びました。

──ファンの方からたくさんのリプライが寄せられているのでは。

 それはあります。お返事できることはしていますよ。表現に関する質問には、かなり詳しい説明をしたりしています。

──すごい時代ですね…! 竹宮さんの今後のご予定は?

 川崎での展示が終わりましたら、この「カレイドスコープ展」を、京都国際マンガミュージアムで、私自身の大学卒業記念も兼ねて(笑)、「卒業展」としてやらせていただきます([注]京都精華大学を2020年3月31日に退任)。ここ(川崎)みたいに広々と展示はできないんですけど、もう建物が素晴らしいし、私にとっては庭のような存在でもあるので、とても楽しみです。

──今回の展示は竹宮さんご自身も楽しんでいらっしゃるように感じます。

 京都では今までみなさんがあのベンチで撮られてきたジルベールやダンとの2ショット写真のコンテストを開催する予定です(笑)。私にとって個展は、ファンとの交流の場でもありますから出来るだけ一緒に楽しもうと思っています。

──マンガの新作のご予定は?

 特に今のところは予定していないんですけど、こうの史代さんの『ギガタウン 漫符図譜』に近いことを私も考えていて、そういう本を描きたいと思ってはいるんです。

──マンガの記号論でしょうか?

 記号というか、棒人間だけのマンガでいかに想像させるかを試してみたいんです。あるいはネットでいろいろ発表してみたいですね。

──それはおもしろそうですね!

 ほかにもオノマトペの発達史とか、マンガの言葉、たとえば「ぎゃー」と叫ぶシーンがどうやって発達してきたのかを見せたくて、一覧表を作ったりしてるんです。それらをちゃんと仕上げて、みなさんに見てもらいたいと思っているんですけど、説明を書くのがめんどうでなかなか進まない(笑)。

──『少年の名はジルベール』の続編もぜひ読みたいです。

 続編の話も実はあるんですけどね。なかなかまとめるのも大変で(笑)。話としてはたくさんとってはあるんですけど。

──いつか朝ドラに!

 ふふふ(笑)。それは相当、恥ずかしいので…。

──「好書好日」の読者のみなさんへひと言。

 若い人にも読んでいただいている一方で、最近ではスペインとイタリアで『風と木の詩』が刊行されて、海外の方にも理解されているんだなと実感しています。しかもまったく認識の違いはないようなので、ほんとにいい時代、すごくおもしろい時代になったなと思っています。以前の自分は外国人は外国人だという感覚を持ってましたが、マンガが浸透していくに従って、外国人であろうとも日本人と変わらないのだなと考えるようになりました。若い人や、それこそ海外の人にとっても、最近発表されたものも、昔に出たものも、機会としては変わりなく、過去のものだという感覚なしに見てもらえるのが有り難いですね。

──マンガの未来は明るいでしょうか。

 少なくとも必要とされているので、なくなりはしないでしょう。それが50万部売れないといけないとなると、話は別になるんですけど。自分の内声みたいなものを表現するにはマンガしかないんですよ。だから棒人間でいいから描いてほしいと思ってます。

──マンガは言葉なのですね。

 そうですね。絵の助けを借りれば描けることがあるはずです。

──マンガの魅力とはなんなのでしょう。

 個人の秘密を明かしているところです。描く人は知らずと自分を出しちゃってるんです。それがほかの人にとっても価値があるということだと思っています。

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