
――山根さんはNHKアナウンサーとして活躍後、現在は「朗読・読み語り」を全国に広める活動を通じ、子どもに言葉の大切さを説いています。なぜ、こうした活動を始めたのですか。
アナウンサーを長年続けてきて、定年退職を前に、現役時代にいろいろ感じたことを実現しようと考えていたとき、「子どもの言葉を育てること」に着目しました。子どもたちのなかには、一瞬の激情に駆られ、思いがけず、とんでもない事件を引き起こしてしまうケースもあります。自分も周りも不幸に陥れてしまう事件が起こるのを、(報道に関わるなかで)目のあたりにしてきました。内にあふれる思いを言葉にできず、まず手が出てしまう。子どもたちが、自分の気持ちを言葉にする力を育てないと、子どもたち自身が自分で幸せな人生を進んでいけない。そのためには「子どもの言葉を育てること」が大切だと思うようになりました。
――国語の授業で学ぶ言葉とは、また異なるのですね。
学校における言葉の教育は、まず「パブリックスピーキング」ですよね。スピーチやリポート。みんなの前で堂々と喋る。グローバル化が進むなか、堂々と語る力はもちろん重要ですが、それ以前にもっと大切なのは、毎日、日々の暮らしの中で隣の人と心を通わせるための「話し言葉」。これを豊かに育てない限り、自分の心を言葉にしていくのは難しいと思うのです。
家庭環境も昔とはまったく異なっています。周囲の人と良好な関係を結ぶためには、言葉の力が必要だけれど、今はどこも核家族で、きょうだいは多くても2人。ひとりっ子の家庭も多いです。おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住むことも少なく、言葉の育つ土壌としては、昔とはまったく異なります。
――日常の言葉を育てるために、どんなことが大切でしょうか。
まずは「聞く」ことです。他の人が喋る音声を聞き、身につけていく。多様な大人の、多様な言葉を聞ける「場」をつくり、子どもたちの日常の話し言葉を育てたいのです。そのために、朗読を手がかりに、地域の人の中から「私も朗読やりたい」「私もやりたい」っていう人たちに集まってもらい、子どもたちに読み、聞いてもらう。そんな「場」をつくることで、いろんな人のいろんな言葉を、子どもたちが聞くようになれると思っています。
――たしかに、日常の話し言葉の蓄積が不十分のまま、「パブリックスピーチ」の能力ばかり求められる現状があるのかも知れません。
「頭でっかち」ですよね。ディベートなど、相手をやっつける言葉は覚えても、いま悲しんでいる人をどうやって温かい心にしていくのか、というような、人間の最も学ばなければならない、まず身につけなければならない原点が身についていないと感じます。
――心を通い合わせる体験が薄いまま、知識ばかり詰め込んでいるのかも知れません。
そうなんですよ。言葉が通い合ったときにどんなに気持ち良いか。言葉によって心が通い合う体験を、子どもたちが知っておくと、大人になってから他人に対する信頼感(の大小)が変わってくると思います。
――しかも地域を巻き込み、いろいろな大人の声を聞くのが大切なのですね。
言葉は人間の関係によっても変わっていきます。この人に対しては敬語を使うけれど、この人に対しては「タメ語」を使う、とかですね。人間関係と言葉がセットになっているということは、学校や家庭ではなく、地域社会のなかで、いろんな大人たちの会話を聞くことによって身に着きます。日本社会の成り立ち、仕組みを言葉から学んでいくのです。

――NHKにお勤めの頃から、朗読の重要性に着目していたのですか。
いえ、私たちの時代は、アナウンサーが朗読する機会って、あまりありませんでした。定年退職後、「ことばの杜」という団体を仲間と立ち上げ、子どもの言葉を育てることを考え始めてから、朗読について、教育的な効果を学んでいきました。小学校の教育現場を歩き、いろんな講義も受け、そこで気づいたのは、「やはり指導者が大事」ということです。熱意のある先生で、信念を持ち、子どもと向き合っている先生の教室では、子どもたちも生き生きしている。子どもに接するときの大人の態度が大事だと感じました。
――朗読するにあたって、どんなことに気を配るのでしょうか。
朗読って、「良い声で、トチらずに、綺麗に読む」ことが良し、とされる傾向があるのですが、朗読の本質は、本に書いている作者が書いた意図をくみ取ることだと思います。そこに作者の心があるはずです。その意図を読み取れるまで、「黙読100回」って言っているのですが、実際に100回読むか否かは別として、作者の心が本当に読めるかどうかです。
たとえば芥川龍之介の『蜘蛛の糸』だとしたら、そこに芥川がどんな思いを込めたのか。正解はわかりませんけれども、「ああでもない、こうでもない」「こうじゃないか、ああじゃないか」と考えると、自分なりの解釈が生まれてくるんです。
そして、そのとき、自分の心が動く。その心を、聞く人の心に届けるんです。聞く人の頭や耳に届けるのではなく、心に届ける。自分の心を通して届ける。ベートーベンの言葉で「心から出で、願わくば再び、心へと至らん(入らん)ことを」というのがありますが、私、それと同じだと思うんです。
――自分の心を相手の心に届けるのですね。届けるために、どうすれば効果的でしょうか。
一番伝わりやすい方法は、ふだんの話し言葉なんですよ。私たちがよく例にあげる一文は、「緊急の措置をとる必要があると言っています」。これを、「(かしこまった口調で)緊急の、措置を、とる、必要が、あると、言っています」といったように、切って読むことがあります。けれども、これを、相手に話しかけるように言ってみると、「(前よりも滑らかな口調で)ああ、それは緊急の措置をとる必要があるわね~」ってイントネーションになりますよね。それが、日本語の音のしくみとしては、一番伝わる。人の心に伝わりやすい形なんですよ。
NHKの「日本語センター」というところで、先輩たちが専門家たちの知恵を借りながら、「書かれた文章を声で伝えるとき、どういう喋り方が一番伝わるか」という研究を重ねたのち、たどり着いた結果が、「話し言葉のイントネーション」が最も大切だということ。現在の日本語の話し言葉の奥に、ある音の法則が潜んでいることを発見したんです。
――ある音の法則とは?
それが私の一番核になる考え方なのですが、話し言葉というのは、その時代、その時代に合わせて一番伝わりやすい話し方になっている。平安の頃は、「春はあけぼの」を「ぱるはあけほの」って言ったという説もあるように、その時代の声の発し方、話し方があったはず。今、令和の時代に私たちの使う話し言葉は、この形が一番伝えやすい。わかりやすい。こういう形にたどり着いたのです。
――収斂され、現代の「話し言葉」ができているわけですね。
そのしくみをたどってみると、一つの意味の塊は、だいたい一息で喋っています。音は「への字型イントネーション」。高いところから、だんだん下がっていく。さきほどの「緊急の措置をとる必要があると言っています」という一文も、「緊急の」からだんだん下がっていきます。それを、最初から低いところから出て「緊急の」と始めてしまうと、「とる、必要が、あるって言っています」って(超低音で、とぎれとぎれに)言わなければならなくなる。そうすると、意味が解体し、バラバラになって、聞いている人に意味がまとまって届かない。
――意味の一つのまとまりとして、一息で、上から下っていく。たしかに。
一つの意味のまとまりとして聞いていただくためには、一つの息の中で、なだらかに下る。これが基本形です。もちろん変形はあるけれども、話すときのイントネーション、これを大事にして読んでいく。内容が自分の頭の中に入って、自分のものになっているからこそ話せるんですよ。そのとき、一つの息で喋れる。その文章を自分の中に入れ、自分のものにして語るとき、そのイントネーションになるんです。
――自分の心からのものとして読むからこそ、話し言葉で読めるのですね。
なかなか説明が難しいのですが、私はイントネーションが一番大切だと思っているんです。たとえば国会中継をラジオで聞いていてごらんなさいませ。原稿を読んでいる人と、自分の言葉で喋っている人、明らかにわかるんです。「あ、この人読んでいる」。なんでわかると思いますか。それは、イントネーションが違うんです。自分の頭の中に入っていないことを、読みながら言うと、イントネーションが狂う。自分が思っていることを喋るときは、イントネーションが狂うことはないんです。だから、文章を理解して読めば、正しいイントネーションで読める。
もちろん、発声や発音、滑舌も大切だけれど、本に書いてあることを、心に届けるとき、最も大事なのは心を通すことです。「作品を十分理解し、この思いをあなたに届けます」。そのためにイントネーションが大事です。
――たとえどんなに美しい声でも、棒読みで読むよりは、多少ガラガラ声でも、自分の心を通し、話すように、自分のものとして伝えることの方が、受け手の心に入ってくるのですね。
いや、もうなんか、ややこしい話ですみません。
――いえ、とてもわかりやすいです。勉強になります。
だから、私の朗読指導の大半は、「正しいイントネーションで」。それが1回身についたら、その人はずっとできるようになります。私はよく「白いご飯を炊くように」と言うのですが、私たちがNHKに入局して最初に教えられたことは「節をつけるな、歌うな、まっすぐ読め」。どうしても節をつけて、気持ちよく歌うように読む人がいるのね。朗読歴の長い人ほど癖がついている。そうではなくて、基本は、ふだん話すように。癖がなく、歌わず、まっすぐ。まったく白いご飯なのね。
でも、「私はもうちょっと、ここを膨らませたい、どうしてもこう読みたい」っていう思いがあれば、それは自分の演出として。そのあとはいくらでも。チャーハンにしても、親子丼にしても、カレーにしても、何でもいいんですよ(笑)。
――味付けはご自由に。だけど、発音の基本の「き」は把握すべきだ、と。
基本の「き」は、これだけ身につけてくれれば。あとは、自分で演出してくださいっていう。

――朗読の上で、山根さんは「構成表を作る」という作業をされている、とうかがいました。
構成表は、ちょっと複雑な作品を読むとき、たとえば私が太宰治の『魚服記』という作品を読むとき、これは「入れ子構造」になったような複雑な構成なんですね。全体がどうなっていて、どういう組み立てで、自分はこの作品の、今、どの部分を読んでいるのかを意識しながら読むことによって、「この部分を強調しなければ」「だから、その手前はなだらかに」など、計算ができるんです。長い番組を担当するときも、構成表を作るんですよね。
1枚の紙に、組み立てを書いておくと、今、自分がどこの司会をしていて、この後、この要素を入れないといけないから、今どうするべきかが、すぐわかる。構成表は貴重なんです。他のアナウンサーの多くの人たちも、たぶんやっているのでは。放送の現場で学んだことを朗読に生かしている感じです。
――1枚の紙にするんですね。
ひと目で全体の組み立てがわかるようにして。
――まるで交響曲みたいですね。心の持ちようの強弱、みたいなものもありますよね。
とくに朗読ではそうですね。
――朗読する本はどのように選べばいいでしょうか。
選ぶうえで、説教くさいのはあんまり……。ただ、「子どもに読ませるのはどうか」と思う人もいるかもしれないけど、生とか死とか、そういうことを、子どもの心にも感じておいてほしい。東日本大震災の後、東京で子どもたちに本を読む機会があったのですが、『さよならをいえるまで』(岩崎書店)っていう絵本を選んだのね。
――どのような内容なのでしょうか。
少年ハリーの飼っていた犬が死んじゃうのね、交通事故で。一番の友達だった犬のジャンピーが突然死に、それをハリーは受け入れられない。ジャンピーに「さよなら」を言えない。
――死をまだ自分で受け入れられない。
受け入れられない。ジャンピーという犬が夜、夢に出てくる。夢だかうつつだかわかんない。夢の中で一緒に遊んで、1晩目、2晩目……、だんだんジャンピーが弱っていく。そして最後の日には、うずくまって冷たくなりつつあるから、ジャンピーをベッドに連れていって、おでことおでこを合わせて、それで、ようやく、ジャンピーに「さよなら」って言えるようになる。すごくね、もう私、自分の飼っていた猫が死んだことを思い出し、感動した本なんです。「そういう思いをしている子たちがいるんだよ」っていうことを、みんなに知ってほしいのよね。
子どもは、言葉だけで想像を膨らませていくわけでしょう。人間にとって一番大事なのは、感じる心。感性だと思います。感じる心があればこそ、人に対する思いやりも生まれるし、より良い世の中にしていきたい思いも生まれてくる。感受性や想像力を育てていくのも、朗読の力だと思うんですよね。
――ほんとうに素敵な本ですね。
泣いちゃいますね。それを私の朗読の本のリストに入れているのだけれど、この悲しみを感じつつも、悲しみに溺れずに、人に伝える読み方を学ぶためのテキストとしています。
――「朗読指導者養成講座」では、後進の人たちを育成しています。
先ほどお話しした、日本語の話し言葉の奥に潜む、日本語の「音の法則」と、あとは人間の生理ね。呼吸はだいたい3秒から6秒で、話し言葉はそのぐらいで、一つの意味をまとめています。でも、書きことばの長い文章になったとき、どう読むか。なるべく長い息が使えるようにはするけれど、それが無理なときには、どこが意味の塊かを読みとって、それを一つにまとめて読むようにする。そういう「論」を、ある程度教えるんですよね。
そうすると、講座を受講した人たちは全員、さらに後進の人たちを指導できるようになるんです。「論」がなかったら、ただの感性の職人仕事。「見て覚えなさい」になってしまうけれど、そうではなくて、「耳を鍛える」。だから必ず、みんな録音しているんです。読んで、「このイントネーションは、話し言葉のイントネーションと同じか?」「これは、ただ文字を音声化して読んでいるだけでは?」。耳を鍛えればすぐわかるようになります。耳を鍛えて「論」を持つのです。
受講生は全国にいますので、それぞれの地域で、彼らが核になって、朗読を学びたい人たちに伝えています。子どもたちに朗読を聞いてもらって、子どもたちにとっても、朗読する人にとっても、「ああ、ここは私の居場所」と思える場を作ってほしいわけです。

――朗読する人に求められることは。
地域で朗読指導する人には、リーダーシップを持ってほしい。まず一人ひとりの言い分をちゃんと聞ける人。誰に対しても公平な人で、「場を楽しくしよう」という気持ちがある人。「ここ、また行きたい」と思ってもらえるような場をつくれる人。いつも言うのですが、「すずめの学校じゃないのよ、めだかの学校よ」って。「むちを振り振りチイパッパ」ではなく、「誰が生徒か先生か」って(笑)。私自身もそれを心がけているんです。
――上意下達ではなく、場がどんどん広がっていくのが理想型ですね。子どもたち自身に朗読をしてもらうこともあるのですか。
あります。たとえば、新美南吉の故郷の愛知県半田市で2013年、「みんなでごんぎつねプロジェクト」という活動をやりました。地域の大人と子どもたちが共になって朗読するプロジェクトで、市内の小学校から集まった子どもたちと共に、半年かけて、みんなで『ごんぎつね』を読むんです。最後に大きなホールで、みんなで発表しました。最初に、意味のわからない言葉をあげ、みんなで調べていきます。
4年生の子が来て、口をとがらせながら、「なんだこれ、ただ意味を調べているだけじゃないか!」。「あのね、朗読っていうのは、音読とは違うのよ。音読は、そこに書いてあることを声にすればいいけれど、朗読は、聞いている人の耳じゃなくて、心に届けるんだよ。そのためには、自分が全部わかってなきゃ」って言ったら、「ふうん……」。わかったのかわからないのか(笑)。
――そうすると、子どもたちは最後の朗読会では、話し言葉で『ごんぎつね』を読むのですか。
はい。子どもたちに「ふだん話しているように読んで」って言うけれど、とっても難しい。最初は、何を言われたのかわからないよね(笑)。でもだんだんわかってきて、何とかわかってくるみたいです。
――小学校特有の読み方ってありますよね。
そうなんです。「小学校読み」は、読点で1拍、句点で2拍。「今日、うちの庭に、アサガオが咲きました」。「そうじゃないんだ」と。「ちょっとリポーターみたいに、私に対して話してみて」。すると、「きょうね、うちの庭にね、アサガオが咲いたの」。イントネーションが変わってくるんです。
――話し言葉こそが相手に最も伝わるツール。今回は新たな視点を持つことができました。
半田市のような、地域づくりと子どもの言葉を育てることを組み合わせた活動を、今後も各地に広めていこうと思っています。今の子どもたちに必要だと思うのは、日々の暮らしの中で「隣の人と心を通わせる」ための言葉。どんなタイミングで、どんな言葉を使えば、人を傷つけずに、優しい気持ちで良い関係が結べるか。周りの人たちと良い関係を築く言葉の力を、朗読を通じてこれからも育んでいきたいと思います。
――新生活に飛び込む人も多い春、朗読におすすめの本は。
そうですね。何がいいかな……。希望が持てる『走れメロス』(太宰治)かな。リズムが良くて、最後はハッピーエンド。言葉のリズムが、人を励ます力を持っていますよね。
