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歌舞伎の黒衣経験を血肉に、冒険し続けた4年間 吉田修一さん新刊「国宝」1万字インタビュー

文:瀧晴巳、写真:斉藤順子

 新聞連載時から大きな反響を呼んだ小説『国宝』(朝日新聞出版)が上下巻の単行本で刊行された。任侠の一門に生まれながら、歌舞伎の世界に飛びこみ、稀代の女形になった男の数奇な人生を追った大河小説は、作家生活20周年を迎える吉田修一さんにとっても、新たな冒険に満ちた一作だった。旧知のライターで大の歌舞伎好きでもある瀧晴巳さんと小説の舞台裏、歌舞伎の舞台裏を語りつくす。

鴈治郎さんに黒衣をつくってもらって、舞台裏から歌舞伎を見ることができたのは、大きかったですね

――吉田さんとは、歌舞伎座でバッタリお会いしたことがあるんですよね。あれは2015年12月、折しも『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』がかかっていた時でした。あの時、すでに『国宝』ための取材をされていたんでしょうか。

 そうでしたね。それまで歌舞伎は「観たことがある」くらいだったんですよ。それがDVDを観たり、実際に劇場に観にいくことを始めたのが4年くらい前で、ある方を通して、四代目鴈治郎さんを紹介していただいたんです。「こういう小説を書きたいと思ってるんです」という話をしたら「だったら、黒衣をつくってやるよ」と言ってくれて、でも初対面でしたし、飲み屋話だろうと思っていたら、翌月くらいに楽屋に顔を出した時に、すぐ寸法を測ってくれて、本当につくってくれたんですよ。「黒衣を着ていたら、舞台裏にいても目立たないから」って。ちょっと言い方はあれですが、歌舞伎役者、すげえって思いましたね(笑)

――鴈治郎さんだって襲名もあった大事な時期に、よく初対面の作家をそこまで受け入れてくれましたよね。

 本当に。そういう懐の深いところが、まさに歌舞伎役者って感じがしますよね。それこそ黒衣をつくってもらってからは、歌舞伎座はもちろん、博多座、松竹座、京都歌舞練場まで日本全国、鴈治郎さんの舞台は全部ついてまわりました。楽屋にもいるし、稽古場にもいたし、黒衣だからお弟子さんたちと一緒にあいびき(出番待ちの時に座る椅子)とか持って、楽屋から舞台袖までついていったりとか、連載が始まる前からそれをやらせてもらって、連載中も、本当にね、ずーっと、いたんです。

――わぁ、うらやましい!

 でしょう(笑)。歌舞伎を好きな人にしたら、本当に贅沢な時間を過ごさせてもらいました。最初はそんなに詳しくもなかった男が、おかげで歌舞伎のことが本当に大好きになって、朝は10時くらいに行って、夜までずーっといる。今思っても、本当に至福の時間です。

――でも楽屋になんて、緊張して、そんなにずーっとはいられない気がします。

 そのへんがね、自分で思ったけど、相当図太いんだと思う(苦笑)。鴈治郎さんも、お弟子さんたちも、本当に身内みたいにあつかってくれたから、自分も甘えちゃったところがあるんだと思うんですけど。

――吉田さん、上京してしばらくの間、友人知人の家を転々と居候していた時期があったから、あの頃、鍛えた居候魂が、ここ一番で役に立ったんじゃないですか(笑)。

 ホントにね、その通りだと思います(笑)。鴈治郎さんの楽屋にいると、若い役者さんが次々挨拶に来るんです。そこにね、黒衣を着たおじさんがあぐらをかいて座っているわけですよ。ありえないじゃないですか。黒衣があぐらかいて、トップの役者の隣にいるなんて。みんな、最初の頃はギョッとして「誰だ、お前?」みたいになるんですけど、あまりにもしょっちゅういるから、だんだん「ああ」みたいな感じになってきて、黒衣仲間が増えていったんです。ほかの役者さんのお弟子さんたちも、師匠が舞台に出ている間は、みんな、袖に溜まるんですよ。それで黒子の友達も増え、少しずつ世間話をするようになりました。

――どうりで劇場でお見かけしないと思ったら、裏にいらしたんですね。

 そう。あの裏にね、僕らがいるわけですよ。僕らっていうか、黒子たちが(笑)。書き割りの裏で思い思いに自分たちの師匠の芝居を観ている、その雰囲気がまた面白くて、なかなかできない体験をさせてもらいました。

――すっかり「中の人」になっていたというわけですね(笑)。表から観るのと裏から観るのとでは、きっと全然違うんでしょうね。

 もうね、全然違います。菊五郎さんなんて直前まで鴈治郎さんと普通に相撲の話をしているんですよ。その日の取り組みの話とかをしていたのに、本当に会話の途中ですーっと立ち上がって、舞台に出ると全然違う人になっている。インドの神話をベースにした『マハーバーラタ戦記』の時は奈落にいたんですけど、せりが上がり始めた瞬間、何をするわけでもない、ほんの少し姿勢を変えたくらいなのに、がらっと雰囲気が変わって、みなさんちゃんとインドの神様になっているわけです。翌日に同じ舞台を客席から観ると、奈落の様子を観ているだけに、ええっ、この人たち、何なんだって、もうびっくりですよ。

――まさにスイッチが切り替わる瞬間を観ちゃったたわけですね。

 そうですね。女形にしても、一番なまなましいなと思ったのは、あわいというか、舞台と楽屋の中間にある場所があるんですけど、そこですーっと入れ替わるんです。主役級の女形さんじゃなくても、たとえば腰元役の人たちが舞台から降りてくるじゃないですか。草履履いて楽屋行く時には、ちょっとがにまたになってたりする。普通にスタスタ、大股で歩いてるだけなんだけど、着物がそのままだから、えっと思うわけです。逆に舞台に出ていく時は、すっと女形の所作になっていて、その中間の部分というのを、そこに立って、ずーっと見ていたので。楽屋にいれば、鴈治郎さんの息子の壱太郎くんが隣で支度しているわけで、裸でおしろい塗ってる姿は、やっぱりなまなましいんですけど、襦袢着て、着物着て、出ていく時は、もう、藤あや子みたいに見えるわけです(笑)。

 女形については細かく取材したわけではなかったのが、かえってプラスだったかもしれない。自分のイメージで描くことができたので。鴈治郎さんにも言われたんですけど、歌舞伎を書こうとした時に、普通は外から歌舞伎の世界を観るわけじゃないですか。でも僕の場合は、ありがたいことに内側にちょっとの間だけど入れてもらえて、内側から外を観れた。一瞬にせよ、この経験をさせてもらった作家はたぶんいないんだろうなと。雁治郎さんという大らかな人と知り合えなかったらありえなかったと思います。芸談や歌舞伎役者の奥さんが書いた本も手当たり次第に取り寄せて読んだりしましたけど、そういうことより、普通に1回楽屋に挨拶に行っただけでは見ることができない、歌舞伎役者のあわいの景色をたくさん見せてもらったことが大きかった気がします。

思えば『悪人』だって、『曽根崎心中』みたいな話だし、歌舞伎に惹かれたのは運命だった。

――それにしても、どうして歌舞伎を描こうと思ったんでしょう。

 最初のきっかけは、仲のいい映画監督と歌舞伎の話になったことでした。数年後に朝日でまた連載をやることになっていて『悪人』からちょうど10年ぶりの作品になるから、何かスケールの大きいものを描きたいというのがあって、まったく自分が知らないところに飛び込んで、これまでとは違うものを描きたいとなんとなく思っていたところに、歌舞伎っていうのがピタッとハマったんですよね。決定打になったのは、それからしばらくして溝口健二の『残菊物語』を観たんです。『残菊物語』は、『国宝』の俊介と同じで、一度は落ちぶれた歌舞伎役者が旅回りをして復活する話なんですけど、その時に踊って見せるのが『積恋雪関扉』で「スゴイ!」と思って、あれでヤラれちゃいましたね。花魁かんざしをいっぱいつけた墨染が、くっくっくっと首を人形みたいに動かして踊るのを観た時に、何だろう、これはと惹きつけられた。その時の自分は歌舞伎がどういうものかもわからない今以上のド素人だったけれど、一流の踊りっていうのは、こういうものかと思わせるものがあったんです。だから入り口は、実は映画でした。

――それで『国宝』でも、喜久雄が初めて登場するシーンに『積恋雪関扉』を選んだんですね。侠客たちの新年会の席で墨染を堂々と演じてのける14歳の美少年。不世出の女形の片鱗を感じさせる印象的な場面です。

 そうですね。あれはもう、本当に『残菊物語』が自分が歌舞伎に感銘を受けたスタートだったからそうしたんですけど、作家としても、あそこで生まれて初めて歌舞伎の舞台というものを描写するわけですよ。そのプレッシャーたるや相当なもので、どうすれば歌舞伎っぽく見えるのかって本当に何度も描き直しをしました。さらに続く新年会の場では、喜久雄の父親が刺殺される場面がある。あの雪の降り積もる中、斬った張ったの大立ち回りが繰り広げられる日本庭園の場を、それこそ歌舞伎座で観る舞台みたいに描きたいわけです。

 今回は、毎回毎回そんな試行錯誤の連続で、どうすれば歌舞伎っぽくなるか、この作品らしさが出るかということを考えながらやっていたので、逆にいうと登場人物とかストーリーというのはあんまり考えなかった気がします。歌舞伎というまったく未知のことを描こうとしていたので、主人公の喜久雄は、自分の故郷でもある長崎の生まれということにして、任侠の一門に生まれた男が歌舞伎役者になるというのは、理屈じゃなくて、最初からあった設定でした。それに対抗するもうひとりというので、梨園の息子の俊介が出てきた。喜久雄は女形になるほどの美貌であるというのも最初から決まっていたから、その横に立たせるなら義経にとっての弁慶みたいなタイプがいいだろうというので、朋輩の徳次が出てきたし、つくっていったというより、本当に自然にいろんな人が出てきましたね。

――とはいえ、ひとくくりに「歌舞伎を描く」と言っても、最初の入り口を上方歌舞伎にするのか、江戸歌舞伎にするのか。あるいは主人公を立役にするか、女形にするか。誰の目線から描くのかで、ずいぶん変わってくると思うのですが「上方歌舞伎で女形」というのは、どういうところから決まっていったんでしょう。

 そうですね。伝統芸能を題材にした小説って、わりとあると思うんですけど、裏方さんの目線から描かれているものが多いという印象があったんです。今回、歌舞伎を描くにあたって最初に決めたのは、ど真ん中の人を描くということでした。裏で支える人というよりは、本当にど真ん中に立っている人物を描きたいと思ったんです。本来、歌舞伎では立役がど真ん中なんでしょうけど、素人からすると、どちらかと言えば、女形の方が知らない世界に飛び込むという意味でも魅力的に見えたというのが単純な理由です。

 上方歌舞伎になったのは、雁治郎さんを紹介してもらったというのももちろんあるんですけれど、60年代に喜久雄が長崎から出ていくとなると、自分の親戚なんかを見ても、東京よりは大阪だろうというのがまずありました。あと、やっぱり好きなんです、成駒家がやる芝居が。『河庄』も大好きだし、『吉田屋』も大好きだし、あのへんの上方の世話物が好きだと言うのがあると思います。

――なるほど、江戸歌舞伎と言えば、主人公は荒事で悪いヤツをこらしめるヒーローという感じがするけれど、上方歌舞伎と言えば、主人公は和事の「つっころばし」、恋で身を持ち崩す憎めないダメ男が多いから、吉田さんがこれまで描いてきた作品を思えば、そちらに惹かれるのは、とてもよくわかる感じがしました。

 いやあ、本当にそうなんですよ(笑)。これまで描いてきた、特に初期の作品なんて、主人公は、みんな、言ってみれば「つっころばし」なんですよね。『悪人』の清水祐一にしても、『曽根崎心中』のあのパターンですから。心中こそしないけど、ダメ男が女の人と知り合って逃避行する、まさに道行ですよね。だから本当に運命というか、ありがたいことに、自分の中にある物語、好きなタイプのドラマっていうのが、成駒家さんのやる演目とピッタリあっていたんだと思います。『吉田屋』にしても、若旦那が散財して勘当されても太夫にいれあげる、ただそれだけの話なのに、紙子(紙でできた衣)を着てカッコよく現れたりして、落ちていく人の可愛らしさがあるじゃないですか。

――高尚に見えて、実は人間の俗っぽいところを描いているというところも、歌舞伎の魅力だと思うのですが、そのあたりも、吉田さんにピッタリきたんじゃないかと。

 本当にそうで、でもそれは観るまではわからなかったんです。自分はこれから高尚な世界にチャレンジするんだと思って飛び込んでみたら、そこらへんが見えてきて、こんなになまなましくて面白いものだったのかと。だから『国宝』を描くにあたっても、普段はわりと抑えているんですけど、泣かせる場面は徹底的にやってやろうと思いました。描いてみてわかったんですけど、喜久雄の師匠、半二郎が白虎を襲名する時の「幕開けてえな」というくだりにしても、この語りだと、そういうベタが思い切りやれるんですよ。

――じゃあ、どの演目をどこで出すかみたいなのはどうやって決めていったんですか。

 そのあたりも逆に考えないようにしたんです。こういう物語になるからこの演目じゃなくて、先に好きな演目、気になる演目でバーンと描いちゃう。そうすると不思議なもので、それがピタッ、ピタッとハマっていったんです。たとえば徳次にしても、長崎にいた頃はやくざの子分だったから竹に虎の刺青を入れていると書いたけど、書いた時には何も考えていなかったんです。華僑の息子というのも、単純に長崎だからそうしただけなんですけど、後半に『国姓爺合戦』を描こうとしたら、竹林も虎も出てくるし、華僑の息子の話だし、これって徳次じゃないかって繋がってくるんですよ。

――伏線のつもりはなかったのに、あとからピタッとハマっていった?

 そう。普段は小説を描く時にストーリーが浮かぶのって、だいたいドライブしている時か寝る前なんです。でも今回は不思議なことにドライブ中は一切浮かばなくて、歌舞伎を観ている時とか裏でうろちょろしている時に、わりと大きな物語がどーんと動くのが浮かんできたので、それもちょっと関係しているかもしれない。長崎から話を始めたのだって、単純に自分の実家の近くの料亭から描こうと思ったからなんですけど、後半になって、そう言えば、歌舞伎座って誰が建てたんだろうと調べてみたら、なんと実家に近い新石灰町(しんしっくいまち、今でいう長崎市油屋町)という思案橋のすぐ向かいにある町で生まれた人だったんです。

――歌舞伎の神様のおはからいみたいで、ちょっとゾクッとしますね。しかも、思案橋と言えば、吉田さんの実家のすぐ近くじゃないですか。

 びっくりしました。歌舞伎座を建てたのがまさか隣町で生まれた人だったなんて、まったく知らなかったから。そういうのばっかりだったんです、この作品。何度もゾクッとさせられたけど、おかげで、これでいいんだと思いながら描くことができたかもしれない。

たとえ大失敗してもいいから、作家人生を賭けるくらいの博打がしてみたくなったんです。

――あらためて今回の文体についてうかがいたいんですが、講談みたいな、いわゆる語りものの口調になっていて、これまでの読者にとっても、ちょっと吉田修一の作品とはわからないくらいの文体になっています。

 これは本当に試行錯誤しました。ページを開いて、1行読んだら、歌舞伎とは言わないまでも、何か一般社会とは違う世界がここから始まりますよと読者に伝わるような書き方ができないかなと思ったんです。普通に喜久雄の一人称もやったし、春江で女性の一人称も試してみたし、三人称で神の視点もやってみたけれど、どれもしっくりこなかった。それこそ七五調もやってみたけど、語りを捜すだけで2、3か月かかったと思います。歌舞伎役者って、テレビで観ても、あきらかに何かが違うじゃないですか。普段話す言葉を聞いていても、ワンランク丁寧な感じがする。ひょっとするとそのへんかなと気づいて、普通は「~です」と言うところを「~でございます」と書いてみたら、ようやくピタッときたんです。

――近年の作品でも『太陽は動かない』でスパイもののシリーズを始めたり、『橋を渡る』でSFっぽい仕掛けをしたり、ジャンルを開拓することには意識的だったけれど、今回の『国宝』は、歌舞伎を描くというだけじゃなくて、この文体にしたことが相当な挑戦だったんじゃないかと。

 初めて言っていただきましたけど、本当にね、大冒険どころの騒ぎじゃないですよ。これまでのキャリアを全部捨てるくらいの覚悟ですから。最初は本当に自信がなかったし、不安でした。

――そこまでのチャレンジをしてみようと思ったのは、なぜですか。

 やっぱり、自分にとってはターニングポイントになった『悪人』という連載をした同じ媒体で十年ぶりに書かせてもらえるというので、この十年、自分がどれくらい作家として成長したのか、試してみたいというのがありました。その前に描いたいくつかの作品が、映像化されたりもして、自分なりにちょっとだけ自信になっていたので、極端な話、ここで大失敗してもいいかぐらいの感じですよ。本当にもう、博打というか、作家人生賭けてやるくらいのことをやりたくなったんです。でもそうしたら伊集院静さんが「よく歌舞伎なんかに手を出したな。あいつ、勇気あるよ」って、担当の人に言ってくれたらしいんですよ。「コイツ、チャレンジしたな」というところをちゃんと見てくれる人はいるんだなと。連載の途中だったんですけど、それも励みになりましたね。

 あらためて振り返ると『悪人』の連載を始めた時も、まったく同じでした。十年前のあの時も、自分にとって初めての新聞小説だったから、どうせ大舞台に立つのなら、いいや、もう失敗してもと思ったんです。失敗したいわけじゃないですよ。でも、それまでは日常系の話が多くて、犯罪小説なんて書いたこともなかったし、今となってはあれですけど、当時は吉田修一が人殺しの話?というイメージもあったと思うんですけど、どうせ負けるんだったら、一番大きいところで負けてやろうというのがあったんです。

――犯罪小説とかスパイものとか、いわゆるジャンル小説って、そのジャンルに精通している人が描くイメージがあるけれど、吉田さんの場合、必ずしもそうじゃない。今回の歌舞伎もそうですが、身ひとつでいきなり飛び込んでいくというか、果敢に虎の尾を踏みにいってる感じがします。

 本当にそうで、あの度胸には、自分でも本当にビックリすることがあります。でも、こっちが本気になれば、今回の雁治郎さんのように助けてくれる人はいるんだなと。人のそういう情けには甘えていこうと、あらためて思いました(笑)。

どちらが人間国宝になるのか。実は、最初に想定していたのとは、違う結末になりました。

――吉田さんが思う「歌舞伎」の魅力って何でしょう。

 うまく言えないんですけど、歌舞伎に流れている時間みたいなのってあるじゃないですか。歌舞伎ならではの時間の流れ方みたいなのがあって、その感覚が自分の中に入ってきて、そこに合わせられるようになると、どっぷり、あの世界に入っちゃう。それまでの自分は、あの時間の流れ方を知らなかったんだなと。

――なんとなくわかる気がします。日常とは違う、大きな時間に繋がっているみたいな。

 おっしゃる通りだと思います。しかも歌舞伎役者さんたちって、どこか人間離れしたところがあるじゃないですか。言葉はアレですが、等身大のリアルさとは違う、もっとデフォルメされたモンスター感があって、あの「出た―っ!」というシビレ具合を感じたくて、観に行ってるところもある気がします。

――『国宝』上下巻を通して読んで思ったのは、歌舞伎役者たちの散り際が、どの人もとても鮮烈に描かれているということでした。

 ジャン・コクトーが歌舞伎を観た時に「なんで歌舞伎って、すべてがデフォルメされているのに、切腹だけはこんなにリアルなのか」って感想を言ったらしいんです。本当にそうだなと思って。外国人のコクトーが感じ取ったように、死ぬってことを歌舞伎ではものすごく大事にしているというのはもうわかっていたというか。切腹もそうだし、心中もそうだし、敵討ちもそうで、歌舞伎の本質っていうのは、たぶん死ぬことにあるんだろうなというのは、描きながら、なんとなく思っていましたね。

――この役者の幕切れはこの演目で行こうと、筆が乗って描いている感じがしました。

 それはもう、間違いないですね。登場人物が出てきた瞬間に、この人が死ぬんだったら、こういう感じだろうというのが、ぼんやり浮かんでいたし、一番いい舞台で死んでほしいというのは、思っていました。喜久雄が最たるものなんですけど、師匠の白虎にしても、萬菊にしても、俊介にしても、最高の幕切れを用意したいと思った。でもそうしたら、誰が国宝になるのかという結末も、最初に想定していたのと変わったんですよ。

――えっ、じゃあ、それこそ『ガラスの仮面』でマヤと亜弓、どちらが紅天女を踊るかじゃないけれど、途中まではわからなかったということですか?

 実は、そうなんです。最初は今の結末とは違う結末を想定していて、編集者にも「この人が国宝になるまでの話ですから」と言っていたんです。俊介が出奔した時も、まだ最初に想定した結末でいこうと思っていたのが、この人にとって人間国宝になることが本当に幸せなんだろうかと。たぶん、それぞれの登場人物にとって一番幸せな終わり方をさせたいとずっと思いながら描いているうちに、こうなったんだと思います。

――吉田さんの小説って、どこか弔い合戦みたいなところがありますよね。不条理な死が小説の発端になっている。その意味では、歌舞伎と相性が良かったのかもしれない。

 そうかもしれない。歌舞伎って、その人の死に様を一番きれいに見せてあげようっていう、つくり手の思いがあるじゃないですか。そのために雪を降らせたり、碇を体に巻きつけて、海に身を投げたりする。死に様をいかに見せるかということが歌舞伎だとしたら、『国宝』に限らず、自分のこれまで描いてきた作品も、そういうところがあるのかなと。たとえば『横道世之介』にしても、一番いい死に方をさせてあげたいと思ったから、ああなったわけで、だから歌舞伎に引き寄せられたのかもしれないですね。7月に大阪の松竹座で鴈治郎さんが「車引」をやるというんで、僕、連載終わってるのに、また行ったんですよ、黒衣で(笑)。

――そんなにも歌舞伎を好きになるなんて(笑)。

 ちょっと言い訳をさせてもらうと、今年の1月に書き終わってから、黒衣をやったのはその時が初めて。それこそ連載していた時は、本当に勝手に動き回っていたので、お弟子さんに「あ、そこから先は行ってはダメです」と首ねっこをつかまれる勢いだったんですけど、今回は我ながら、ちょっと遠慮してるところがあって、あの時は小説を書くんだ、これは取材だと思っていたけど、書き終わったら、ちゃんと遠慮するんだって自分で思いました。楽屋であぐらかくとか、とてもじゃないけど、今、ちょっと考えられない(苦笑)。