
きっかけは小説投稿サイト
――まずは楠谷さん、完全版の刊行おめでとうございます。
楠谷:ありがとうございます。
――無気力ながらも、着実に冷静に、事件を解決していく智鶴くんに魅了されます。物語を書いたきっかけは。
楠谷:僕が高校生の頃、当時所属していた文芸部の友人から、「こういうサイトがあるよ」と教えてもらったのが、小説投稿サイト「小説家になろう」でした。「じゃ、何か小説書いて載せてみよう」って思ったとき、作ったキャラクターがこの智鶴くんや、他のキャラクターたちだったんです。
若林:「小説家になろう」は知っていましたが、率直なことを言うと、ここまでエラリー・クイーンを彷彿とさせる「ド正面の本格ミステリ」かつ端正に謎解きが構築された作品が載っていたとは、と驚きました。基本的にはファンタジー、「異世界転生もの」という印象が強かったこともあり、『無気力探偵』のような、古典探偵小説をきちんとオマージュされている作品が書かれていたことに、謎解き小説が好きな人間としては嬉しさを覚えた次第です。

――主人公が県警の刑事部長の息子であるなど、たしかに、随所にエラリー・クイーンの影響を受けています。
若林:「あとがき」で楠谷さんも触れられていますが、ミステリの興味の中心はあくまでも「フーダニット」(Who done it?=犯人は誰か)である、と。すごく膝を打ちました。いろんなミステリの趣向にあえて挑んでいらっしゃいますね。ダイイングメッセージ、誘拐もの、「ハウダニット」(How done it?=どのように犯行が行われたか)……。それぞれのミステリの趣向を取り入れつつ、核の部分は「フーダニット」がしっかりと備わっていることに感心しています。
特に2010年代後半から、ミステリの若い書き手は、「犯人当て」に対する姿勢が真摯。それこそクイーン的な手掛かりをきちんと基にして謎解きの面白さを膨らませていく謎解きミステリ作家の若い人たちがいっぱい出てきましたが、楠谷さんもその一人だったのを改めて、この「原点」を読み再認識したっていうのが、僕の感心したところです。
楠谷:そう評価していただけるのはありがたいです。僕自身は、「投稿サイトからのデビュー」という、ちょっと特殊な形でデビューしたのですが、メインストリームの本格ミステリを読んで育ちました。エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カー、アガサ・クリスティらが好きで、正統派の「犯人当て」は、自分の創作の中心にあるものです。若林さんがおっしゃった「若い書き手」は青崎有吾先生、阿津川辰海先生を想定していらっしゃると思うのですが、その仲間に入れていただけるのは、とても嬉しいです。
若林:書評家の杉江松恋さんが編纂しているアンソロジー『名探偵と学ぶミステリ』のトップバッターが楠谷さんでした。並んで青崎さんや阿津川さん。特に青崎さんは「平成のエラリー・クイーン」と呼ばれるほど、エラリー・クイーン的な推理のあり方を実践されている。阿津川さんも同様ですね。この3人が並ぶのは、僕の中でしっくりきました。クイーンを最初に読まれたのはいつでしたか?
楠谷:小学6年生に上がる時ぐらいでしたかね。読んだのは『Xの悲劇』でした。あれは本当に感銘を受けて。
若林:ほほぅ!
楠谷:それがめちゃくちゃ面白かったので、「悲劇4部作」を読んでいきました。
若林:なるほど! ところで楠谷さんの『無気力探偵』の第1章の題名って、「ダイイングメッセージはいつの時代もY」じゃないですか。ダイイングメッセージって「X」をまず想定するんですけど、クイーンのイメージもあったんですか。
楠谷:あ、そうですね。この第1章の「Y」は、有栖川有栖先生のデビュー作『月光ゲーム』、あとアンソロジー作品の『「Y」の悲劇』。
若林:ああ、ありましたね。「建築探偵・桜井京介」の篠田真由美、「国名シリーズ」の有栖川有栖、「名探偵・二階堂蘭子」の二階堂黎人、そして「名探偵・法月綸太郎」の法月綸太郎。4人がミステリの傑作『Yの悲劇』に捧げる競演の文庫書き下ろしアンソロジー。
楠谷:あの収録作品で、「Y」のダイイングメッセージをどの作家さんも書かれているので、そこが念頭にあって「Y」に。
若林:やっぱりそこも念頭にあったのか。聞けてよかった(笑)。
楠谷:新解釈を思いついたので、マニアの一員として、「こんな『Y』のダイイングメッセージの新解釈を思いついたぞ」って作品化したのが始まりです。

小学生でハマった新本格ミステリとエラリー・クイーン
若林:楠谷さんの『無気力探偵』を読んで思ったのは、新本格ミステリの第1世代の作家さんたちのスタンスとも似ているな、と。たとえば有栖川さんや法月さんは、短編ではいろんなミステリの「型」や趣向で、「自分だったらこう発展させられるよ!」ってやられるじゃないですか。そのイメージも重なりました。
楠谷:まず、有栖川先生に関してはめちゃくちゃファンなので、影響は無意識に受けていると思いますし、意識的に真似した部分もあります。法月先生の短編は僕にとってはお手本というぐらい、すごく好きなんです。特に『法月綸太郎の冒険』や『法月綸太郎の功績』が好きで、かなり影響を受けていると思います。
若林:そうですよね、特に『法月綸太郎の功績』に収録された『イコールYの悲劇』や『都市伝説パズル』といった短編のイメージがたしかにあるな、って。……すみません、いきなり飛ばしすぎて(笑)。
――いえいえ(笑)。『無気力探偵』は数編のミステリが第1巻、第2巻に束ねられています。この並び順は、じっさいに書いた順と同様ですか。
楠谷:はい。
――そうすると、「Y」のダイイングメッセージの謎の物語を最初に書いたのですね。
楠谷:そうです。ただ、ウェブの時に配信していたけれど書籍には載らなかった作品もあります。まあ、それはちょっと、未熟さもあったりして。
若林:回を重ねるにつれ、キャラクターがどんどん増え、それをうまく使ったエピソードが、いくつか出てきて、書くうちにキャラクターの動かし方に慣れてきたのかなって感じます。
楠谷:キャラクターに関しては、最初は探り探りで配置していったのですが、何度も書くうちに、いい意味でルーティン化して、「このキャラクターが事件の導き役になるだろう」というように、作中での役割分担が決まってきました。ミステリって「マンネリを楽しむ」というとヘンな言い方ですが、パターンの繰り返しを自分の中で作れて安定感を覚えました。途中からすごく書きやすくなっていきました。
――その感覚は、いつ頃から覚えましたか。
楠谷:第2巻ではかなり慣れてきた感じでした。でも第1巻はまだ書きながら自分でもどうなるかわからない部分はありました。

若林:2巻でも新しいキャラクターが出てきて、幅がさらに広がりますね。1巻は主人公自身の事件も描かれていますが、2巻からは、さらにふくよかになった部分もあります。青春ミステリの小説って、どんどんキャラクターが増えていったり、変化したりしていく。たとえば、初野晴さんの「〈ハルチカ〉シリーズ」なんか、どんどん仲間が増えていきます。そんなイメージもあったので、青春小説としても、非常に正統的な書き方をしていますね。
そして「誘拐」「ハウダニット」「コールドケース(未解決事件)もの」、それから「シリアルキラー(連続殺人犯)もの」「ミッシングリンク(一見無関係に見える事件や被害者の間の隠れた共通点)」もある。「これと、このジャンルを書きます」って全部列挙したうえで書かれたのですか。それとも、シリーズを書くうちに、「じゃあこれも、あれも」みたいな感じで、あとから思いついたのですか。
楠谷:「各章のタイトルに、ミステリ用語をつける」というのは、最初から決めていました。ただ、「思いついた順」かもしれないです。「今、このアイデアがあるから、じゃあこれをやろう」って感じで、縛りを設けつつ、「今回はこれをやる」と決めて、たくさん作っていった感じです。
若林:各章のタイトルのつけ方が、倉知淳さん、東川篤哉さんの短編を思わせる部分もありました。
楠谷:あっ、そうですか! 倉知さんっていうと、僕は初めて読んだ推理小説が『星降り山荘の殺人』ですね。
若林:なんとっ!
楠谷:小学校5年生の時に読んで、そこから新本格にハマり、クイーンにハマり、っていう感じだったんです。それで倉知さんの作品も好きなのと、東川さんも『謎解きはディナーのあとで』などを読んでいたんです。
若林:ああ、なるほど!
楠谷:青崎有吾先生の影響も大きくて、探偵役の造形は、青崎先生の「裏染天馬シリーズ」っぽい感じがありますし。
若林:会話のテンポも、青崎さんの作品から影響を受けていますか。
楠谷:かなり(笑)。これはお恥ずかしいほど受けています。
若林:ミステリを読み始めたきっかけが『星降り山荘の殺人』だったって聞いて、なるほどって思ったんですけど、その後に来るのが青崎さんだったというところに、「おおっ」と思いました。ミステリ体験が、ひと世代、さらに先にいったんだなぁって。青崎さんのキャラクターの会話、とても魅力的ですよね。
楠谷:そうですね。クイーン的なロジックは元から好きで、新本格も大好きですけど、ある種、「初期クイーン」って硬いじゃないですか。それこそ『ローマ帽子の謎』は、最初に事件を起こして、ずっとその事情聴取、捜査、事情聴取……みたいな感じで、かなり硬い捜査パートを描いて、最後に論理的に真相が語られる。エンターテイメントとしては、まだちょっと、こなれてないというのが初期クイーンの作風。青崎先生の作品は、そのフォーマットを踏襲しつつも、にぎやかな、キャラクターのコミカルな掛け合い、容疑者たちもキャラクターが立っていて、漫画のように面白おかしい雰囲気で、硬いミステリを面白く読ませています。これは理想的で、かなり影響を受けましたね。

「夢は推理小説家」憧れの原体験
――ミステリを読むのが好きだった少年の頃から、作家志望へと移った経緯は。
楠谷:好きになったものはマネしたくなるタイプだったので(笑)。推理小説にハマるよりも前に『名探偵コナン』(青山剛昌)が好きで、小学生の時は漫画を書くマネごともしていたんです。推理小説を読みあさるようになってからは、綾辻行人先生の小説に触れて、「小説でしか表現できないようなトリック」に接し、「小説ってめちゃくちゃ面白いな」と思ったんです。小学校を卒業する時には、もう「推理小説家が夢」って感じでした。好きなもののマネをしたい。単純な憧れのまま、ここまで来た感じです。
――「小説でしか表現できないトリック」というのは。
楠谷:いわゆる「叙述トリック」。文章で表現されることで、読者がその文章を素直に読んでいくと、騙されてしまう。「文章上のトリック」と言えばいいんですかね。必ずしも僕が小説の中でやっているわけではないですが、「小説ってすごいな」って憧れの原体験になりました。
――ミステリの様式美について話が深まりましたが、一方、個々のストーリー展開として見た時、『無気力探偵』の作品群のなかで若林さんが特に感銘を受けたのは。
若林:ミステリの完成度で「これは」と思ったものでは、ある品物の「すり替え」事件が起こった場所で、その後また新たな展開が起きるじゃないですか。あれが僕はとても好きです。ロジックの「犯人当て」もありつつ、その前提となるところで、G・K・チェスタトンみたいな発想の転換が求められる部分があるからです。「え!? そういうことだったの?」って。普通の作家なら、その発想の転換の部分で驚かせて終わりだと思うんですが、そこから更にもう一捻りを加えて物語全体の構造として何が浮かび上がるか、というところまで書いてある。僕はこの収録作の中では一番面白かったです。ちょっとチェスタトンみたいな感じ、ありましたよね。
楠谷:当時、チェスタトンはちゃんと読めていなかったので直接的な影響は受けていないかもしれないですが、光栄です。必ずしもトリックのメカニズム自体が斬新でなくても、トリックにまつわる発想や事件の構図の転換の面白さがあれば、「いけるんじゃないか?」って手応えを感じたのが、その短編でした。
若林:第1巻の「誘拐もの」も、真相当てという視点で読み直すと、手掛かりの扱い方がさりげなく書かれていて、「あ、ここ書いていたね!」っていうのがある。そこに対する配慮がどの章にもあるところが、すごく魅力的ですよね。「手掛かりをどう使うんだろう」というところに工夫を凝らすのが真相当てにとって肝心じゃないですか。そこにこだわるのは楠谷さんの美点だなと思います。
楠谷:ミステリって、完璧に斬新なアイデアは、今、出すのはなかなか難しい。みんな趣向を凝らして新しさを出そうとすると思うんですけど、僕の中で「この作品は形になる」ってゴーサインが出るのは、いかにして犯人を絞り込むかの手掛かりとか、ロジックの部分で、納得のいくワンポイントの着想があったときです。犯人を特定する手際や手掛かり、理屈そのもの、そういうところにアイデアのない作品は書きたくない。こだわりのポイントではありますね。

書いていて楽しいキャラクターたち
――冷静沈着でありながら、じつは心が揺れ動く描写も丁寧に描かれているのが、主人公・智鶴くんの魅力です。キャラクターの肉付けは、どのようにしていったのですか。
楠谷:自分にとって好きなキャラクター、書きたいキャラクターを素直に書いたっていう感じで、そんなに深く考えてはいなかったんです。「名探偵」って、ちょっと変わった部分があった方が良いと思うので、ひねくれた性格にして。ただ、それでも気持ち的に応援できる人。ちょっと可愛らしさもある人であってほしいっていうのは僕の中にありました。当時は高校生として高校生を書いていたんですけれど、今、読み返すと「本当に可愛い奴だな」って(笑)。この未熟さというか、頭は良いけれど、どうにもならない社会の中で、なんとか自分なりに、もがく無力さをちょっと可愛いなって。今はすごく愛おしいです。
若林:「積極的に事件にかかわりたくない」というキャラクターだと、米澤穂信の「〈古典部〉シリーズ」の主人公の探偵・折木奉太郎のイメージに近いかなと思ったんですけど、智鶴の場合、唯一違うというか、特徴があるのは、「積極的に無気力になったわけではない」というところ。自分自身に起こった出来事のゆえに、そうなっている部分もある。そこが単なるキャラクターの味付けじゃなくて、連作ミステリとして彼は1巻の最後、自分自身の事件と向き合わなきゃいけない、シリアスな部分にも、ちゃんとかかってくる。そういう点が、過去に出てきた、ちょっとやる気のない系の若者の探偵役とは一線を画すところがあって魅力的です。智鶴自身が向き合っていく、連作の流れは事前に構想があったのですか。
楠谷:「過去に母親を亡くしている」「それで父親とは疎遠になっていて警察をあまり信じていない」みたいな、ぼんやりとした設定は持ったまま書き進めていたんですけれど、ちゃんと定まったのは5話目を書く直前ぐらいです。智鶴のキャラクター性というのは、当時はウェブ連載をしていたので、「引き」が何かほしいと思って。漫画的に「次回へ続く」的な要素として、智鶴の不穏な過去を小出しにしていたのが、書籍化の際に、そこを軸に再構成したところがあったので、かっちり決めていたというよりは、過去はぼんやりと決めつつ、そこに収斂していくように作っていった感じです。
若林:連載での発表だったから、書籍化で変わっていったのですね。クイーンの親子も、法月親子も、仲良いから、ちゃんと警察が協力してくれているじゃないですか。ここをあえて真逆にしてみようっていうのは、意図的に書かれたのですか。
楠谷:そうですね。仲の悪さみたいなところは、もしかしたら、これも青崎先生の「裏染天馬シリーズ」の影響なのかもしれないです。ちょっとダイレクトに影響を受けすぎちゃっている感じもしますけど(笑)。ただ、最終的にはそれも変化していきます。主人公自身に「抱えているもの」があることは、物語としてはこういう形にして良かったなと思います。ミステリとして各話のアイデアを鑑賞するより、ドラマとして読みたいという方も多いと思うので、キャラクターのドラマを軸に作ったことで、そこが誰かの心に刺さればいいな、とも思います。

――「ドラマ」として読むと、親子や兄弟の確執と、そこからの展開の読後感が爽やかです。
楠谷:難しいですが、人情味のある話とか、最後に登場人物たちがハッピーエンドになって、「まあよかったよね」っていう話が好きなので、そうなっているっていう感じかもしれないです。
――書き下ろしの番外編に登場する叔母の「ひばりさん」は、ご自身を投影していますか?
楠谷:これを書いた高校生の当時は、そこまで考えてなくて。智鶴くんはある程度、孤独な人物であってほしかったんですが、やっぱり高校生に保護者は必要だということで造形した人物です。結構、智鶴とひばりさんの距離感が気に入っているんです(笑)。
若林:いわゆる「日常の謎」ミステリを書いているのが逆に面白いなと思います。ふだん挑戦していないので書かれたのですか?
楠谷:日常の謎は、書いてこなかったのですが、『九マイルは遠すぎる』(ハリイ・ケメルマン)のように、論理パズル的な会話からどんどん理屈や物語が立ち上がってくるのは、好きなタイプの話です。
若林:会話劇的なものだと、青崎さんの『早朝始発の殺風景』も思い浮かびますね。もともと書かれた他の章とは違うところは、多重解決的な部分も仕込まれていて、推理がポンポンと出るところですね。そこの部分も対照的になっていて、すごく面白いと思います。楠谷さんがこういう形式もきちんと書くことができるんだなって分かって、番外編として意義があると思いました。楠谷さんは、いろいろな作品を具体的に研究していて、意識的にそれを出されているようだったので、最初からフルスロットルで聞いてしまいました(笑)。
楠谷:ちょっとマニアックな感じになっちゃって、心配な面もあるんですけど(笑)、でも僕自身はかなりオーソドックスなものが好きで、これからも「フーダニット」を中心に、論理的解決という性質を持ったミステリを書いていきたいと思っています。
若林:『無気力探偵』は、主人公が自分自身の人生と向き合い、どう決着をつけるのかという部分で読ませる作品でした。次はどんな探偵キャラクターを書かれるのか、とても楽しみです。「続編は?」って聞いちゃっていいのかな。
楠谷:話が決まっているわけではないですが、反響次第では。まだ書き継いでいきたいシリーズです。今回、1巻と2巻でそれぞれ書き下ろしの番外編を入れて、本当に久しぶりにこのキャラクターたちを動かしたんですが、手になじんでいる(笑)。何回戻ってきても、このキャラクターたちは自分の友だちのように、親しみやすくて、書いていて楽しい子たちなので、また機会をいただけるのであれば、いつでも書きたいです。
若林:仲間も増えて、みたいなことが今後あるかも。ぜひ、成長した彼らも見てみたいです。
