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「BLの教科書」が有斐閣から出た理由 世界に誇る「学問としての蓄積」とは

文:若林理央 絵:魚座(『BLの教科書』より)

始まりはBLではなかった

――堀さんと守さんは『BLの教科書』の編者を担当されましたね。お2人がBLを研究し始めたきっかけは何でしたか?

堀あきこさん 以前、私はいわゆる18禁、成人男性向けパソコンゲームのシナリオライターをしていました。そのときに興味深く思ったのが、女性向け作品と男性向け作品ではこだわりのポイントやセックスシーンの描き方がまったく異なることでした。「この違いがジェンダーなんだ」と気がついて、ジェンダーの視点からゲームやマンガなどを見るようになりました。

 ジェンダーによる表現の違いは、良し悪しとか、どちらに価値があるとかいうものではなくて「なぜ違いが生まれるのか」という点が重要だと私は考えています。そのことを研究するとき、私にとってBLがいちばん興味を惹かれるジャンルでした。

守如子さん 私の場合、研究の出発点はBLではなくて、女性向け作品にも性表現があることだったんです。当時はBLよりも、レディースコミックという男女の性愛を対象とした商業誌が多かったのですが、最近は性的な描写のあるBL作品も商業誌で増えてきましたね。

 また、2010年に私が『女もポルノを読む―女性の性欲とフェミニズム』(青弓社)を執筆した後「BLについて書いてほしい」という要望をいくつもいただきました。私自身も子どもの頃から漫画をたくさん読んでいて、その中には男性同士の恋愛を扱ったものも含まれていたのですが、「今、BLは研究テーマとしてもニーズがあるのだな」と実感しました。要望をうけて、BLを主題にした論文を書くようになりました。

『BLの教科書』(有斐閣)より

フィクションとしてのボーイズラブ

――本作では国内外におけるBLの歴史的な変遷について書かれています。そもそもBLが登場したのはいつごろからですか?

 日本の商業誌にBL作品が登場し始めたのは1970年代からですね。当時はBLという名前ではなく、「少年愛」と呼ばれていました。第4章に詳しく書いているとおり、2000年代に入ってから「BL」という名前で一般にも知られるようになり、作品数も愛好者も拡大していきました。BLが好きな女性を「腐女子」と呼びますが、腐女子のコミュニティーが拡大していったのは、インターネットの普及でコミュニケーションが円滑になった部分が大きいと思います。

――BLというと10代の少年が主役というイメージがありますが、最近は20代、30代の男性同士の恋愛を扱ったものも多いような気がします。これは少し前まではなかったことですか?

 いえいえ、年齢層の高い男性同士の恋愛作品は以前から存在していました。ボーイズラブを略したものがBLなので、少年がメインと思われがちですが、歴史的には幅広い年齢の男性が描かれてきました。

 あと、近頃は「おじいさん」と呼べるくらい高齢の男性が登場するBL作品も増えていますね。同人誌では、これまでも高齢の方が出てくることはあったのですが、商業誌でも見かけるようになったのは最近の流れです。

――最近、私の周囲にはLGBTQの理解を深めたくてBLを読んでいる人がいます。

 個人的には、LGBTQについて知ることを目的にBLを読むのは少し危険だと思っています。誤った理解をしてしまう可能性があるからです。

 BLは男性同士の恋愛を描いたフィクションです。たしかに読者の中にはBLを読むことを通じてLGBTQの知識を得た人もいるのですが、それはあくまでも結果論。LGBTQを理解するための書籍は他にあるので、それを読んだ方が正しい知識が得られると思います。

日本のBL研究を1冊にまとめたい

――『BLの教科書』を企画するまでの経緯を教えてください。

 2017年に神奈川大学で、BLをテーマにした国際シンポジウムがありました。BLって海外でも研究が非常に進んでいるんです。私と守さんはシンポジウムでそれを実感し刺激を受けたんですが、一方で海外の研究者たちが参照している日本のBL研究が、英語に翻訳されているものなど限定的だということにも気づきました。1970年代から現在まで日本では何度も論じられていることが、そのシンポジウムでは新しいトピックとして登場していたんです。

 「海外の研究者のためにも、これまでの日本のBL研究を教科書のような形にしてまとめなければ」と守さんと話をしました。その後、有斐閣に企画を持ち込みました。

――有斐閣を選んだのはどうしてですか?

 BLはサブカルチャーなので、BL研究は軽んじてとらえられることが多いんです。学術書を多く世に送り出している有斐閣から出せれば、学問として研究されてきたBLを読者に示せるのではないかと思いました。

――SNSを見ると研究者や学生さん以外からも「BLって学問になるんだ」という驚きの声がありましたね。

 BL研究に興味がある学生さんって多いんです。ただ指導できる先生があまりいない。学生さんから相談を受けたときに示せる最初の本が必要でした。

 実際に私は学生さんたちから「修士論文でBL研究をしたい」と相談されることが多く、それぞれの研究テーマに合う先行研究がわかるBLの「教科書」が、自分自身、欲しかったのです。

 また、これからBL研究をしたいという人のために、さまざまな分野でできる研究であることと、これまでの研究はどこまで進んでいるのかを本書で伝えたいという願いもありました。

発売前に重版

――企画が持ち込まれた後、書籍化まで有斐閣さんではスムーズに進みましたか?

長谷川絵里さん(有斐閣編集者) スムーズではありませんでしたね。最初の企画会議では「BLとはどういうものか、これまでにどんな研究の蓄積があるのか」を説明しても、ぴんとこないといった様子の編集部員もいました。

 議論が膠着状態だったときに、腐女子の編集部員から次々応援が飛んで。同席していた営業部員も実はBLが好きで、「いまはどこの書店に行ってもBLの棚があり、社会に定着しつつある」とコメントしてくれました。それで風向きが変わったように思います。

 結果として、次回の会議に再提出してもう一度検討ということになりましたが、2回目の会議では、BLが学問としても成熟していることを補足資料で示し,編集部長や部員もなんとか納得してくれて、企画が通りました。

――堀さんと守さんにとっては初めて編者を担当した書籍でもあるそうですね。

 執筆者は全員これまでBL研究をしてきた人たちで、コラムも入れると16人います。同じ内容を書かないようにすることとか用語の統一とか、細かいことが大変になるのではないかと作る前から予想していたので、全員で相談しながら作り上げました。「このテーマならあの論文が良さそう」といったやりとりもしながら、最終的にまとまりのあるものになりました。

――本作は発売前から予約が殺到したと聞きました。

 予想外でしたね! 発売前に重版がかかったと聞いて驚きました。

 私は、実はちょっと予想していました。なぜかと言うと、BLファンの方には「好きなものを極めたい」という気持ちを持つ人が多くて、自由研究が盛んな一面があるので関心を持ってもらえるのではないかと思っていたんです。

 『BLの教科書』は漫画・小説だけではなくて、他の作品も扱っています。「自分が好きなものについてもっと知りたい」と感じている人たちに、見たことがない分野に対しても興味も持ってもらえたら嬉しいです。

BLコミュニティーをもっと面白く

――英語、中国語など外国語版を要望する海外読者もいるとのことですが、その場合、対象となるのは日本のBLを研究したい海外の人たちでしょうか?

 日本のBLだけでなく、海外で作られているBLを研究するのにも役立つと思います。研究の蓄積は日本が最も多く、『BLの教科書』では今はもう手に入りにくいBL作品や、先行研究も数多く紹介しているので、日本だけではなく「世界のBL」を研究したい人にも需要がある書籍になると思います。

――『BLの教科書』にどんな反響を期待していますか?

 本作によって新しいBL研究者が誕生するのが私のいちばんの希望です。BL研究は研究職の人や学生さんだけでやっているのではないんです。BL好きな人が書くブログや集められた情報に研究者が助けられることは頻繁にあります。研究者を含めたBL好きコミュニティー全体がもっと面白く盛り上がってほしいですね。

 BL以外、例えば百合(女性同士の恋愛を描いた作品)の研究をしている人にも役立つ内容ですし、いわゆる「萌え」との違いを考えることもできます。それから、さまざまな専門分野からみたBL研究を扱っていますので、ポピュラーカルチャー(サブカルチャー)を研究したい人にも役立つ視点が得られるかもしれません。読者の皆さんが本作を使って、いろいろな視点からBLについて思考してくれたら嬉しいですね。