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オタク史に咲いた、宅八郎というあだ花 ノンフィクション作家・大泉実成さんと振り返る

1993年、トークショーに出演した宅八郎さん

 昨年12月、評論家の宅八郎さんが8月に57歳で亡くなっていたことがわかった。1990年代、長髪に銀縁メガネ、マジックハンドとアイドルのフィギュアを持つスタイルで「おたく評論家」としてテレビに出演、強烈なインパクトを残した。30年以上の交流があり、『オタクとは何か?』の著者であるノンフィクション作家の大泉実成さんに、「オタク」イメージの変遷と宅さんの与えた影響について聞いた。

 訃報(ふほう)はネット上で話題になり、「オタクの間違ったイメージを広めた」という投稿も多かった。大泉さんは「彼にはオタクのプラス面をアピールしたいという思いがあった。ただ、その擁護の仕方がめちゃくちゃで、誤爆のようなところがあった」と振り返る。

 いまでは「オタク」とカタカナで表記されることが多い、「おたく」という言葉は、アイドル評論家の中森明夫さんが1983年に使ったのが最初とされる。広く知られるようになったのは、89年に連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された宮崎勤元死刑囚の部屋に、漫画やアニメのビデオが大量にあったことがきっかけと言われる。

 宅さんが「おたく評論家」としてデビューしたのは、90年。91年の著書『イカす!おたく天国』によると、中学時代から「ジャイアントロボ」の再放送を求める署名運動をしたり、高校時代にアニメサークルを主宰していたりと、特撮やアニメの知識は豊富だった。

 同書では、湾岸戦争の分析に活躍した「『軍事評論家』という名の『軍事おたく』」を例に挙げ、オタクは「高度情報化社会の申し子」とうたった。大泉さんは「オタクだからこそできることがあり、ある意味のエリートなんだというプラス面を、主張したかったんだろう」とみる。

 ただ、外見のイメージは作られたものだった。大泉さんと接した実際の宅さんは、おしゃれなブランドのスーツを着て外車に乗っていた。テレビ出演の際は、オタクに見える服を探してきたのだという。「オタクと呼ばれていた当事者たちからは、演じていることはバレバレ。迷惑でもあっただろう」

 2000年代に入ると、オタクのものと考えられていたアニメや漫画が社会で広く受け入れられていく。オタクの主人公を好意的に描く「電車男」がヒットし、各地の大学でマンガ学部などができる。大人になっても漫画やアニメを愛好する人への偏見は薄らいでいく。次第に、宅さんの演じたオタクと、社会のオタク像はずれていく。

 宅さんは、自分で作ったイメージに縛られ、その後のオタク文化を学問的に議論するような流れには乗れなかった。「オタクの歴史を語るうえでは、あだ花のような存在でしょう」。それでも、大泉さんは、『おたく天国』を「オタクを肯定的に捉えた」という点で「革命的」と評する。「負のイメージが強かったオタクを、特定の分野に特化した優秀な存在として社会に伝えた。その意味はあると思う」(滝沢文那)=朝日新聞2021年1月13日掲載