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「方舟」夕木春央さんインビュー 「愛されないことの責任はどこに」ミステリーで問う

前提条件なしで楽しめるものを

――本作で本屋大賞にノミネートされましたね。今のお気持ちは。

 『方舟』は「ミステリー好きに向けたものを」と書き始めた作品だったので、本屋大賞という幅広い読者に読んでもらえる賞にノミネートされたのは望外の喜びでした。ミステリーマニアに向けた小説って、前提条件を踏まえて楽しむような作品が多いんですね。古典のトリックや展開をどう裏切るかが醍醐味というような……。ですが、今作は、結果的にそのような前提条件を意識せずとも楽しめるものになったと思います。そこが受け入れられた理由だとしたら嬉しいです。

――夕木さんのこれまでの2作品は大正時代を舞台にしており、今作が初めての現代ですね。現代設定ならではの難しさや、新しい試みについて教えてください。

 「次は現代ものを」と編集者さんからお話いただいたとき、であれば、現代であることが必然なものにしようと思いました。この作品は、「誰か一人を犠牲にしないと脱出できないクローズドサークル」というアイデアから始まった作品ですが、そこからトリックや動機を考えていったときに、自然と電子機器類が必須になった。「この物語は現代で書くのが最善だ」、そう思えたから書き進めることができました。

 ただ、ちょっと自信がないのは、僕自身が現代に詳しくないところ。カルト宗教を信仰する親の下で宗教2世として育ち、高校や大学に通うこともなく、いわゆる普通の社会経験を積むことがありませんでした。

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宗教2世の僕と「無敵の人」

――物語は、9人の男女が「方舟」と名付けられた謎の地下建築に閉じ込められるところから始まります。そこで殺人が起こり、「皮肉にも、旧約聖書のノアの逸話とは違って、洪水に見舞われているのは方舟の中」(『方舟』より)という状態になります。ここに私は、終末思想にとりつかれて宗教にすがった結果、献金や周囲との断絶など、現世で追い込まれる信仰の矛盾を感じました。これには、夕木さんの経験も反映されているのでしょうか。

 僕が「宗教2世」というテーマを書く時が来るとすれば、もっときっちり向き合って書くと思います。ただ、小説を書くとき、「誰が助かり、誰が地獄に落ちるのか」「誰が犠牲になるのか」というような黙示録的なテーマはいつも自然と浮かんできます。僕ら家族が信仰していた宗教は、そういう終末思想的なものというより、あるタイミングで世界が良い方に転換する、というものだったのですが……。行く先が地獄にせよ約束の地にせよ、幼少期に選民的な価値観にさらされていたことが影響しているのかもしれません。

――『方舟』では、誰かひとりの命をかけないと脱出できない状況に陥り、その「誰か」について、家族や恋人のいない、より悲しむ者が少ない人を選ぶべき、殺人犯をその犠牲者にするべき、という主張が展開されます。どんな思いを込めましたか。

 最近、「無敵の人」っていう言葉がありますよね。社会から疎外され、失うものが何もない、それゆえにどんな犯罪でもできてしまう。『方舟』では、犠牲者は殺人犯にするべきだ、となりますが、殺人犯もまた、「無敵の人」なんですよね。

 昔は力の弱い者、お金のない者は生き残れなかった。社会制度が発達し、そういういびつさが是正されてきたけれども、一方で、もし『方舟』のような状況で、愛されていない「無敵の人」が死ななきゃいけないとしたら、その残酷さに変わりはない。その人が愛されなかったことに、誰に責任があるというのか。難しい問題です。実際にはこんな状況は起こりにくいですが、形を変えた命の選別は現代でもあるのでは、と思いながら書きました。

ミステリーに没頭した日々

――夕木さんがミステリーを書こうと思ったきっかけは。

 「好きだったから」ということに尽きます。家庭環境がよろしくなかったときに、ミステリーの世界に没頭しました。その頃読んで、インパクトを受けたのは、エラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』。被害者がかぶっていた帽子がどこに消えたのかをたどっていくと、驚くべき真実にたどり着く。帽子やそのほかのごくありふれた日常的なものが組み合わさって、こんな非現実的な世界を描けるのかということが楽しかった。そこから古典を読みあさりました。

 思い返すと、『方舟』の地下建築に閉じ込められる、というシチュエーションは、江戸川乱歩の「悪魔の紋章」を少年向けにリライトした「呪いの指紋」が発想の種だったかもしれません。犯人がある人物を棺桶に入れて生き埋めにしてしまう、というシーンがあって、子ども心に「生きたまま埋められて、そのことを誰も知らないってめちゃくちゃ嫌だな」って思ったんですよね。

――そのほか、影響を受けた作家は。

 一番は、山田風太郎です。彼の作品は、ミステリーの要素と、小説としてのカタルシスが両立している。ミステリーの定番を壊し、しかもそれを、ミステリーの新境地を開拓するためでなく、あくまで小説として面白いから、という理由でさらっとやっちゃう。「妖異金瓶梅」や「太陽黒点」などは特にそうです。自分もそれを目指しています。

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矛盾の穴をふさぐ楽しさ

――最近、ドラマでも小説でも「考察」がブームです。この作品は読者の突っ込みを予め想定しているかのように、描写に隙がありません。「考察」ブームの中、ミステリーを書く難しさや醍醐味について教えてください。

 読者としての僕は、あまり細かいことは気にしないほう。でも書く上では、努力義務として物語の不自然さを排除したいですね。それは、考察ブームであろうとなかろうと。この、穴をふさぐ作業は、ミステリーを書く大変さと面白さのかなりの部分を占めていると思っています。

 今回、有栖川有栖先生に読了者専用のネタバレ解説をしていただいたんですが、その中で、作中では煩雑になることを懸念してあえて触れなかった点を、驚くような精度で説明して下さいました。作者に代わって、穴をふさぐ過程を再演して下さったのですが、有栖川先生が『方舟』を書いたんじゃないかというくらいで、お見事です、としか言いようがありませんでした。編集者の方から聞いたところによると、お願いした原稿の何倍もの長さで書いて下さったそうです。作品にとって、これほど幸せなこともなかなかないかと思います。

――夕木さんはSNSも持たず、覆面作家として活動されていますね。

 小説を書いていることを知られたくない知り合いもいるので、覆面でやらせてもらってます。それに、自分は作者がどんな人かという情報を入れずにフラットに作品を楽しみたいほう。あとは、SNSをやると、たった一文書くのにも、この文章でいいんだろうかってものすごく時間を取られてしまいそうで(笑)。個人としても一切やってないんです。

――今日もとても慎重に言葉を選びながら答えていらっしゃるのが印象的でした。

 小説は、編集者さんや校正さんがチェックしてくれるから安心して書けるんですけどね。読者の皆さんには、作品でコンタクトを取りたいと思います。

――最後に、この作品をどんな風に受け止めてほしいですか。

 すごく嫌な結末だって言う人もいれば、不思議な爽快感がある、と言う人もいて、そういう幅のある小説にできたことはよかったなと思います。作者としては、面白いと思ってもらえればそれ以上は望みません。僕の想定の読者は、僕なんです。自分が読者として読んだときに面白いと思えるものを、これからも書いていきたいです。