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野坂悦子さん翻訳「ミーのどうぶつBOOK」インタビュー 本能的な心地よさと生きものへの愛情に満ちた絵本

原初的な感覚と、魔法みたいな時間

――「耳」「森のなかで」「ブタ」「カタツムリ」など全部で16篇、見開きごとにとても短い話が1つずつ入っている絵本。魅力はどんなところでしょうか。

 一話一話、一見バラバラなようで、実は見えない糸でつながっています。最初の「耳」は、ミーがやわらかなブタの耳をそっと折ってみるだけの話。「曲げることもできましたが、紙のように折ることはできません」……と訳しながら私もおかしくて(笑)。ミーが草で耳をくすぐると「こら!」とブタは鼻をならします。

 その後のお話「ブタ」では、ブタがポロポロと涙を流します。ミーがブタの首に腕を回して慰め、農夫のおじさんが毛布をかけたり、スティップさんというおばさんが好物のカブをあげたりしていると、ブタがこう言うんです。「みんながあんまりやさしいので」「泣いていたわけを、すっかりわすれちゃったわ。あたしがなんで悲しかったか、だれかおしえてもらえません?」って。

 作者のハリエット・ヴァン・レークは、とても優れた感性の持ち主です。この絵本には、幼い子や動物のやわらかい肌をなでさする感じや、ゆっくり動くカタツムリをじーっと見つめているとあっという間に時が経ってしまうような、魔法みたいな時間の流れ……、そして生きものへの愛情があふれています。人のいちばん原初的なところへ下りていって、その触覚や視覚、時の感覚を表現しようとしているように思えます。

こんなふうに動物と暮らせたら

――他にもウマ、メウシ、イヌなど色々な動物が登場します。

 ミーは牧場でくつろぐウマに向かって「あなたのうえでねてみたい。かまわない?」と言って、お腹の上で寝ます。そしてウマの心臓がドキンドキンと動いたり、ウマが鼻息をたてたり、深いため息をつく音を聞いています。

 仰向けのウマの上に寝るなんて現実にはありえないけど、こんなふうに触れあって暮らせたらどんなに幸せか。ミーと動物は等価で、動物とミーは互いに自由です。

 ミーが「あたし、いちどイヌになってみたいな」と言うと突然その通りになる! なんて、驚くような話もありますが、スティップさんは「おりこうなイヌだねえ」とイヌになったミーをすぐ受け入れます。

『ミーのどうぶつBOOK』(朔北社)より

――スティップさんも謎の人物です。いつも不思議な丸い模様をくっつけていますね。

 「スティップ」というのはオランダ語でシミやぶちのこと。ぶちのあるイヌを「スティッピー」と言います。ここでは赤や紫色の丸い点なので、例えば「点さん」と訳してもよかったのかもしれないけど、本来の意味を狭めてしまう。だからそのまま“音”の通り「スティップさん」と訳しました。

 体にいつもシミがくっついているだけでも変なのに、しかもそのシミが体の上を自由に動くんですから……謎ですよね。スティップさんは気づくとそばにいて、ミーや動物たちによく食べ物を持ってきてくれます。

――のびのび描かれる動物たちの中でも、やっぱり印象的なのがブタですね。

 きれいなピンク色で、青い目に白いまつ毛のブタは存在感があります。最後から2つ目のお話「点」では、すごい勢いでブタが走ってきて「あたし、うれしい!」って言うんですね。草地で昼寝をしていたミーが「どうして?」と聞くと「うれしいから」と叫んで砂浜の方へ走り去っちゃう。

 普通は「なぜうれしいのか」と理由を書きたくなりそうですが、でもこのブタは「うれしい!」は「うれしい!」。もうそれだけなんです。スティップさんがきて「ブタをさがしてるんだけど」と聞くと、ミーは「とおくに、あのピンクの点がみえるでしょ?」「あれがブタ!」と指をさして答えます。この場面が私は大好きです。

『Het dierenboekje Mie(ミーのどうぶつBOOK)』オランダ語版の原書

ナンセンスの効用

――ミーやスティップさんと動物とのやりとりにほのぼのして、クスッと笑いたくなります。

 和むだけじゃなくて、ちょっとした言葉や場面のセンスにハッとさせられますよね。例えば、「子ヒツジ」というお話の中で、私は「赤いとんがりぼうしの小人が、なぜ急にここで出てくるのかなぁ」と考えます。小人が出てくるのはこの場面1回きりだし、前後にもなんの脈絡もないから。

 だけど、子ヒツジがいなくなって「食べられたかと思った」と心配そうに母さんヒツジが森を見つめていると、突然ひょこっと小人が森からあらわれて「こんばんは」ってパイプに火をつける。まるで「迷子にしたのはあたしじゃありませんよ」「オオカミでもありませんよ」っていうみたいに、平和な感じで(笑)。この唐突なおかしさがナンセンスの異化作用なんでしょう。価値の転換が起こり、偏見や思い込みがポロッと取れちゃうような。

 ハリエットの言葉には無駄がなく、それでいてあたたかみがあって、ユーモアがある。そうしたものが日本語に滲み出るといいなぁと思いながら訳しています。

ユニークな作品と出会って30年

――野坂さんの絵本翻訳家デビュー作は、ハリエットさんのデビュー作でもあるそうですね。

 ええ、『レナレナ』(初版はリブロポート、朔北社より復刊)は、ハリエットが初めて描いた絵本で、私にとっても20代で翻訳した最初の絵本です。ハリエットと私はほぼ同世代。日本では一度品切れになりながら復刊され、30年以上読み継がれています。

『レナレナ』(朔北社)

 『レナレナ』を見つけたのは、夫の仕事でオランダに数年住んでいたとき。オランダの優れた児童文学に贈られる「金の石筆賞」を1987年に受賞し、子どもの本屋さんに平積みになっていました。開いてみたらびっくり。「こんな絵本、見たことない!」と思いました。ひょろっとした女の子が、人間の友だちを相手にするみたいにミミズやネズミや小魚と対等に遊んでいて、古いサングラスや卵や……自分の髪の毛だって、おもしろくてたまらない。常識はずれの愉快な日々が、コマ割りで描き綴られるユニークな作品だったのです。

 日本に住む友人のおかげで、幸運なことに翻訳出版が決まりました。翻訳中に一度ロッテルダムのハリエットの家まで会いに行くと、家の中に小さなテントの人形劇場があって、お手製の人形劇を見せてもらったのが良い思い出です。

――翻訳者として長年のおつきあいがあるのですね。

 『ミーのどうぶつBOOK』は、実はハリエットのお母さんが以前描いた小さな手書きの絵本「Het hondeboekje Mie」(イヌ本 ミー)へのオマージュだそうです。お母さんの職業は助産師さんだったのですが、絵を描くのが大好きで、ハリエットの家にはその絵がたくさん飾ってありました。お父さんもオランダの新聞に連載を持っていた著名な漫画家でした。ハリエットが以前「自分の作品はみんな、どこか父と母に関係している」と話していたこともあります。

ハリエットさんのお母さんによる小さな手作り絵本「Het hondeboekje Mie」(イヌ本 ミー)の1コマ

 ふだんのハリエットは愛情深く、おもしろくて飄々としている……。一緒にいるとすごく楽しい人。でも翻訳者として長年つきあう中で、ハリエットは反骨精神が旺盛で、常に既成観念を疑い、物事の本質をとらえようとする人だということもわかってきました。美術大学で先生をしているので、授業を見学させてもらったこともあるんですが、学生たちの自由な発想を引きだす力に驚きました。学生たちに対して何ができるか、まったく手抜きをせずに向かいあうハリエットは、大人気の先生なんです。

野坂さんとハリエットさん。東京・目白にある、絵本の古本と木のおもちゃの店「貝の小鳥」の前にて

 例えばこの本では、ブタがとても印象的に登場しますね。オランダは農業・酪農国なので、家畜と人の暮らしも歴史があって、ブタとのつきあいも日本よりずっと深い。ハリエットは、今の社会でブタ、ウシ、メンドリたちなどが消費される物として貶められていることに心を痛めていて。『ミーのどうぶつBOOK』では、動物たちも人間と同じように、柔軟な心を持つ存在なのだと伝えようとしています。動物たちが、親子の深い情愛を示したり、生きる喜びを感じたり表現したりしているのには、そんな隠されたわけもあるんです。

お風呂にゆったり浸かるみたいに

――この絵本をどんな人に紹介したいですか。

 そうですね……。子育て中の方、赤ちゃんの肌に触れたことのある方には「この絵本には、赤ちゃんのふわふわの肌を触るときのような気持ちよさがあふれているんですよ」と伝えたいです。

 ネコとか動物を飼っている方には……ネコのやわらかい肉球を「ちょっとイヤがっているかなぁ」ってネコの様子をうかがいながら、いつまでもなでていたい感じの気持ちよさ、と言えば伝わるかしら(笑)。

 学校生活や塾に疲れちゃったティーンエイジャーには「あなたは生きてるだけでいいし、他にも命があって自分も生かされているんだなあと、お風呂に浸かるみたいにゆったり絵本を味わってね」とメッセージを送りたいです。

 ぜひ皆さんに、だまされたと思って手にとってもらえたら。「ちょっとだけ、読んでみようかな」と開いて、ふふっと笑えたら……それはもう最高の喜びです。