人生の先輩の言葉に学ぶ 平凡社「のこす言葉」シリーズ
記事:平凡社
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人間は本来、誰もがアニミストなんです。けれども、それに気づいていない。もっと生きもの感覚を磨くことだ。もっと自由に、勝手に、平凡に生きればいい。アニミストとして、生きものを大事にできる人間におのずからなってほしい。『金子兜太 私が俳句だ』より
1919年生まれ、2018年没。金子兜太さんは、本書の制作中、98歳で逝去され、残念ながらこの本が「最後の言葉」となってしまいました。「反骨の俳人」と呼ばれ、俳句の世界に新しい風を吹き込み続けた金子さんの自然観、人間観は、世界を見る眼をクリアにしてくれます。
模型の絵をもらうくらいなら、芥子の花をもらったほうがよっぽど美しい、そっくりがいいなら、写真のほうがいい。そうじゃないから、人は絵を見たいと思うんだろうね。――『野見山暁治 人はどこまでいけるか』より
1920年生まれ。2014年に文化勲章を受賞した洋画家。戦時下の混乱を乗り越え、第一人者として今なお精力的に活躍する野見山暁治さんの言葉は、画家としての覚悟に満ちたものです。芸術とは何かということを教えてくれます。
映画は歴史を変えることはできないかもしれないけど、未来の歴史を変える力はあるかもしれない。――『大林宣彦 戦争などいらない‐未来を紡ぐ映画を』より
1938年生まれ。『時をかける少女』『花筐/HANAGATAMI』など日本を代表する名画の数々を制作してきた映画監督の大林宣彦さん。近年はガンと闘病しながらも、反戦をテーマにした映画を作ることに情熱を注いでいますが、その思いを言葉にしてくれました。
生物学から言えば、「今の子どもたちは」なんて言葉はないわけ、いつだって同じ。私の時代の子どもと、今の子どもが違うとは思わない。ただ、子どもは大人を見て生きている。だから、大人がどう生きるかでしょう。――『中村桂子 ナズナもアリも人間も』より
1936年生まれ。科学の枠にとらわれない多彩な活動をエネルギッシュに展開している生命誌研究家の中村桂子さん。その言葉には、生物学の知見からくるある種のシンプルさと、次世代にできる限り良い社会を渡したいという強い責任感が感じられます。
分類するとわかったような気になるから、分類しない。――『安野光雅 自分の眼で見て、考える』より
1926年生まれ。国際的な絵本作家として名高い画家の安野光雅さんは、常にオリジナルな視点でものごとを見ることの重要性を強調されています。分類してではなく、本当にそのものがわかったとき、人は感動できると安野さんは言います。
ダメなら諦める。山では「あと一時間登れば目標達成」というような場所でトラブルが起こったりします。それでも引き返す勇気といいますかね。生きて帰れば次のチャンスがある、という方を取るべきだと思うんです。――『三浦雄一郎 挑戦は人間だけに許されたもの』より
1932年生まれ。南米最高峰アコンカグアへの86歳での挑戦が話題となった登山家の三浦雄一郎さん。「引き返す勇気」という言葉を、これほど説得力をもって語ることができるのは、三浦さん以外においていないでしょう。
私たちの偉大な発明はすべて、夢から始まりました! 車輪、人類の月面歩行、病気を予防するワクチン接種、ベートーヴェンの交響曲――どれもみな、想像力、つまり果てしなく広がる内なる世界から花開いたものです。――『ルース・スレンチェンスカ 九十四歳のピアニスト 一音で語りかける』より
1925年生まれ。90歳を超えてもなお、現役の演奏家としてピアノを弾き続けるルース・スレンチェンスカさんが、多くの聴衆を感動させる原動力は「夢」なのです。
よく「歴史に学べ」といって、歴史を教訓にしようとする言葉がはやりますが、そうじゃなくて、「歴史を学べ」の方が今の日本人には正しいと思います。まずは、知ること、そうして歴史を学んでいれば、あるとき突然、目が開けるんです。――『半藤一利 橋をつくる人』より
1930年生まれ。ベストセラー『昭和史』の著者であり、私たち日本人の負の歴史を語り継ぐ半藤一利さんは、歴史を学ぶこと、知ることの大切さを私たちに教えてくれました。その大切さを子どもたちにも教えていかなくてはならないでしょう。
遊ぶには、頭と心と体を使います。上手に遊ぶ子は想像力が豊かだし、うまく遊べない子は想像力が乏しい。そこで「私の仕事は、彼らの想像力を育てることだ」と考えるに至ったのです。想像力を育てるには文学です。――『中川李枝子 本と子どもが教えてくれたこと』より
1935年生まれ。小さいころ、絵本『ぐりとぐら』シリーズが大好きだったという人は少なくないはずです。その産みの親である絵本作家の中川李枝子さんは、よく遊ぶ子は想像力が豊かで、その想像力を育てるために本が読むことが重要だとうったえます。
悪いことは、良いことのためにしかやって来ない。――『黒沼ユリ子 ヴァイオリンで世界から学ぶ』より
1940年生まれ。日本、チェコ、メキシコと世界をまたにかけて活躍してきたヴァイオリニストの黒沼ユリ子さんは、世界各地でさまざまなアクシデントを乗り越えて、成功を手にしてきました。その波乱万丈の人生を支えてくれたこの言葉は、移住したメキシコでおぼえた格言だそうです。