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食を仕事にすること――「都会の囲炉裏」としてのパン屋 甲田幹夫+按田優子 

記事:平凡社

按田優子さんと甲田幹夫さん(写真:名取和久)
按田優子さんと甲田幹夫さん(写真:名取和久)

甲田:按田餃子の開店っていつだったっけ?

按田:2012年の4月です。

甲田:じゃあその頃かな、顔を合わせたのは。

按田:その前に、ルヴァンのカフェのル・シァレで台湾屋台麺のイベントをさせていただいて。

甲田:あー、そうだった。何歳で開店したの?

按田:35歳ですね。

甲田:俺は33歳だったから近いね。まあ、スタートとしては遅いよね。その前はなにをやってたの?

按田:学生時代から10年間、ブラウンライスでお菓子とかパンを焼いてました。

甲田:あー! そうか、懐かしいね。ブラウンライスを始めた彼女は、その前にルヴァンの調布店を手伝ってくれてたんだよね。

按田:そうなんですよね。だから甲田さんは、わたしの親方の親方というか(笑)。

甲田:直接仕事で関わりはあんまりないんだけど、まあご近所さんっていうね、つきあいだよね。

按田:おやつの時間にお邪魔したり、煮ものを持っていってパンもらってきたり。銭湯の行き帰りでばったり会うことも多いですよね(笑)。

甲田:俺、アンちゃんの実家の銭湯も行ったしね。

食の仕事につくまで

――按田さんは食の仕事以外の経験は?

按田:していないです。

甲田:あれ、そうなんだ。

按田:はい。大学在学中にバイトしていた飲食店にそのまま就職して、まず5年は頑張ろうと思って10年経っちゃいました。職場には尊敬する親方がいたので決して居心地は悪くなくて、23歳で工房長になって製造の流れも自分で考えられたり。いい経験をしたと思っています。

甲田:尊敬する上司がいることはなにより大切だね。早く店を持ちたいとか思わなかった?

按田:製造業はもちろん好きだったんですけど、自分がなにをつくって起業するかはまったく想像がつかなくて。逆にほかの、例えば事務職のスキルなんかもないまま時間が過ぎて、だんだんつぶしがきかなくなってきちゃったかもって焦ったりして、結構悩んでいました。

――甲田さんもそういうふうに悩みました?

甲田:うーん。それほど(笑)。3年はひとつの仕事をやって1年休み、で、失業保険もらってまた3年、って感じで、まあテニス講師かスキー講師で食えればなあと。実家をいずれは継ぐんだろうとうっすら思っていたのもあったかな。

按田:生活は困らなかったんですか?

甲田:姉のところに長く居候してた。よく受け入れてくれたよね、ダンナも子どももいたのに「居候、3杯目もしっかり食い」だもんね(笑)。子どもたちにしてみれば、へんなおじさんが出入りしてるよ、みたいなね。お金もないからお小遣いなんてあげられないしね。

甲田さんが焼いたピタパンに按田さんのオリジナル具材を挟んだ“合作”を食べながらの対談。旧知の仲だけに話が弾む(写真:名取和久)
甲田さんが焼いたピタパンに按田さんのオリジナル具材を挟んだ“合作”を食べながらの対談。旧知の仲だけに話が弾む(写真:名取和久)

オリジナリティーってなんだろう

――開店当初、集客は工夫しましたか?

甲田:本当の初期は、チラシの端に三角切り取りの券をつけたりはしたよね。

按田:え! ルヴァンでもそんなことを!

甲田:やった。これ持ってきてくれたらパン1個サービスとか。自分たちでチラシ配ったり、ポスティングやったりね。

按田:按田餃子も最初はポスティングやりました! あとは駅前で配ったり。

甲田:三角は?

按田:ないです。「来てください」だけ(笑)。

――それなりに効果はありました?

甲田・按田:(同時に)うんうん。

按田:いつも通るルートが曲がり角ひとつ違うだけで、意外に近所でも存在を知られなかったりするので。知ってもらう効果はありましたね。

甲田:当時は携帯で調べるなんてなかったしね。あとは試食かな。うちのパンの味を知ってもらうのが一番てっとり早いって思ってたから。

按田:うちの餃子は、オープンした頃は特に、最初に食べた人が、おいしいのかマズいのか、判断しづらい餃子だったみたいで(笑)。

甲田:そうなの?(笑)

按田:嫌いなら「これは嫌い」、好きなら「好き」って言えばいいことなんですけど、世間的にどうなのか評価が定まらないうちは、みんな沈黙していて。ヘタに口に出して、あとで世間で逆の評価が出たら自分がちょっとカッコ悪いみたいな。だから様子見されていた感じでした。

甲田:様子見とは今的! 最近は行列してるね。

按田:あるとき、世間的に一目置かれている人が、いい評価を発信してくれたんです。そうしたらスイッチが入ったみたいに、沈黙していた人たちが一斉に「わー! 僕たちもそう思ってました~!」ってなって、今に至っている気がします(笑)。

甲田:うちも最初は知り合いとか、まあ開店のご祝儀みたいな感じで結構人は来てくれたんだけど、ちょっと経ったらさっぱりになっちゃって。あの頃が一番不安だったなあ。

――ルヴァンも最初は、酸っぱいとか固いとか、それまでのパンのイメージと違うという意味で「様子見が必要なパン」だったのでは。

甲田:……そうね(笑)。

按田:お客さんに様子見されてるな、って実感はありましたか?

甲田:あったあった。富ヶ谷で3、4年。

按田:あー、わかります。

甲田:毎年夏場は特につらくてね。パンは夏は売れないわけ。道に人も歩いてないしね。だから暑い厨房(ちゅうぼう)でパンを焼きながら、いつ秋がくるのかなあ、まだ戻ってこないのか……って、もう本当に切実に思ってたよね。やっぱり小売りは水商売で、お客さんが仕事の流れをつくる。暇だと店の雰囲気もよくないし、ろくなことがない(笑)。そのころは調布(卸)があったからまだよかったけど、富ヶ谷のオープンはバブルの終わり頃だったから、とにかく不動産も高いわけ。保証金も1000万以上とか。

按田:えーーっ! 高いっ!!

甲田:駐車場だってあっても借りられない。売っても売っても家賃に消えていく感じだったよね。

――それでも、味を変えてみようとか、流行(はや)りのものをやろうとか、ある意味、世の中のニーズに合わせようとは考えませんでしたか?

按田:タピオカやってみよう! とか?(笑)

甲田:いいねえ!(笑) そうだね、思わなかったかな。材料や味を変えるつもりはなかったね。自分がおいしいと思っているのはこの味だったしね。アンちゃんもそうじゃない?

按田:そうですね。食を商売にする以上、絶対に評価はされるわけで、通用するかしないかなので怖かったけど、だからといって意に沿わないティータイムセットを始めようとは思わなかった。そんなもので勝負したくなかったですね。

甲田:様子見されてる餃子でいくしかないと(笑)。

按田:そう。もう、あの餃子のまま死んでいくしかないと(笑)。餃子屋がやりたいというよりは、腕だめしみたいな気持ちが大きかったので、余計そうだったのかもしれないです。

――現在甲田さんは製造から離れているし、按田餃子もスタッフが調理している。なのに、それぞれが評価されて、唯一無二の店になっているところが興味深いです。

按田:わたしはレシピとかオペレーションを考えるけれど、厨房はスタッフみんなの場所と思っています。うちは調理も含めて、作業を単純化・分業化しているので、パッチワークみたいに働ける。自分もそのピースのひとつでよくて、“按田さん”がいるいないは関係ないんです。

――ある意味フランチャイズ的ですね。

按田:まったくそうです! だからスタッフも飲食の経験者って本当に少なくて、それで十分働いてもらっていて、それが嬉(うれ)しいんです。

――ルヴァンのオリジナリティーはまた、別のところにありそうです。レシピなんでしょうか?

按田:あの味は特別です。基はあるんですか?

甲田:本当に原点みたいなレシピはあったけどね、ブッシュさんの。でもそのあとは結構考えたよね。真似するパンもないし、本もないし。

按田:現在の商品ラインアップも、ほぼ甲田さんのレシピですか?

甲田:いや、新しいレシピもありますよ。

按田:それはスタッフのレシピ?

甲田:そうだね。製造がつくって、みんなで試食して、おいしかったら商品にしようかって。

按田:決定権は甲田さんにあるんですか?

甲田:いや……あんまり聞いてもらえないこともあります。俺の意見なんて「ぺんっ」てやられちゃうんだよ(笑)。あくまでもいろんな意見のなかのひとつで、別に俺だからって特別扱いはしてもらえないの。

――店主やオーナーが決定権を持っているから店の特色が際立つわけではないんですね。

甲田:決定権……憧れますねえ(笑)。やっぱりスタッフが働いてくれて、お客さんが来てくれて、それで店が回るんだよね。

按田:わかります。うちに興味をもってくれて、働いてくれるスタッフがいるから店がある。

甲田:スタッフこそ店、って感じかな。みんなでつくってるっていうかね。

按田:まさに! ルヴァンはスタッフ全員がルヴァンそのものって思います。

甲田:俺はね、お金と商品の受け渡しだけじゃなくて、なるべく余計な話をするように言ってるの。天気でもなんでもいいから余計な話を。

按田:それ、まさに甲田さんですね(笑)。

ルヴァンは都会の囲炉裏

按田:子どもの頃、近所の建設中のワンルームマンションをのぞきに行ったことがあるんです。

甲田:しのびこんだの?

按田:はい(笑)。うちは銭湯だったんで、生活スペースも広いんですよ。木造のからくり屋敷みたいな。それで、初めて真っ白な、鰻の寝床みたいな四角い空間を見て。将来ひとり暮らしをすると、こんなところに住まなくちゃいけないの? すごい嫌だなって。

甲田:憧れたんじゃないんだ。ませてるねえ。

按田:ぞっとしました。で、このあいだ行ったペルーでそれを思い出したんです。行ったところはジャングルで電気や水道も整っていないんですが、それぞれの家の土間にバーベキュースタイルの囲炉裏のような場所があるんです。そこが早朝から日暮れまでの食の場になっていて。朝から夕方まで炭火の勢いに応じて、ずっといろんな料理がある。いつでも何かしら食べることができて、すごく合理的な自炊なんです。

甲田:朝昼晩で食べるわけじゃないの?

按田:はい。そして家族だけで食べるわけでもないんです。そのへんの子どもがふらっと入ってきて、鍋からつまんでいったりして。家族の区分けすらよくわからない。

――ルヴァンぽいですね(笑)。ルヴァンの食事タイムやおやつは、だいたい通りがかりの近所の人がいて、その人が給仕してくれたりして。誰がスタッフかわからなくなります。

按田:そうなんです! ルヴァンぽいんです! それで昔のことを思い出して。自立や自己管理って、閉じた空間の中で自分の感情や生活が完結することじゃない。外に向かって「助けてください」って言えることも自己管理なのに、あのワンルームは、それをせずにコンビニでチンして誰にも迷惑かけずに解決しろよ、って強要される物件だったなと。食事ひとつとっても、壁の外を含めてもっと広く、自分の居場所を持つほうがよっぽど健全な自立だと思いました。

甲田:それは外食という意味じゃなくて?

按田:ルヴァンを自分の囲炉裏として活用するって意味です(笑)。

甲田:ほう、なるほど。いいねえ。俺も、それでいいと思ってるよね。お金を払う、払わないではなく、利用し、利用される。昔の「隣組」のような、借りたり、貸したり。もらったり、もらわれたり。もらいっぱなしでもいいんだよ。

――もらいっぱなしでもいいとは、すごく心強いですね。困ったら頼っていいんだよ、と。

甲田:いずれどこかに還元されていくものだからね。世の中は回ってるから。ルヴァンを囲炉裏として使ってもらうのはいいよね。

按田:やったー! これでもう、ワンルームマンションも怖くないです(笑)。

甲田:ル・シァレは経営的には全然厳しいんだけど、あの場があることで、商売だけじゃないつながりができるでしょ。人が寄れるというか。

按田:場として意味があるんですね。

甲田:俺が夕方コーヒー飲みたいっていうのもあるけどね(笑)。俺もアンちゃんも、実家が商売をやってて、小さい頃から他人が出入りする環境に慣れていたでしょ。それは大きいよね。人が来るのは嬉しいことだって覚えたし。

按田:そうですね。来たからには喜んでもらうぞ、って鼻息も荒くなる(笑)。

甲田:他人に対する垣根が低いっていうか、ちょっとウケたいって下心があるんだよ。

按田:お互い、末っ子ですしね(笑)。

甲田:笑わせたほうが勝ち、みたいなね(笑)。

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