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桜と政治哲学――隠された意図に気づくために 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

ねがはくは花の下にて春しなんその二月の望月のころ 西行

 国学の大成者、本居宣長は山桜を愛した。坂口安吾が「桜の森の満開の下」で 描いた、見る人に狂気を魅せる桜はきっと山桜だ。花の美しさは人の心を惑わすとともに、現実を覆い隠してしまうときがある。特に戦時下の日本において、桜が果たした政治的役割を分析したのが、大貫恵美子『人殺しの花 政治空間における象徴的コミュニケーションの不透明性』(岩波書店)だ。

 桜が象徴的に使われた顕著な事例として、特攻部隊に本居宣長の歌(敷島ノ大和心ヲ人問ハバ朝日ニ匂フ山桜花)からとった「敷島」「大和」「朝日」「山桜」が名付けられたことは有名である。大貫が指摘することは、このとき宣長が詠んだ満開の桜の様子が、時に散りゆく桜のイメージに反転して利用されていたこと(桜の多義性)。また、日本人にとってなじみのある桜の美しさが、実際には残酷な「散る=死ぬ」という行為を美化し、ナショナリズムを鼓舞するために利用されていたことを論じる。

 この、なじみある桜(日常性)が政治空間(特に戦時下のような例外状態=非日常性)において用いられることで生じるコミュニケーションの非対称性(≒不透明性)をテーマとするところが、本書のユニークな点である。

 本書は非常に意欲的であり、桜のほかに、米や、ナチスにおいてバラが担わされていたイメージなども分析している。その分析は様々な角度からなされており隙はないが、より深く掘り下げる余地は残されている。幸い、大貫は博覧強記で関連著作へ言及しており、それを手引にすればよい。その点で、本書は同様のテーマについて学ぶ人にとって、レファレンスとしても活用できるだろう。

君がため花と散りにしますらをに見せばやと思ふ御代の春かな 加納諸平

 大貫は、目に見えない、聞こえないが常に日本国民の意識に厳然と存在していた(=無のシニフィアンとしての)天皇の存在についても詳細に分析しているが、ここで参考にしたいのがルース・ベネディクト『菊と刀 日本文化の型』(越智敏之・越智道雄訳、平凡社ライブラリーほか)だ。日本文化を語る上でしばしば言及される古典であり、日本に対する偏見・事実誤認も含めて論じ尽くされた感はあるが、読む度に新しい発見がある1冊である。

 ベネディクトは、敵国である(彼女含むアメリカ側からみれば異様な)日本人の行動様式を研究し、その根本にある天皇の存在を論じる。ベネディクトは大貫同様に、天皇が直接支配を行わない=見えない存在であることで、かえって「神性」が高められていたことを指摘し、その結果、天皇が日本の象徴として機能し、「母国(日本)のため」はすなわち「天皇のため」となり、「お国のために死ぬ」は「天皇のために死ぬ」というロジックに至る。

 天皇の存在は、神性であるがゆえに決して日常性を帯びてはいないが、目に見えないことで常に意識の中に常在していた。桜=日常性、美。天皇=常在性、神性。コミュニケーションの不透明性がここに見られる。

きみを待たしたよ櫻散る中を歩く 河東碧梧桐

 最後に、政治的な概念を分析するにあたって、ある程度思考のトレーニングを行おうとするときにお薦めしたい本が、ロバート・タリース『政治哲学の魅力』(白川俊介訳、関西学院大学出版会)だ。この本の一番の特徴は、この手の学術書にありがちな専門用語の応酬が一切なく、前提知識もほとんど求められていない。可能なかぎり学習者が途中でつまづくことのないよう実によく工夫されている。例えば政治哲学の概説書で必ずといって記載されるジョン・ロールズの正義の2原理についても解説はなされない一方で、よりよく学びたい読者のために丁寧な読書案内が付けられている。

 本書が分析する概念は、「自由」「権威」「正義」「民主主義」の四つ。身近な例を引き合いに(アメリカ的な文脈が中心で、日本人になじみのない例もあるが)、これらの概念をいかに分析するのかの適切な手本を示してくれる。古今東西の哲学者・思想家がああ言った、こう言った、ではなく、それぞれの概念が論じられてきた流れを丁寧に追うことで、概念分析の枠組み、考え方を自然に学ぶことができるだろう。

 本書で学んだ概念分析の考え方を応用すれば、「自由」→「非常事態における渡航制限」や、「正義」→「消費増税の賛否」など様々な政治的トピックについて考える際の視野を広げることができる。考えることを通して政治を自分ごととすることは、隠された意図を露見させ、コミュニケーションの不透明性から身を守ることにも役に立つ。

 「実際に、自由民主主義を動かすのは、市民が根本的な政治的課題について反対できるということである。」(P.258)

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