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新型コロナの「空気」「自粛警察」 同調圧力の中で一貫性を持って生きるには―― 辻田真佐憲さんに聞く

文・写真:吉野太一郎

辻田さんが選ぶ「空気」を巡る本

  •  『空気の研究』(山本七平、文春文庫)
  • 『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか、中公文庫)
  • 『流言・投書の太平洋戦争』(川島高峰、講談社学術文庫)

オンライン取材に答える辻田真佐憲さん

SNS社会論として読む、時代の連続性

『空気の研究』(山本七平、文春文庫)

  現代の雰囲気が戦前と似ているのではないか。いろいろなところで聞かれますが、この問題は極端になりがちで「何でも戦前」みたいなことを言う人もいて、それがネットでも受けるので、注意が必要です。

  歴史を見る時には「類似」と「差異」の両面を見る必要があります。たとえば、戦前は監視社会と言われますが、当時は警察官の数も今ほど多くないですし、警察の監視網も全国に津々浦々にあったわけではない。監視カメラやICレコーダーもない時代、隅々まで監視しようと思ってもできなかった。ではなぜ、井戸端会議での会話が通報されて捕まったのかというと、密告者がいたからです。

  隣組に代表される相互監視によって、「こいつは自粛しない」、つまり国策に協力していないといった、ある種の密告がなされて逮捕に至るケースは「特高月報」など特高警察や憲兵隊の資料で確認できます。上からではなく、下からの同調圧力は、共通点として指摘できるでしょう。今風に言うと、ある種の「自粛警察」ですね。

  一方で、当時は「上からの圧力」もかなりあった。例えば工場などへの動員に行かなかった人などを、実際に法律で取り締まる根拠があった。今は飲食店が営業を自粛しなくても、警察が来て逮捕されることはない。あくまで「要請」という違いは大きいと思います。

  その意味で、『空気の研究』は、現在の状況に引きつけて読める本です。改めて読み返すと、SNS社会論としても参考になる点が多い。「ネット右翼」や「ネット左翼」といわれる人たちがいますが、思想信条に関係なく、ほとんど行動パターンは一緒なんですよね。その時々の話題に食いついて、いかに話題になるかを気にしているけど、1週間たつとまったく違う話題をしている。「バズる」といったSNSの反響に人々が支配されていることが、山本が指摘した「空気」と重なるんです。

 ――「空気の研究」は約40年前に書かれた雑誌の連載をまとめた本ですが、さらに30年経った今読んでみても、そんなに大きく変わらない。戦後70年以上の流れの中で、一種の連続性や一貫性すら感じられます。

  山本は、40年前の論壇の雰囲気を、戦前の軍国主義の時代と行動原理は一緒ではないかと、やや冷めた視点で批判しています。具体的には、戦前であれば忠君愛国、山本七平が生きていた時代であれば「正直者が馬鹿を見ない社会であれ」といった価値観です。それが絶対的命題となり、歯向かうと「抗空気罪」「全体空気拘束主義」で罰せられると表現しているわけです。

  山本によれば、中東や西洋など一神教の世界では、絶対神がいるので、それ以外のものはすべて相対化される。従って空気には支配されない。一方でアニミズム(多神教)の日本には、絶対神がいない。だからこそ、その時々の相対的なものが絶対的命題に祭り上げられていき、人々がそれに拘束されてしまうという話をしています。つまり、日本は基準が曖昧だと言うわけです。

 こうした社会は柔軟な面もあるわけで、基準がゴムのように高伸縮するので、時代の転換にうまく乗れたときは変化に追いつけることもある。しかし空気が収縮すると、科学的なデータも関係なく「今はもうこういうことを言えない」とか「科学的には正しいことを言ってるのに、空気と反するからすごい叩かれてしまう」など、際限なく制限されてしまう。

  西洋と日本、一神教と多神教といった考え方は「そんな単純じゃない」と今だったら批判も受けそうですが、人間の生き方には2種類ある。常にバズったものばかり追いかけて、一貫性がない人。そういうものと距離を取って、できるだけ人として一貫性を持ちたい人。そう読み替えれば、今の社会にも結構当てはまるところがあると思います。

 合理性よりも組織融和を優先する「空気」

『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか、中公文庫)

  太平洋戦争末期に日本軍が壊滅的な敗北を喫した「インパール作戦」など、作戦の合理性よりも、内部の協調や組織間の対立を招かないため、無理だろうと思われていた作戦を実行してしまったという指摘は、改めて現代の「コロナとの戦い」に重ねる人が多いのだと思います。

  私も戦前の大本営など、組織間の融和を優先して動いていた歴史を研究しているので、現在もそうした動機で動いている側面はあるかもしれないと推測はできます。ただ、これに関してはある程度時間が経ってから、政権交代などで出てきた証言を突き合わせることで、当時と現在の比較も可能になるのではないかと思います。

  たとえば旧防衛庁で「天皇」と呼ばれた大物官僚・海原治は、戦前に内務省に入った時に先輩から「明哲保身の術」を教わったと回想しています。会議では最初は黙っておけ、ある程度議論が展開してくると、どっちの方向に行きそうなのかが分かってくる。その時に「勝ちそうだ」と思ったところに同意する意見をその場で言う。そうすると「こいつはいつもちゃんとしたことを言うやつだ」と評価が上がり、お前は出世できるぞと言われた、という話です。

  助言したのは灘尾弘吉。戦前は内務次官、戦後は政治家となって文部大臣や厚生大臣を歴任しました。海原は反発して、自分は好き勝手を言うと心に決めるわけですが、結局、事務次官になれなかった。官僚として上り詰めた人のアドバイスが「空気に支配されろ」だったということは「空気支配」が官僚機構の中にも当たり前の構図として存在することを象徴しています。

  そもそも公務員とは何かという、根本的な話ですね。政権もコロコロ変わるかもしれない、その中で公務員として一貫してやるべきことは何なのか。奉仕するべきなのは誰なのかという問題に立ち戻らないと、「組織間の調和」や、単に「出世したいから」といった方に動かされてしまう。その結果、目の前で起きている問題を、今の政権の好みといった、一貫性がない場当たり的な対処になってしまうのではないかと思います。

 「空気」にどれほど人々は順応したのか

『流言・投書の太平洋戦争』(川島高峰、講談社学術文庫)

  戦時下に警察や憲兵が集めた流言や投書を研究した本です。「空気」がいかに力を持っていたのか。当時の人々の「空気」に順応した熱狂ぶりや、実は裏で思っていたことを表に出せなかったといったことが記録されている。山本七平が、戦艦大和の出撃決定など端的に取り上げた戦時下の話も、当時の状況をより詳しく知ることができます。研究書ですが文庫で比較的読みやすいですから、拾い読みだけでも面白いですね。

  また、書籍ではありませんが、戦時中、日本では防諜(スパイ対策)の重要性を説く講演や歌のレコードが発売されていました。そうした音源をまとめたCD「あなたは狙われている #防諜とは スパイ歌謡全集」が2014年に発売され、私も監修に加わっています。スパイ対策と称して上から民衆に圧力をかける宣伝に、当時のレコード会社が順応して商品を作っていた。そうした時代の記録でもあります。

 ――新型コロナを巡る政策決定の過程で、日本は公文書や記録類の保管が政策的に非常に軽視されていることも、改めて浮き彫りになりました。社会の文化として指摘する人もいます。

 今はネット上の誹謗中傷が話題になっていますが、「これで政権が倒れる」「これで社会がガラッと変わる」レベルの話が、次から次に消費されて、あっという間に忘れられていく。そういうことを繰り返すこと自体、あまりにも単純すぎないかという反省が必要になってきているのではないでしょうか。

  そもそも戦前を持ち出すまでもなく、2011年の東日本大震災のあとも、福島差別や「節電しろ」と強要する自粛警察がいたわけです。10年も経たずに、また同じことをしているのは、忘れているか、覚えていても愚かな行為だと思っていない。むしろ非常時だから仕方ないという受け止めになってしまっているからではないか。

  最近私は、コロナ関係の差別事件を集めた記事をネットメディアに書いています。営業を続ける飲食店に石を投げたり、落書きしたりという「自粛警察」の行為は、我々が学校教育で「やってはいけない」と教わったはずのことで、もはや単なる差別事件です。人としての一貫性を保つためにも、単なる愚行として意識的に記録し、記憶を継承しておくことが大切だと私は思います。そうしないと、また忘れて、またいつか繰り返されますから。

 SNSという現代の「空気」支配から脱するために

  『空気の研究』で山本は、空気からの脱却を説くわけです。戦時中の天皇制絶対主義から、戦後の左翼が強い言論空間を両方見てきた山本は、あまりに人々が簡単に自らの主張を入れ替えすぎていると思ったんでしょう。両方の歴史を記憶した上で、いかに一人の人間として一貫性を持って生きられるのかを考えようとしたんだと思います。

  ただ、山本はどちらかというと一神教的な価値観に解決策を見いだそうとした。多神教と一神教の対立軸というのはあまりにも単純化しすぎなので、このような時代だからこそ、SNSから距離を取って、一個の人間として一体性をどう保つのかを考えないといけないと思います。人間が愚かなことは簡単に変わらないので、諦めと同時に覚悟をもって臨まないといけない。

  戦後社会も時代は流れ、今は右翼が強い時代となり、そしてまさに今、時代の変化の最中でもあるわけです。そこでいかに一貫性を保てるかが問われていると思うんです。

  最近もネットの誹謗中傷が問題になっていますが、あの空間では、普段は善良な人間が、信じられないような卑劣な行為を、集団心理でやってしまう。山本七平は、空気は閉鎖空間で発生するから、そこから出ることが大切だと説いていましたが、今はSNSが逆に閉鎖空間になっていると思うんですよ。

  反時代的に聞こえるかもしれませんが「バズったもん勝ち」、炎上してでも数字を稼いだ者勝ち、みたいな風潮が、今はあまりにも強いので、SNSを離れて、一人で本を読んだり何か考えたりすることが、逆にその「空気」から脱出する手段だと思っています。

  現代社会でSNSを完全に遮断して生きていくことはできないので、違った価値観を自分の中でもう一つ養っておくことが大切だと思います。今の社会はこうだけど、長い目で見るとこうではないかという「ダブルの思考」を常に持つことですね。そのためには普段から古典や映画に親しみ、歴史を俯瞰するなど長いスパンで物を考えることが、安全装置になっていくと思います。