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個人の尊厳、まだ学ばねば 樋口陽一「自由と国家」

写真・飯塚悟

 この本は1989年の夏に書き始め、11月に刊行されました。89年は、国内では1月に天皇が亡くなって「昭和」が終わり、世界では年末に向けて東欧で次々に社会主義政権が倒れ冷戦が終結に向かう、激動の1年でした。
 執筆をしたきっかけは、その年の7月にパリで、フランス革命をテーマにした国際研究集会に出席したことでした。革命が起き人権宣言が書かれた1789年から、200年がたったことを記念する集会です。1789年は、近代立憲主義が打ち立てられた巨大な画期でした。
 ただ、西欧の知識人の間では当時、「西欧近代」への自己懐疑が広がっていました。植民地支配や第三世界からの収奪の上に成り立っていたものとして、自身の歴史を否定的に見る考えです。他方、日本を含む西欧の外では、近代立憲主義を人類普遍の原理だとするのは「西欧の押しつけ」だという批判も挙がっていました。

戦前の「立憲」 途絶えた理由、再考を

 パリに集まった研究者たちに向けて私は、1789年は今なお人類にとって積極的な意味を持っているはずだ、と訴えました。
 フランス革命は身分制の網の目から「個人」を解放し、自由にしました。裸になった個人と強力な国家が向き合う構造を前提に、憲法で国家を縛り、国家の権力を分立させることによって、国家の圧迫から個人の尊厳と人権を守る。それが近代立憲主義です。西欧起源の概念ではありますが、その価値は普遍的だと私は考えます。
 1989年当時の日本には、「もはや西洋に学ぶものはない」という無邪気な楽観が満ち満ちていました。経済大国気分の絶頂期です。「そうではない。まだ西洋近代から学ぶことはあるはずだ」と訴える必要を感じました。
 本を執筆する直前、日本では巨大な「自粛」現象が起きています。昭和天皇が倒れたことをきっかけに、人々もメディアも「自由」に自らフタをしていったのです。近代立憲主義を反映した日本国憲法が誕生して当時40年余り。自粛現象が示したのは、自由であるべき個人の思想が「世間という名の社会的権力」の専制に拘束されている、日本の実情でした。
 明治憲法下の日本にも立憲主義を大事に考える人々がいた事実を私はこの本に書いています。「立憲」や「憲政の常道」がキーワードとして語られていたのです。ただ1930年代以降は立憲政治が葬り去られ、軍部による戦争拡大に歯止めがかけられなくなる。
 「戦前=暗黒の時代」とする単純な見方では日本の針路を誤る、と感じ始めていました。それなりに立憲が実現している時代があったのに、なぜ終わってしまったのか。それを考えることが重要だ、との思いが強まったのです。
 振り返れば89年は、日本で経済のグローバル化が広がり始めた時期でした。人々は「会社共同体」から放り出され、かろうじて残っていた農村共同体も壊されます。保護してくれる盾を失った個人に向けて「郷土」や「美しい国」といった口先だけの癒やしを提供する政治が台頭する。それが今の安倍政権につながる流れです。
 私は近年、社会的な発言をする場を以前より広げています。〈代表的なメディアにたまに出るほかは、新書を書くか、一部の総合雑誌に寄稿するだけにする〉。そういう自己原則をずっと貫いてきたのですが、第2次安倍政権になって、〈街頭に出る〉ことをあえてしました。国家に対抗する勢力が減り、日本社会から多元性が失われてきた、と感じるからです。
 (聞き手 編集委員・塩倉裕)=朝日新聞2016年2月23日掲載