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「新しい社会」と「新しい不平等」 根井雅弘『英語原典で読む現代経済学』

記事:白水社

根井雅弘『英語原典で読む現代経済学』(白水社)
根井雅弘『英語原典で読む現代経済学』(白水社)

E・H・カーの肖像と『英語原典で読む現代経済学』(白水社)P.11
E・H・カーの肖像と『英語原典で読む現代経済学』(白水社)P.11

 みなさまは、E・H・カー(1892─1982)という歴史家をご存じでしょうか。歴史の好きな人なら、日本でも広く読まれている『歴史とは何か』(清水幾太郎訳、岩波新書、1962年)をすでに読んだことがあるかもしれません。しかし、ここでは、その知識のあるなしは措いておきましょう。

 今日のテキストは、カーがBBC第三放送で講演したものをまとめた『新しい社会』(The New Society, Macmillan, 1951)です(清水幾太郎訳、岩波新書、改版1963年)。1951年のイギリスで「新しい社会」とカーが呼んでいるのは、要するに、「社会主義社会」のことです。ベルリンの壁の崩壊以来、社会主義は魅力を失いましたが、第二次世界大戦後まもない 1951年の時点では、自由放任主義に代わってケインズ主義が福祉国家路線と手を携えてイギリスの経済社会の基本的な枠組みを創り出しつつあったといってもよいでしょう。ちょうどカーの本は、第二章が「競争から計画経済へ」と題されているので、当時の社会的コンセンサスを知るにはよい題材です。まず、出だしの文章を読んでみましょう。訳文は原則的に私のものですが、もちろん、すでに流通している訳書からも多くを学びました。

Experience shows that the structure of society at any given time and place, as well as the prevailing theories and beliefs about it, are largely governed by the way in which the material needs of the society are met. In feudal Europe, as in most settled primitive communities, the unit of economic self-sufficiency was extremely small. Division of labour there was; but, apart from the famous traditional division between “those who fight, those who pray and those who work”, it was confined mainly to the division of labour between man and woman and to the simple specialization of rural crafts. In the then conditions of transport, trade was conceivable only in luxury articles of high value for the benefit of a few privileged persons; where it existed, it was carried on by outsiders coming from afar, and did not enter into the life of the community as a whole. Through the centuries that followed improved techniques of production led to the growth of cities, bringing the decay of the small self-sufficient unit and a new division of labour between town and country, the development of international trade and the beginnings of international banking and finance, and then, in the so-called mercantilist age, the consolidation of large potentially self-sufficient national markets. Through the same centuries new conceptions of social relations and social obligations were growing up side by side with the old patterns and gradually driving them out — first the new and revolutionary conception of the enterprising individual who enriches himself in competition with other individuals by providing services useful to the community, and then the equally new and revolutionary conception of national loyalties replacing, on the one hand, the old loyalty to the local community and, on the other, the old loyalty to the universal church and empire. (pp.19-20)

 (訳)経験によって明らかになったことは、ある与えられた時代と地域の社会構造は、それに関する支配的な理論や信念と同様に、社会の物質的必要がどのように充たされるかによって大部分支配されるということである。封建時代のヨーロッパでは、多くの定住型の未開社会のように、経済的な自給自足の単位は極めて小さかった。たしかに、分業はあった。しかし、「戦う者」「祈る者」「働く者」という有名な伝統的な区別を除けば、それは男女間の分業と、農村の手工業における単純な専門化に限定されていた。当時の輸送事情では、貿易が成り立つとすれば、少数の特権階級のために高価な奢侈品を取り扱うのみであった。しかし、貿易がおこなわれていたところでも、それは遠くから来るアウトサイダーによって担われており、社会全体の生活のなかには入ってこなかった。その時代に続く数世紀を通じて、生産技術の改良が都市の成長をもたらし、小規模な自己充足の単位を崩壊させ、都市と田舎の間の新しい分業、国際貿易の発展と国際的な銀行業や金融の開始を招き、ついで、いわゆる重商主義の時代に、潜在的に自給自足の可能性のある大規模な国民市場を強固に形作ったのである。同じ数世紀を通じて、社会関係や社会的義務に関する新しい概念が古い型と並んで成長していったが、やがて次第に古い型を駆逐した。──新しい観念とは、第一に、個人企業家という新しく革命的な概念である。個人企業家は、他の個人と競争しながら、社会にとって有用な活動に従事することによって自分自身も富ませるのである。それから、第二に、国家への忠誠という同じように新しく革命的な概念である。国家への忠誠は、一方で地域社会への古い忠誠に取って代わるとともに、他方で全世界の教会や帝国への古い忠誠に取って代わるのである。

フリードリヒ・A・ハイエクの肖像と『英語原典で読む現代経済学』(白水社)P.27
フリードリヒ・A・ハイエクの肖像と『英語原典で読む現代経済学』(白水社)P.27

 カーは特別むつかしいことを言っているわけではありません。自給自足の経済から始まって、数世紀の間に生産技術の改良が進み、18世紀後半の産業革命とつながります。カーは、「個人企業家」という新しい概念と、「国家に対する忠誠」というこれまた新しい概念が生まれたことに注目していますが、この二つは、市場の規模が小さく、地域集団のなかで自給自足的な生活をしていた時代にはなかったものでした。産業革命は、市場の大きさの拡大と手を携えて、国際貿易と国際金融を発展させ、ロンドンのザ・シティは世界経済と世界市場の中心地となりました。

 一言でいえば、「市場の法則への服従」を強いられる時代が開花しようとしていました。それを正当化するのが、いわゆる「自由放任主義」の思想でした。カーは、トーマス・マコーレーやフレデリック・バスティアの名前を引いていますが、要するに、次のようなことでした。

In this society of free and equal individuals harmoniously competing against one another for the common good the state had no need to intervene. It did not intervene economically — to control production or trade, prices or wages; and still less politically — to guide and influence opinion. It held the ring to prevent foul play and to protect the rights of property against malefactors. Its functions were police functions. It was what Lassalle, the German socialist, contemptuously called the “night-watchman state”. (p.21)

 (訳)自由で平等な個人が不調和を生み出すことなく共通善のためにお互いに競争している社会においては、国家が介入する必要は全くなかったのである。国家は経済の分野で介入をしなかった(例えば、生産、貿易、価格、賃金の統制)。ましてや、政治の分野での介入(例えば、世論の誘導や統制)をする必要があるはずもなかった。国家は傍観者のように反則行為を防止し、犯罪者から所有権を守るだけでよかった。国家の機能は、警察の機能だった。国家は、ドイツの社会主義者ラサールが「夜警国家」と軽蔑的に呼んだものに他ならなかったのである。

 カーは、このような自由放任主義や夜警国家が、急激ではなく、産業革命以来徐々に変容していき、今日に至ったことを例示しています。例えば、 1890年代のイギリスでは、産業上の事故に備えるための「労働保険」が導入されました。またこの頃には、イギリス経済は、競争市場というよりは独占や寡占が一国内の経済に占める割合が増大していたのです。

カール・ポランニーの肖像と『英語原典で読む現代経済学』(白水社)P.45
カール・ポランニーの肖像と『英語原典で読む現代経済学』(白水社)P.45

 自由放任主義者たちの誤算は、自由放任が「予定調和」をもたらすよりは、やがて「新しい不平等」を生み出したことでした。カーは、次のように言っています。

What was far more serious was that the revolution, which purported to wipe out the old inequalities and did in large measure wipe them out, soon bred and tolerated new inequalities of its own. The notion of a society in which individuals start equal on equal terms in each generation — the unqualified recognition of la carrière ouverte aux talents — is soon tripped up by what seems to be a deep-seated human instinct. However firmly we may in theory believe in an equal start for everyone in the race, we have no desire that our children should start equal with the children of the Joneses — assuming that our greater wealth or more highly placed connexions enable us to give them the initial advantage of better nutrition, better medical care, better education or better opportunities of every kind. Twenty years ago a school was started in the Kremlin in Moscow for children of high party and Soviet officials. Nobody supposes that its function was to enable these children to start equal with other Russian children. And so, in every society, however egalitarian in principle, inherited advantages quickly set in motion the process of building up a ruling class, even if the new ruling class has not the additional asset of being able in part to build on the foundations of the old.(pp.23-24)

 (訳)はるかにもっと深刻だったのは、あの革命が、古い不平等を一掃すると称し、事実、その大部分を除去したにもかかわらず、まもなく独自の不平等を生み出し、それを黙認したことであった。個人が各世代ごとに平等な条件で平等にスタートするという社会の観念──「出世は才能次第」ということを無条件に認めること──は、まもなく根深い人間の本能と思えるものによって覆されたのである。私たちが、理論上、競争では誰もが平等にスタートすべきだとどれほど固く信じていたとしても、私たちは自分の子供たちが隣人の子供たちと平等にスタートすべきだとは決して願っていない。 ──つまり、私たちの大きな富や有力なコネクションがあれば、子供たちは、より優れた栄養、医療、教育、あらゆる種類の機会の便宜を最初から享受するのが当然のことのように決めてかかっているのである。 20年前、モスクワのクレムリンに党幹部とソヴィエト政府の官吏のための学校が設立された。その学校の役割が、党幹部やソヴィエト政府の官吏の子供たちを他のロシアの子供たちと平等にスタートさせるためにあるとは、誰も信じない。それゆえ、どの社会でも、原理上は平等主義であったとしても、相続した利益によって新しい支配階級を作り出す過程が始まるのである。たとえ新しい支配階級が古い支配階級の基礎の上に部分的に建て増しするだけの追加的資産をもっていなかったとしてもそうである。

 しかし、カーによれば、自由放任主義に「最後の一撃」を加えたのは、 1930年代の大不況でした。大不況が訪れるまでは、自由放任主義の力は衰えたとはいえ、どこかで影響力を保っていましたが、経済危機が労使双方を耐えきれない苦境に陥れて初めて、自由放任主義が終焉を迎えたというのです。

【『英語原典で読む現代経済学』「第1章 E・H・カー」より】

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