人種差別にどう立ち向かうか マリ共和国出身のウスビ・サコ京都精華大学長の言葉
記事:大和書房
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アメリカで起きた白人警察官による黒人暴行死事件に端を発する「Black Lives Matter」が世界中に波及しています。私は、この問題には2つの側面があると考えています。1つは1960年代の公民権運動から続く反差別の側面。2009年にはアフリカ系、非白人としては初となるオバマ大統領が誕生したこともあり、差別は乗り越えられるかもしれないという期待感がありました。ところが、現実は全く進展していなかったという事実が明らかになり、失望が抵抗に変わったということです。
もう1つは反格差の側面です。コロナ禍においても株価上昇が起こったり、強者に有利な状況が加速する一方で、弱者には支援も行き届かず、格差がより鮮明となりました。今回の事件を、多くの人が黒人差別を超えた「格差の問題」として捉えたことで、世界的なムーブメントとして広がったと考えています。
そんな世界の潮流と比較すると、日本は差別問題にまだ無自覚な印象です。私からみると、日本では、大小さまざまですが、黒人に限らない外国人に対する差別がじつは日常化しています。何か事件が起きたときに「きっと外国人が犯人だ」と平気で口にする人もいますし、実際に警察も外国人を厳しく取り締まる傾向があります。
「差別している」という意識がないまま、その意図はなくとも無自覚に差別を容認する行動をとってしまう――。「Black Lives Matter」について、どこか他人事のように報道されるのもそうした背景があると捉えています。
日本人の無自覚な差別は、「恐怖心」や「弱さ」に由来しているのではないでしょうか。あたかも自分たちが外国人たちから支配されるような恐怖を覚え、心のどこかで差別を容認することで安心を得ようとしています。例えば、アメリカでは白人警察官の暴行を映像で記録し、広く社会に是非を問おうとする傾向がありますが、日本では同じような行動をとる人は極めて稀です。路上で警察が外国人に強く詰問する場に居合わせても、見て見ぬ振りをして通りすぎてしまいます。スマートフォンで録画など誰もしません。
日本人は、大多数の人が同じ方向を向いていて、変化を恐れがちです。画一的な教育の影響もあり、「平均的」であることに安心感を抱く傾向が多い印象です。また、業界・職種によって「こうあるべき」という“役割期待”も求めがちです。結果として、芸能人が政権批判の声をあげると「素人が政治に口を出すな」と批判を浴びることになるわけです。
外国人労働者を受け入れるにあたっても、同質性が失われることへの恐怖心から、変化に対して頑なに目を背けています。なかには「日本語と日本文化の素晴らしさを教えれば、外国人労働者と共存していくことはできる」と発言する政治家もいます。
しかし、現実に外国からいろいろな価値観を持った人が入ってくると、文化は徐々に変化していきます。そこで多様な価値観を認めるには、法律や制度を整えるだけでは不十分です。重要なのは、まず意識の変革です。多様性を認め、異文化を受け入れながら、新しい文化を作っていく意識が求められます。
ただ、私はこの状況に悲観しているわけではありません。ヨーロッパやアメリカでは意図的な人種差別が常態化していますが、前述の通り日本の差別の多くは無自覚です。教育を通じて差別について学び、自覚することで、時間をかけて変化を促していくことは十分可能です。
また、日本では心の底から特定の宗教を嫌ったり否定したりする傾向が見られません。これは、どんな宗教を信仰している人でも、日本で安心して生活できる可能性を示しています。この鷹揚さは大きなアドバンテージと言えます。
これからの教育は、画一的な人間を育成していく方向ではなく、個人が責任と自覚を持って行動する方向へとシフトしていかなければなりません。大勢と足並みが揃っていなくても、自分の価値観で正しいと思われることを主張する。自分自身の判断で、幸せだと思える行動を取る。こういった力を養っていくことによって、例えば差別を目の当たりにしたときにも個人として抵抗できるようになるはずです。
世界がグローバル化の中でつながっていく状況においては、個と個とが違いを認めながらいかに共生していけるかが問われています。『「これからの世界」で生きる君に伝えたいこと』でも書きましたが、私は学生たちに「言葉の運用能力を高めること」の重要性を伝えています。それは、語彙を豊かにすること以上に、自分の心の「ヴォイス(声)」を持つことです。
自分のことを相手に伝えるために、どのような言葉を用いるべきか。これを試行錯誤する経験が重要です。他人の言葉を借りて生活するのは便利ですが、それでは周りの無自覚な差別に流されてしまったりするばかりです。ぜひ自分の言葉を掘り起こし、確固たる価値観を伝える力を多くの人に身につけてほしいと願っています。