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アニメの専門家はなぜ「京アニ事件」に沈黙したのか 平凡社新書『京アニ事件』より

記事:平凡社

アニメファンが攻撃されてきた歴史

 第1章で、京アニ事件では、本来ならコメントしたり解説したりするべき専門家の多くが取材を断ったことに触れた。実際に何人の専門家が取材を断ったのかをデータとして得ているわけではないし、京アニ事件において、私以外この話題を取り上げている例もほとんどないように思われる。あるいは、このことを問題にすること自体がタブーなのかもしれない。

 それでも、事件報道に少なからず関わった私としては、問題としての大きさにかかわりなく、多くの専門家が事件に対するコメントを封印したという事実は、京アニ事件であらわになった特徴的な事象の一つとして指摘しておきたいと考える。

 第1章で書いたように、専門家がコメントを避けた理由は、まず、事件の異常性、凄惨さを前にして、不用意に発言することによるリスクを避けようとしたこと。これは、評論家や研究者だけではなく、京アニとの仕事上の縁が深い関係者(たとえば京アニ作品に出演していた声優など)ほど、コメントを避ける傾向が強くなったと考えられる。

 次に、京アニ作品を漏れなく見ている専門家は少なく、十分にコメントできない可能性を危惧したこと。それに関連して、京アニの「秘密主義」が遠因になり、コメントするためのバックグラウンドとなる情報が少なかったこと、この3点は挙げられる。

 これらに加えて、前節で取り上げたように、過去に起きた事件でアニメやアニメファンが不当に攻撃され、あるいは差別を受けてきた歴史がある。京アニ事件では、容疑者と京アニとの関係が事件初日から報道されていたことから、マスコミに対する不信感、警戒心が呼び起こされ、コメントを閉ざしたのではないかと考えられる。

 特に、連続幼女誘拐殺人事件の記憶は、事件から30年以上を経ても、一定以上の世代のアニメファンにとっては鮮明である。京アニ事件の容疑者が京アニファン、アニメファンだったとすれば、あの凄惨な事件を起こした容疑者の存在から、アニメファンは「異常」であって、だから事件を起こしたと捉えられることを、オールド世代のアニメファン、そして専門家は危惧した。実際、少なくとも私は危惧した。

 文筆家の古谷経衡は、事件直後にいち早く論評した識者の一人で、次のように記している。

 京都アニメーションは、私たちアニメオタク(──あえて私たちと複数形で記するのは、筆者である私自身がアニメオタクのひとりであるからに他ならない)にとって、“アニメオタク差別”を変えた、つまり“アニメオタク差別”を超克する分水嶺を作った社として歴史に名を刻まれることになったアニメ製作会社である。(中略)
 現在では信じられないことだが、この国にはほんの10~15年前まで、アニメオタクに対する根強い差別と偏見があった。1988年~1989年にかけて起こったM君事件(宮崎勤事件)の社会に対して与えた衝撃が、紆余曲折のうえ、オタク=二次元性愛者、アニメ愛好家、ロリコンなどと変換されていった(以下略)古谷経衡「“アニメオタク差別”を変えた京都アニメーションの偉業と追悼と。Yahoo! ニュース、2019年7月20日5時23分

 そして古谷は同論で、アニメオタクが90年代にかけて、いかに不当な差別を受けてきたかを滔滔(とうとう)と書き、『涼宮ハルヒの憂鬱』以後の京アニの仕事が、アニメオタクの社会的な位置づけを変えたと論じた上で、「この日を忘れるな。文化と芸術に対する最大限の侮辱と攻撃に、私たちは断固として挫けない。テロには絶対に屈しない」と結んでいる。

 事件以後、SNSや個人のブログなどで、容疑者を非難しながら、いきなりアニメオタクを十把一絡げに罵倒する書き込みはあった。しかし、事件当日から数日を経る中で、その声は大きな波として形成されなかった。

 古谷も指摘しているが、現在オタクたちは、尊敬はされないまでも、一応の市民権を獲得したといえる。ちょっと手を伸ばせば体感できそうなリアリズムが溢れる京アニの作品群は、伝統的なアニメファン以外のファンをも獲得し、確かにオタクたちの社会的位置づけを変えることに貢献したスタジオの一つだといえる。

 それでも私は、過去の記憶を拭い去ることができなかったので、容疑者とアニメファン、オタクとが分割された今回のネット上での大勢には、少し意外の感を受けつつ、同時に安堵した。

 だから、というわけではないだろうが、事件から時間が経つうちに、本来ならコメントすべきと私が考えていた識者らが、事件について語り始めた。それらは週刊誌のコラムだったり、自身がもっているメディアだったりで、記者からコメントを求められてマスコミ側に編集される形ではなく、いわば自分が書ける、しゃべれる場であるということも、大きかったかもしれない。

*平凡社新書『京アニ事件』第4章「事件があらわにしたこと」より抜粋

『京アニ事件』目次

第1章 メディアは事件をいかに報じたか
1、事件初日
2、「専門家」の多くが沈黙──事件翌日
3、史上最悪の放火殺人事件──事件発生3日
4、「犠牲者」から「犠牲物」へ──事件発生1週間
5、誰が犠牲になったのか──事件発生1か月
6、容疑者はどこへ行った──事件発生3か月

第2章 事件による被害状況
1、事件発生まで
2、火災発生
3、人的・物的被害

第3章 「独立国」としての京都アニメーション
1、アニメ史の中の京アニ
2、アニメ界の旧弊を打破
3、唯一無二の作品を生み出す
4、京アニの「家族主義」

第4章 事件があらわにしたこと
1、アニメにまつわる事件史
2、専門家はなぜ沈黙したのか
3、容疑者像をいかに捉えるか
4、実名報道をめぐる議論
5、国内外からの寄付

第5章 事件をいかに記録するか
1、京アニの再興へむけて
2、犯罪被害者の権利保護と報道の自由
3、犠牲者の鎮魂の場
4、研究者の立場から

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