極限状況の中、弱者が絶対的な弱者ユダヤ人を救う 岡典子著『ナチスに抗った障害者』を読む
記事:明石書店
記事:明石書店
このたび、拙文を依頼され初めて当サイトの存在を知った次第である。人文学の衰退が言われて久しいが、あらためて「人文知」の再生を謳うサイト冒頭のことばにはつよい共感を覚える。
日本に元々知識人社会の伝統がなかったことは確かだが、いうところの「実学」重視と効率一辺倒の大学政策とあいまって、人文学が極度に落ち込み、量産された大学自体もはや高等教育の場にとどまれない現実を憂える一人だからである。
とはいっても、自分にできることを少しでもすすめるに如くはない。そうした思いをいだかせる書物をここで紹介できることは幸いである。なにより“人はいかに価値ある生き方をしようとしたか”という人文知の基本的な問いを根底にすえた本書こそ、サイト立ち上げの趣旨にもふさわしいと思う。
著者は筑波大学で障害教育原論を講ずる研究者、以前にアメリカをフィールドに、音楽を導入した盲学校の成立史を博士論文にまとめている。もともとフルート奏者として出発したことが原点にあるようだ。アメリカ研究を起点に、その後ドイツに、とくにナチスドイツの世界に踏み込んで著したのが『ナチスに抗った障害者――盲人オットー・ヴァイトのユダヤ人救援』である。内容は学術書のレベルだが、特定の専門家集団ではなく、一般読者を念頭に平易に書かれており、研究成果を社会に還元し共有しようとする著者の態度がみてとれる。
ナチスといえば、人種政策の最悪の帰結たるホロコーストと障害者の安楽死が、誰にも思い浮かぶだろう。それだけに、ドイツではナチスの過去を清算する施策が官民挙げておこなわれ、「記憶文化」として定着しつつある。そのシンボルがナチス迫害の犠牲者を悼み、故人の最後に住んだ住居前、石畳の道路に埋め込む「躓きの石」の市民活動である。だから過去の清算とは、忘却ではなく戒めとして記憶を新たにすることである。
犠牲者を悼むだけではない。ナチス体制を支持し順応した圧倒的なドイツ国民のなかにあって、少数ながら体制に抗した人々がいた事実も記録され、政治教育、歴史教育の重要なテーマとされてきた。ベルリンの観光名所ともなっているドイツ抵抗記念館は、その中核的な展示・研究施設である。かつてはナチス体制転覆を図った社会エリートの反ナチ活動が代表的な位置をしめてきた。だが近年、迫害ユダヤ人の救援に与した名もなき普通の人々の活動の実態を明らかにすることが、ホットな作業となっている。彼らこそナチス社会にあっても自立した「もう一つの普通の人々」となるからだ。
以上から本書のおおよその位置関係も理解できると思う。つまり、社会的弱者の障害者が自ら設けた盲人作業所を「砦」にして、迫害のすえ強制移送され殺害されるユダヤ人たち、それも少なからぬ盲のユダヤ人たちを、いかに救援しようとしたかが本書の主題である。戦時下にあってこの救援とは命がけの行動であった。いわば極限状況にあって、弱者が絶対的な弱者を救うという稀有の活動の様相が、詳細に追究されている。
主人公のオットー・ヴァイトはすでに日本にも紹介されてきた人物、ベルリン中心部の一角に「オットー・ヴァイト盲人作業所記念館」もある。著者は同記念館および抵抗記念館所蔵の残存資料にあたり、彼に連なるドイツ人の救援者たち、さらにゆかりの場所を調べ、その実像に迫っている。
本書は、四章構成、まずナチス人種政策のもとでの「異人種婚」問題とヴァイト個人史の叙述に始まり、盲人作業所(ブラシ製造)への盲ユダヤ人の雇用、過酷な強制労働に対抗した作業所の労働・晴眼者の雇用と協力者たちの役割、強制移送に抗し被迫害者たちを匿う地下活動と捕縛され強制移送された彼らへの食糧物資の送付、ヴァイト自身による強制収容所からの救出行動、そして終戦、こうした局面が時系列に即して活写されている。
興味深いのは、ヴァイトと名もなき協力者たち――そのなかには娼婦もいた――が本当に信頼しあう「仲間」関係を築き、救援される人々もさらに弱い立場のユダヤ人障害者のために行動したこと、しかも救援者と被救援者がついには濃密な人間的絆を生んだことである。密告社会の、苛烈をきわめる事態にあって、なおも人間的な連帯が存在しえたのである。
個別的な叙述内容もさりながら、以下の「むすび」のことばは含蓄に富み印象に残る。
「人種的苦難を強いられた人々にとってヴァイトの作業所は人間としての処遇と誇り、尊厳を与えられた人生最後の場所となった」。「ユダヤ人たちは単なる救援対象ではなかった。自分たちを心から慕い、信頼を寄せる彼らの存在は、障害者として社会のなかで“弱者”の位置に追いやられてきたヴァイトに、人としての誇りを与えてくれるものだったろう」。「虐げられ、追い詰められた人びとがそれでもなお、他者のために一命を賭した行動こそ、ヴァイトたちの救援活動であった」。
学術性を失わず、平易で冷静な筆致の本書は、今を生きるわれわれに「生」について考えさせる絶好の書となっている。一読を勧めたい。