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「産業革命は黒人奴隷たちの血と汗の結晶である」 歴史学の常識を覆した研究者とは 川北稔さんが解説

iStock.com/vivalapenler

「周辺」から世界の歴史を見る

 植民地など、「周辺」とされる地域から世界の歴史をみようとする立場は、いわゆる世界システム論をはじめとして、いまではそれほど珍しくはない。そうした見方は、学問的にも市民権を得ているといえる。しかし、ほんの半世紀まえには、そうした立場は、まともな学問とはみられないものでもあった。先頭を切って、この困難な局面を切り開いたひとりが、本書の著者エリック・ウィリアムズである。 

 トリニダード・トバゴの郵便局員の息子として生まれたウィリアムズは、秀才の誉れ高く、周りの期待を背負って、宗主国イギリスのオックスフォード大学に送りこまれた。古典学を専攻した彼は、抜群の成績で卒業したものの、当時のイギリスには─―というより、日本をふくむ世界には─―、西洋文明の根源にかかわる古典学、つまりギリシア語やラテン語の哲学や文学を、カリブ海出身の黒人に教えさせようという大学はなかった。 

 失意のウィリアムズは、思考の大転換を図る。自分たちの祖先を奴隷化した西洋文明を賛美することになりかねない古典研究を放棄し、カリブ海域人としての自らのアイデンティティに即した、未開拓のカリブ海域史研究に転向するのである。それはまた、同時に、カリブ海域の独立と統合をめざす植民地ナショナリストとしての覚醒をも意味した。

 その結果、彼が最初に取り組んだのが、イギリス産業革命をカリブ海域から見るという画期的な研究であり、その成果が本書である。

 イギリスが世界で最初の産業革命(工業化)に成功し、ヴィクトリア時代の繁栄を謳歌したことは、近代史上、最大の出来事であった。したがって、なぜそれがイギリスだったのか、ということは、歴史学の大問題となってきたのも当然である。この問いに答えようとする場合、基本的に二つの立場がありうる。イギリス人の偉業としてそれを見る立場と、植民地を含む世界的な連関のなかにそれを置いて見ようとする立場とである。前者は、いわゆる一国史観であり、後者は世界システム論やグローバル・ヒストリの立場である。

 たとえば、本書五章には、今日に続くイギリス系の有力な国際金融機関、バークレー銀行の創業者たちに関説した箇所がある。バークレー家は敬虔なクエーカー教徒、つまりピューリタンの一家であった。かつては、一国史観に基づいて、産業革命がイギリス人、とくにピューリタンの勤勉と禁欲と合理主義の精神によって生み出されたという見方が有力 であった。とくに、西洋型近代を理想とする近代化論一色であった戦後日本の歴史学では、この点のみがとりあげられ、産業革命はプロテスタントの信仰とそのネットワークによってもたらされたかのように喧伝された。バークレー家の資産が、もともとは奴隷貿易や奴隷制プランテーションの経営によって蓄積されたものであることは、見落とされてきたのである。

 西インド諸島人としてのウィリアムズの立場は、むろん、違っていた。カリブ海の黒人の立場からみれば、イギリス産業革命は、「アフリカ人奴隷の汗と血」の結晶でしかない。このことを、徹底的に主張したのが、本書であり、いまでは「ウィリアムズ・テーゼ」として広く知られている歴史観である。私の学生時代は、ようやくポストコロニアリズムの波がひろがる時期でもあったから、私には、ウィリアムズの議論が受け入れやすかった。

歴史学者・植民地ナショナリストとしてのウィリアムズ

 とはいえ、このような考え方が、ただちに世界の歴史学界で承認されたわけでは毛頭ない。本書は、たんに奇矯な植民地ナショナリストの妄言として退けられがちであった。そもそもカリブ海域史の研究者のポストなどというものはどこにもなかったから、ウィリアムズ自身の前途は多難を極めた。そのとき、ほとんど唯一の理解者となったのが、本書が捧げられている、アメリカ人のローウェル・ラガッツ教授だったのである。

 ケネディ暗殺の年であったから、もはや半世紀の彼方であるが、京都大学の院生であった私は、ほんの数人の受講生とともに、風采のあがらないアメリカ人の老教授の講義を受けていた。講義は、大西洋奴隷貿易という、当時の日本の学界状況からすれば、いささか的外れなテーマであった。国内における毛織物マニュファクチャーの発展にのみ工業化の原因を認め、貿易のような、対外関係は「周辺的」として顧みない傾向が強かったからである。私としては、そのような雰囲気に違和感をもっていたので、このおよそ「場違い」ともみえたテーマがむしろ新鮮だったのである。もっとも、受講生の英語力に合わせたのか、講義は深淵というわけにもいかなかったが、私が、この人物のすごさを知ったのは、本書の中山訳に出会ったときである。

 若き日のラガッツ教授が、苦難に満ちたウィリアムズの青年時代に、いかに闇夜の一灯となったかは、ウィリアムズの自伝『内に向かう飢餓』( Inward Hunger )に詳しい(簡単には拙訳『コロンブスからカストロまで Ⅱ』岩波現代文庫、訳者解説に関説した)。こうして、「ウィリアムズ・テーゼ」は、いまではどんなに偏狭な一国史観の教科書でも、イギリスで世界で最初の産業革命がおこったことのひとつの説明として、必ずとりあげられるようになった。同時にそれは、「低開発」理解のいわゆる「従属理論」につながり、世界システム論者として知られるウォーラーステインらの歴史観を引き出す役割をも果たした。

 もとより、本書の原著がヨーロッパに問われた時代に比べれば、いまや学界の知見そのものは、格段に進んでいる。したがって、個別の事柄については、ウィリアムズの記述も、修正を必要とすることはいくつかある。とくに、奴隷制度や奴隷貿易の実態そのものについての研究は、その後格段の発展を遂げた。わが国でも、たとえば、『岩波講座 世界歴史17 環大西洋革命』や布留川正博『奴隷船の世界史』(岩波新書)、池本幸三・布留川正博・下山晃『近代世界と奴隷制─―大西洋システムの中で』(人文書院)、浜忠雄『カリブからの問い─―ハイチ革命と近代世界』(岩波書店)などに、その成果を見ることができる。とはいえ、植民地人(世界システムの「周辺」の人びと)の立場に立って、一体としての世界の歴史を見るというウィリアムズの到達した姿勢自体は、その意義が高まりこそすれ、輝きを失うことはない。

 他方、歴史家としてのウィリアムズの生涯と同様に、政治家としてのそのキャリアは、苦難に満ちたものであった。トリニダード・トバゴの独立運動を指導して、亡くなるまで同国首相の地位にあったものの、カリブ海域全体─アメリカ化の甚だしいプエルト・リコをのぞき、反対に地理的には南米であるが、西インド諸島と共通点の多いガイアナやスリナムなどを含む─の統合という大目標は、西インド諸島大学の創設をのぞいて、ほとんど実現しなかったからである。

 ウィリアムズは、「二〇世紀を代表する黒人一〇〇人」にも選ばれ、彼が集めたカリブ海域史の史料や著作物は、合衆国国務長官であったコリン・パウエルの尽力もあって、国連の「世界(記憶)遺産」として保存されている。認定の際は、ウィリアムズの長女で、フロリダ在住のエリカ・コネルさんに求められて、私が『図書』に書いた短い追悼文も提出した。

 日本では、本書は中山毅氏の手によって、早くも一九六八年に理論社から翻訳出版されたが、一国史観全盛の時代であったから、歴史学界ではまったく評価されなかった。そもそも中山氏自身文学研究者で、歴史家ではなかったことが、その間の事情を暗示している。その後も、この金字塔的な著作は、わが国の出版界ではあまり話題にのぼらなかった。新訳(山本伸監訳、明石書店、二〇〇四年)も出版されたが、原著の真意が伝わりにくいところもあるので、このたび、手軽に読めるかたちで、中山訳を上梓することになった。歴史学に関心のある読書人に、広く読まれることを期待する次第である。

【webちくまより転載】

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