地球の裏側で生きるユダヤ人の現在 宇田川彩『それでもなおユダヤ人であること』
記事:世界思想社
記事:世界思想社
この本は、私がアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスで暮らし、現地のユダヤ人とともに生活した2年間の私的な経験に基づいて書かれています。私的とは言っても、この経験が文化人類学という学問的・方法論的な基礎に裏打ちされていることは明言しておく必要があります。文化人類学とはつかみどころのない学問かもしれません。学問という名の主観的な創作に過ぎないのではないかという疑問、あるいは、西欧学問が根付いた先進国の研究者による一方的な解釈だという批判もあるでしょう。
私が文化人類学とはどのような学問かと質問されたならば、「言葉を書き留めること」、そして「からだで知り、言葉に起こすこと」と答えたいと思います。たった一つの言葉を理解するためには言語や社会を知らなければなりませんし、その言葉を発した人がどのように生きてきたのかを知ることも必要です。しかし、言葉だけが真実を語るわけではありません。多くの文化人類学者は、現地の人びととともに暮らし、自らのからだに彼らの生活を刻むことで理解していきます。次第に自身と彼らとの境界が見えなくなるような感覚を覚えながら、再びその感覚を言葉に起こしていくことでようやく論文や著作という学問的な形が現れてくるのです。
2年間の経験を学術本として仕上げるまでに7年ほどが経ちました。書き留められたすべての言葉は、長い時間をかけて追体験されながら、個人的な経験は次第に「私」個人から距離を取りはじめました。ここでは、本書の抜粋からいくつかの言葉を取り上げ、私がその言葉と出会うまでの経緯とともに語り直してみたいと思います。
ジャック・フクス(1924年生まれ、2017年死去)は、アルゼンチンで最も早く1990年代にホロコーストの証言を始めた一人です。ポーランドで生まれ両親や兄弟全員を強制収容所で失ったジャックは、アウシュヴィッツ解放後に救援機関の援助を得て米国に移住し、さらに16年後、叔父を頼ってアルゼンチンに移住してきました。
実は、私にとって最も印象的だったのは、その物語自体ではありませんでした。「この写真がなかったら、私は空から降ってきたことになってしまうかもしれない!」とは、リビングに飾られた一枚の家族写真を指しながらジャックが冗談らしく言った言葉です。戦前、幼少時(四才頃)の彼が写る唯一の写真でした。
彼が暮らす独り住まいのアパートのダイニングキッチンやリビングには、壁一面の家族写真や、子どもや孫の描いた色彩豊かな絵が飾られていました。消え去った過去を彷彿とさせる白黒写真と、対照的に現在の明るさを思わせる写真や絵の色彩が一つの家の中に、そして彼の人生に同居している様は、私に深い印象を与えました。もし私の調査が、ホロコーストについての聞き取りやライフヒストリーをメインにしていたならば、本筋とは関連の低いエピソードとして焦点が当てられることはなかったかもしれません。
しかし私にとってこの経験は、ユダヤ的なものを考える上での大きな教えをもたらしました。ユダヤ人の歴史や記憶を一面的にホロコーストや戦争から理解できないのと同様に、重い過去の経験だけをもってある人物を語ることはできません。ジャックと会ったのは調査初期の一度きりのことでしたが、一つの言葉が数年間にわたって私の研究の道標になったのです。
冒頭に示したように、文化人類学にはもう一つの側面があります。長時間かけて一緒の時を過ごすあいだに身体で理解し、こぼれ落ちる一言をすくい取ることです。こうしたカジュアルな言葉や冗談には、形式的なインタビューでは語られることのない一面が読み取れることがあります。
私は調査中、ルシアとフアン夫妻と彼らの息子、三人家族とともに暮らしていました。ルシアはユダヤ人、フアンはスペイン系のカップルで、友人関係の中にはごく自然にユダヤ人も非ユダヤ人も区別することなく含まれていました。
アルゼンチンでは国民のほとんどがキリスト教・カトリック教会に属しています。熱心な信者であるかは人それぞれですが、国の暦はカトリック暦に基づいており、クリスマスは重要な祝日とされています。ブエノスアイレスの街中では店舗やレストランのほとんどが閉業し、皆が家族とともに過ごす時と考えられています。
ルシアとフアンは、毎年友人宅で行われるクリスマスイブのホームパーティーに招かれていました。差し入れのために私たちが作ったのは、ゲフィルテフィッシュという東欧系ユダヤ料理を代表するものでした。魚をミンチ状にし、刻み玉ねぎ、卵、パン粉を加えて成型し、水煮かオーブン焼きにする料理です。私たちは冗談交じりでこれを「クリスマスフィッシュ(Navidad Fish)」と名づけ、クリスマスパーティーに持って行きました。
こうしたエピソード自体が、一般に抱かれがちな「厳格な」ユダヤ人イメージを覆すものかもしれません。彼らは、ユダヤ人についての概説書が説明するような典型的なユダヤ人らしさをもって生きているわけではありません。ユダヤ性とは宗教なのか、民族なのか、文化なのか、そうしたカテゴリーにかんする問いを軽々と乗り越えてしまうような日常がそこにはあります。
さて、クリスマスイブの晩餐が終わり、遅くまで談笑が続いた後、私たちはフアンの運転する車で帰途につきました。ルシアがふと「ユダヤ人たちは眠っているわね!」と笑いながら言ったのは、車が自宅に近づきオンセ地区のある広場を通り過ぎたときでした。自宅からほんの10ブロックほどしか離れていないこの広場は、宗教的に敬虔な正統派ユダヤ人が多く生活するオンセ地区にありました。正統派のユダヤ人たちの生活は、同じユダヤ人とはいってもクリスマスを友人と祝うルシアのような人びととの生活とは交差しないのです。ブエノスアイレスの街で非日常の時空間を分かち合うルシアと友人たち。他方で、夜更かしもせずにふだん通り眠りに就く「(正統派の)ユダヤ人たち」。一瞬の出来事を通して、同じ時間を過ごして同じ空間を生きていた私は冗談に笑い、同時にルシアの生きる生活空間を理解したのでした。
ユダヤ人とは、その言葉だけで特殊とみなされがちな存在です。この本の大きなテーマの一つが〈記憶〉であるように、ユダヤ人が背負う過去は重く、彼らの日常にも影響を及ぼしています。しかし同時に私が描きたかったのは、身体の重みや記憶の重みを受けた彼らがいかに軽やかに生き、また生きようと探求しているかということです。
それでもなおユダヤ人であることという本書のタイトルには、さまざまな意味合いが含まれています。600万人と言われるユダヤ人が犠牲となったホロコーストの後、それでもなお世界からユダヤ人共同体が消滅することはありませんでした。「非ユダヤ的ユダヤ人」とすでに百年来言われ、社会に同化しながらも、それでもなおユダヤ人はユダヤ人として生き続けてきました。現代ブエノスアイレスに生きる彼らの生は、宗教や民族、迫害の歴史といったステレオタイプから軽々と逃れ去るものです。しかしなお、きわめて曖昧ながらも存在する現代に生きるユダヤ人の生き方が、本書ではありのままに描き出されていきます。