『ポーランドの歴史を知るための55章』――ヨーロッパとロシアの狭間で翻弄され続けた国の軌跡
記事:明石書店
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ポーランドは面積31万2696平方キロ、人口3839万人を数え、欧州にあっては決して小国ではないが、日本ではあまりなじみのない国の一つであろう。事実、新聞記事になることは多くなく、長期にわたって報道が皆無ということもごく普通である。
ポーランドはポーランド語で「ポルスカ」(Polska)というが、これは先住民のポラニェ族(Polanie)の名に由来する。さらに、Polanieの語源は pole(「野原」「畑地」の意)にある。Polskaは pole から派生した形容詞(polski)の女性形である。現代ポーランド語ではpolskiに「野原の」という意味はなく、この意味ではpolnyが用いられる。polskiはもっぱら「ポーランド(語・人)の」の意で用いられている。
戦前にポーランドに留学した守屋長(ひさし)・織田寅之助の両氏は『野の国ポーランド――その歴史と文化』(帝国書院、1949年)という一冊を著しているが、書名そのものがこの国の語源および風景を端的に物語っている。
ワルシャワから南部の都市クラクフまでは列車で約270キロの旅となるが、その間、車窓から望む景色の大半は、右にも左にも延々と続く平原である。
トンネルらしきものは、マウォポルスカ県のウニェヨヴィエ=レンジヌィの森につくられた1カ所だけである。しかも、通過時間はほんの数秒だ。日本で200キロ以上を鉄道で移動してその間にトンネルが一つしかないというところはないのではなかろうか。ポーランドとはまことに野の国なのである。
ポーランドは、北はバルト海に面し、時計回りに、ロシア(飛地)、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、スロヴァキア、チェコ、ドイツと国境を接している。西ではオドラ(オーダー)川、ヌィサ(ナイセ)川、南ではスデティ(ズデーテン)山脈およびカルパティ(カルパティア)山脈が周辺諸国との国境になっている。
しかし、これらの自然国境は「天然の障壁」といえるほどのものではなく、事実、南部の山岳地帯にも多くの峠があり、越境は古来より困難なものではなかった。
東西にはそれこそ障壁などといえるものはなく、歴史的に異民族の侵入は頻繁にあり、またポーランド人自身も主に東方への進出を図っていた。
北のバルト海こそ最大の障害であるが、17世紀にはスウェーデン人が大挙して海を渡り、ポーランドを席巻した。
こうした地理的要因も関係し、ポーランドでは「攻める・攻められる」という侵略の歴史が繰り返されてきた。
本書はポーランドの歴史を知るための簡便な一冊である。
執筆陣には、今日第一線で活躍する我が国のポーランド史研究者が顔を揃える。日本がポーランドと国交を回復して間もない1960年代に留学をした超ヴェテランから、新進気鋭の若手まで、総勢20名を超える研究者からご寄稿願えた。
語学や文学を専門とする研究者からも、「歴史との接点を重視して」という条件の下、原稿を執筆していただいた。
執筆者にはポーランド留学の経験があり、皆がポーランド語を能くする。留学時期と期間はさまざまであるが、経済が安泰というわけではないなかで奨学金を出し、勉強させてくれたポーランドとポーランド人に、一様に深い恩義と愛着を感じている。留学を終え日本に戻ったなら、学ばせていただいたことを糧に、両国の利益のために汗をかくことを願った人ばかりである。
その意味で、本書は、同胞へのポーランド史の紹介書であるだけでなく、執筆者がポーランドとポーランド人への感謝の気持ちを表した一冊でもある。
本書は3部構成になっている。
《総論篇》ではポーランド史がマクロ的視座から描写されている。
《通史篇》では中世から現代までの歴史がほぼ時系列に沿って述べられている。
《テーマ篇》では、「ポーランドにおけるローマ・カトリック教会」「ポーランド文化史」「ポーランドと日本」をキーワードに書き進められている。記述には重複する事件・事項もあるが、同時に執筆者による解釈の違いも見て取れよう。
本書が目指したのは、どの章どのコラムからも読める一冊である。重要な歴史事項が網羅的に記述されているとはいいがたいが、本書で十分ポーランド史の概略はつかめるはずである。
読者の中から将来ポーランド史研究者が現れるなら、これにまさる我々の喜びはない。