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近代日本の歴史を動かしてきたのは宗教だった 『近代日本宗教史』刊行に寄せて(上)

記事:春秋社

『近代日本宗教史 第一巻 維新の衝撃――幕末~明治前期』(春秋社)
『近代日本宗教史 第一巻 維新の衝撃――幕末~明治前期』(春秋社)

近代の終わり

 新型コロナウイルスによる感染症(COVID-19)のパンデミックは、先の見えない状態となっている。私自身、夏までには何とかおさまるだろうと高をくくって、いろいろな計画を立てていたが、すべてキャンセルになった。人との接触を避け、オンライン会議が普通になった。コロナによって別の世界が開け、社会全体が大きく変化して、コロナ後はコロナ以前には戻らないだろうということは、誰もが感ずるに違いない。

 確かに、コロナ直前の社会は、本当に限界に達していた。ちょうどその頃まで京都に住んでいたが、京都の町はほとんど外国人旅行客に占拠され、日常生活にまで支障が出てきていた。オリンピックでこれ以上外国人を増やそうなどということは、とても正気の沙汰とは思われなかった。それがなくなり、それでは新しい社会はどうなるのか、次はその設計図が描かれなければならない。それは結構厄介で難しい問題だ。そこで、その為にまず必要なのは、これまでひたすら前だけを見て進んできた歩みを緩めて過去を振り返り、共有の価値観として前提にしてきた近代とは何だったのか、考え直すことである。

 政治・経済・思想など、あらゆる領域で、近代が1980年代で終わったということは、それぞれの方面の研究によって、次第に常識になってきている。日本の経済の場合、1970年代に成長が一段落し、1980年代にその最後の輝きとしてのバブルに踊った後、1990年代に停滞に陥って、今日に至っている。世界情勢の上からは、1991年に冷戦が終結し、イデオロギーによる東西対立がなくなった代わりに、エゴむき出しの国際対立と紛争の収拾がつかなくなっている。思想面では、1980年代にポスト近代を標榜する「現代思想」の流行があり、そのひと騒ぎが終わって停滞期に入る。ポスト近代の新宗教としてもてはやされたオウム真理教が悲惨な地下鉄サリン事件を起こして壊滅したのは、1995年、阪神大震災が起った年のことであった。

 こう見るならば、今のコロナ禍の騒動は、単に偶然的で一時的な病気の蔓延に留まらないということが理解されよう。80年代に終わったはずの近代が、その後もだらだらと自覚のないままに引き摺られてきていたのが、ようやく今になって、本当に切実な問題として私たちの身に降りかかってきているということである。

宗教の影響力

 このように、19世紀の後半に始まった日本の近代は、20世紀の終末近くに終焉に至る。『近代日本宗教史』は、この間の経緯を「宗教」という観点から再検討しようというものである。「宗教」というと、かつては近代の中で極めてマイナーな、ほとんど考慮に値しない領域と考えられてきた。とりわけマルクス主義全盛の時代には、宗教は人民を麻痺させるアヘンであり、消滅すべきものと考えられて、宗教史が歴史の前面に出るなどということは到底考えられなかった。近代日本の大きな問題であり続けてきた天皇制も、あくまでも政治史上の仕組みであって、宗教的な要素はその擬態に過ぎないとされてきた。

 ところが、近年の研究は、宗教が決してそのような周縁的な問題ではないことを明らかにした。近代の天皇制は国家神道と深く結びつき、宗教的側面を抜きにして語ることができない。大本教に対して、教団本部の建物までも徹底的に破壊するという、狂気と言ってよいほどの弾圧がなされ、それはマルクス主義に対する弾圧よりももっと激しいものであった。それだけ、弾圧側が宗教の持つ意味の大きさを知っていたからに他ならない。そして、その近代がオウム真理教サリン事件によって幕を閉じたことは、はなはだ象徴的と言わなければならない。

 もちろん、「宗教」と言っても漠然としていて、そもそも「宗教」の概念自体が近代に形作られたものであることは今日よく知られている。明治のはじめにその「宗教」の概念が導入されるとともに、既存の諸教はそれにあわせて自己変革を遂げることで、生き延びようとした。神道は「非宗教」を標榜することで、その枠組みから外れた。新しい「宗教」概念への適応にもっとも苦労したのは仏教諸派であった。仏教は、近代的な「宗教」として生まれ変わることで、生き延びようとした。そのことは、教派神道に組み込まれた様々な民衆の信仰集団にしても同じであった。

 今日、近代の「宗教」概念が批判されるとともに、その外延も曖昧化している。無理にここまでが「宗教」という枠組みを固定化する必要はなく、むしろその曖昧な周縁においてさまざまな動向と接し、交錯していくところに近代のダイナミズムが見られる。

 そもそもどうして神道が「非宗教」を標榜しえたのか、なぜそれがそれほど大きな影響力を持ちえたのか。それは単に上からの強制というだけでは説明できないであろう。戦後の民主主義の定着運動に、プロテスタント系のキリスト教の影響が大きかったことも知られている。今日の政権与党は、神道政治連盟や日本会議と結びついた自由民主党と、創価学会と表裏一体の公明党からなっている。

 こう考えれば、近代日本の底流として、その歴史を動かしてきたのは宗教だったと言っても過言でない。それをどう評価し、今後にどのように生かすかは次の課題として、まずはそのことを率直に認めることが必要である。それ故に、『近代日本宗教史』は、決して「近代日本」の周縁的な問題ではなく、「近代日本」を解明するための鍵であり、その中核的な問題なのである。(つづく)

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