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明日なにを食べる? 食・家庭料理・料理研究家を論じた3冊 紀伊國屋書店員さんのおすすめ

三浦哲哉『食べたくなる本』(みすず書房)

 驚いたことに、みすず書房から刊行された料理本、正確には「料理本の本」である。気鋭の映画批評家・研究者である著者がテーマごとに料理の本を取り上げ論評するのだが、どの文章も、料理と料理本、そして料理研究家への敬愛の念があふれており、読んでいるこちらも幸福になってしまう。とりわけ、料理研究家の丸元淑生(『丸元淑生のクック・ブック 完全版』(文藝春秋)は私にとっていまもバイブルである)に関しての記述が素晴らしい。

 丸元の書物の基本にある姿勢はとてもシンプルなものだ。素材を生かすこと。そのための最も合理的な調理をすること。栄養学の成果を取りいれて、有用ではない習慣を捨てること。便利な調理器具を積極的に使うこと。極めて真っ当である。ただし、その徹底のしかたが半端ではなく、ほとんど異様の域にまで突き抜けるのだ。『食べたくなる本』(P. 15)

 「異様の域」とは尋常ではないが、例えば、家庭料理のシステムを確立するためにはだしを正しく引く必要があり、そのためにはかつお節削りが必須で、そのかつお節削りのメンテナンスができなければならず、刃を研ぐだけはなく(丸元は自宅の庭にそのための「研ぎ台」を設営したそうだ)、木の部分をまっすぐに保つようにカンナで「かつお節削りを削れ」にまで行き着く。あるいは「あさりのスパゲッティ」のレシピに、「あさり 二キロ」、十人前ではなく四人前の分量である(そしてそれには理由があるのだ)、とあればその突き抜け具合が理解できよう。ここまで読むと丸元の料理本をすぐにでも読みたくなるが、残念ながらいまほとんど入手できないので、図書館などで確かめて欲しい。

 もちろん丸元だけではなく、有元葉子、辰巳芳子、高山なおみ、細川亜衣などの批評も楽しく、また最後の「ビオディナミと低線量被爆」は、原発事故のあとに浮上した食の問題をテーマとしており、コロナ禍の現在、あらたな視座から読まれるべきテクストとなっている。

久保明教『「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?』(コトニ社)

 じんぶん堂の読者なら、著者名に見覚えがあるのではなかろうか。そう、『ブルーノ・ラトゥールの取説―アクターネットワーク論から存在様態探求へ』(月曜社)の著者なのだ。そして、意外なことに(だって帯には「実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負収録」って書いてあるし)、「本書は、同書で構想した方法論、とりわけ終盤で素描した「汎構築主義」をめぐる論点を具体的事例に即して展開したものである」(P. 10)。

 このアプローチを説明する、少々難解な「はじめに」を経て、著者は家庭料理のフィールドにおもむく。具体的には、1960年代から2010年代に至る家庭料理の変遷を、その基本的な姿が形成された1960~70年代の「モダン」な家庭料理、確立された定型的な家庭料理へのポストモダニズム的改変が試みられた1980~90年代の「ポストモダン」な家庭料理、ポストモダニズム的改変の常態化を前提として規範的な家庭料理のあり方が無効化されていく2000~2010年代の「ノンモダン」な家庭料理に腑分けし、分析していく。

 鍵となるのは、江上トミ、土井勝、小林カツ代、栗原はるみといった料理研究家やその著作、あるいは、生活情報誌『マート』(光文社)、レシピ投稿サービス「クックパッド」などである。時に「地」と「図」が反転する、そのスリリングな記述を、小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(本当はこちらがメインなのではないかと疑っている)とともに、味わいたい。そして、その結語もまた示唆的である。「さて、あなたは明日なにを食べるのだろうか?」(P. 212)

阿古真理『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書)

 上述の二冊が面白そうとはいっても、料理研究家にまったく馴染みがなくて、という方におすすめなのが、生活史研究家の阿古真理による本書である(そもそも本書や阿古の別の著作が二冊でも言及されている)。江上トミや飯田深雪、土井勝、辰巳芳子からケンタロウ、栗原心平、コウケンテツまでコンパクトにまとめた「本邦初の料理研究家論」であり、また、同時に、彼女・彼らのレシピや個人史を通じて、日常生活の変化、とりわけ家庭料理の担い手であった女性の生き方の変遷、をあざやかに描き出した、現代史・女性史研究にも寄与する優れた一冊なのだ。

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