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現代に差しのべられた言葉の橋 ハンセン病と水俣をつなぐもの

長島愛生園にて、船で島を去る面会人を見送る入所者(所蔵:国立ハンセン病資料館 撮影:趙根在)

 するするとページをめくりたくなる衝動を抑え、一文ごとに、その指す意味を確認するような心持ちで読み進めた。

 言葉や表現は、著者に選び抜かれて、そこにその形にある。そんな当たり前のことをあらためて思うのは、政治的効果という面からだけでは見えてこないハンセン病者の実践の意味を、正確にとらえ、著そうとする著者の意思が端々に感じられるからかもしれない。それはつまり、彼らが「何を実現しようとしていたのか」を見ようとする意思だ。

 現在、療養所の入所者のほとんどは、ハンセン病が治癒している。そのような回復者をふくめて本書で「ハンセン病者」という語が用いられているのは、その罹患の経験が、一人の人生にあたえた影響の大きさをかんがみてのことだ。

療養所内で行われていた、患者による包帯の巻き直し作業(所蔵:国立ハンセン病資料館 撮影:趙根在)

 著者は、10年以上ハンセン病療養所や退所者のもとへ通いつづけるが、その間、立場に変化がある。当初はハンセン病回復者の社会復帰のための「支援者」として、その立場に漠然と疑問を感じるようになると「ただひとりの生身の人間」として。やがて、彼らとの間にあるハンセン病経験という埋めがたい溝に気づくと、著者自身の立場を明確にして向きあうため、録音機械とノートを携えた「研究者」として。

 このように試行錯誤をくり返しながら、真摯に向きあう著者の畏れは、文章の緊張感となって読む者に伝わる。

石牟礼道子の世界に惹かれて

 私は、京都市で夫とカライモブックスという古本屋を営んでいる。もともと古本の愛好家というわけでもない私たちがこのような店を開いたのは、作家・石牟礼道子の世界に惹かれ、その言葉の世界を自分の手もとに手繰り寄せたいという気持ちからだった。2009年の開店以来、石牟礼作品や水俣病関連書籍は、つねに店の柱としてある。

 私たちは、石牟礼作品を生み出した土地を踏んでみたいと、15年ほど前から熊本の水俣、天草に通いはじめた。その途中には、店を開き、子どもが生まれ……と身辺に変化があったものの、その拠って立つ場は変わらない。でもそれは、私たちがみずからの立場やつきあい方に対して、曖昧にしている部分があるからこそ――。

水俣湾茂堂港にて(撮影:奥田直美)

 著者のハンセン病者に対する誠実な向き合い方に、そのことを感じずにいられない。上記のように立場を変えていくのは、そのときどきに覚悟が必要だ。

あおいとり楽団の活動

 本書で具体的に検討されるのは、次の例だ。

 1953年に長島愛生園の入所者により結成された、「あおいとり楽団」の活動(第2章)、東北新生園内で1960~70年代、日々を少しでも暮らしよくするために行われた、入所者自身の生活実践(第3章)、そして戦後の療養所の患者運動の生成や展開(第4章)。これらの事例を通して、過酷な生活を生き抜くため、入所者によりどのような努力がなされてきたのかを描く。

 「何を実現しようとしていたのか」を見定めようとする著者の視点は、たとえば、次のような景色を私たちに見せる。

 第2章でとりあげられる「あおいとり楽団」は、らい予防法改正に対する患者の闘争から疎外された、視覚障害者を中心に結成されていた。単なる娯楽の域をこえ、音楽の芸術性と完成度を追求するその姿は、療養所内の職員にとどまらず、隔離壁をこえて療養所外までも、つながりをつくりだしていく。

出番を待つあおいとり楽団(所蔵:国立ハンセン病資料館 撮影:趙根在)

 いわゆる闘争の枠におさまりきらないその活動に、差別への告発や糾弾があるわけではない。それでもハンセン病の存在は、その活動の原動力としてあり、またそれは、おのずとにじみでるテーマともなる。彼らが重視したのは「奏者ひとりひとりの実存をその深みから引き出し表現しあうこと」であったと著者は説く。

 そしてこう続ける。「かれらの作品は、非病者である私たち――不作為によって隔離政策を支持してしまった人々――をも歓待し、『被害者』という枠に回収しえないかれらの生の事実に感応することを促す」と。ここで読者である「私たち」は、過去から現在にぐいと引き戻されて、自身が決して傍観者ではいられないことをつきつけられるのだ。

その場所と私たちをつなぐ橋

 ひるがえって、わが小さな古本屋には、「石牟礼道子」「水俣」をキーワードにして、来店くださる方があるが、ときに、「水俣へ行ってみたいんだけれど」と相談されることがある。そのなかには移住された方もある。

 水俣病の公式確認は1956年。まるで終わったことのように扱われる場面も多いだろう(もちろんまったく終わっていない)。それにもかかわらず、老若男女さまざまな方がそうおっしゃるのは、水俣病という経験やその土地に、現代の問題に通じる何か、自分自身に通じる何かを感じとられるからだと思う。そしてそこには、たとえば石牟礼作品や、そのほか数多くの言葉や映像、写真などが、その橋渡しとしてあるのだろう。

水銀ヘドロによる埋立地・エコパークから水俣湾を臨む(撮影:奥田直美)

 本書もまた、ハンセン病と私たちをつなぐ橋のようだ。著者自身が述べるとおり、たとえば「集団/共同性」「動かない/留まる」という視点は、私たちに、現在の社会や私たち自身のあり方を考えさせる。過去を知るにとどまらず、現在の私たちを照らしだす本なのだ。

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