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本のページはすべて、新たな世界へ通じている ドリアン助川教授の「扉をあける読書」

(Photo by Getty Images)

「希望学」「人間復活学」の教授として

 昨年の秋より、明治学院大学国際学部の教授として教壇に立っている。特任とか特命ではなく、フルタイムで働くごく普通の教授である。週五コマの授業をこなし、延々と続く教授会もまじめに出席している。

 バンドでデビューし、ずいぶんと本も書いてきた。フリーランスの立場でやりたいことをやってきたわけだが、振り返れば、その間も常に教室には出入りしていた。塾や予備校、大学の非常勤講師。テレビの深夜放送では、英米のロックアーティストの歌詞を解説する「金髪先生」という番組を発案し、教室のセットのなかで二年間もシャウトさせてもらった。あるいは学生として、四十代半ばで製菓学校の洋菓子科に入学したり(ちゃんと卒業したよ。モンブランも作れます)、五十手前にしてフランス語の学校に入ったり(なんとか仏検二級到達)、教える側か教えられる側かはともかく、ライブハウスや新宿ゴールデン街などと並んで、教室は間違いなくボクの居場所のひとつだったのだ。

 しかし、さすがに、本物の教授になるとは思ってもみなかった。まったくもって想像だにしていなかった展開だが、なってしまったのだから、全力を尽くすしかない。

 博士号を持たないボクに大学が声をかけてくれたのは、小説『あん』が十三言語に翻訳される世界的ヒットとなったことがきっかけかもしれない。この作品のおかげで、フランスやオーストリア、台湾や韓国などでも講演や講義の機会に恵まれた。また、東日本大震災のあと、自転車に乗って「奥の細道」を走破し、細かな被曝量調査をしたルポルタージュ『線量計と奥の細道』が日本エッセイストクラブ賞をいただいたことも大きい。長きにわたって若者たちの人生相談の相手を務めてきたことも含め、こうした一連の活動が認められ、「学生たちと新たな時間を創造してください」ということになったのだと思う。

 だが、小説『あん』の背景となった日本のハンセン病問題や、そこから見えてくる人の生きる意味といったテーマだけでは週五コマの授業をこなすことはできない。新たな視野をもって今後の軸となる学問の領域を打ち立てた上で、そこで培われる思考法や検証法を授業の対象となる幾つかの分野にフィードバックしていく必要がある。

 シンプルに言ってしまえば、ボクは自分の専門を「希望学」、あるいは「人間復活学」といった、この時代のルネサンスを追求する精神活動に据えることにした。しかしそうだからといって、「希望とはなんぞや」と直接的に問うようなことはしない。むしろ授業で使う教材は、前線の兵士が家族に宛てた手紙であったり、これまで自分が読んできた「ハンセン病文学」や「沖縄文学」が中心となる。

 もともとボクは、こうしたジャンルの手記や文芸作品を「辺境文学」と呼び、その位置づけを、真ん中にいないからこそ真ん中が見える展望台的な役割を持つ作品群であるとしてきた。逆境のなかにある人間だからこその「人間」を観る目である。

 詩人のエミリ・ディキンソンの感じ方を借りるならば、闘いに破れ死んでいく兵士の耳に入る敵の歓声こそが、勝利の本質を伝えているのである。勝者にはそれがわからない。

 だれの人生にも苦悩はあるし、葛藤もあろうが、まさに生命を奪われんとする者が、あるいは劣悪な環境に追いこまれた人々が「人間」について考えるとき、そこに見えてくるものはなにか? これを学生たちとともに探っていくのがボクの授業のやり方なのだ。

 だから、もちろんあちこち脱線はするけれども、ボクの授業は、年長者が若者たちに知っていることを語る、伝えていくといった一方的な講義の形をとらない。一緒に考え、学生たちと言葉のやり取りしていくなかにこそ授業としての運動体があるのだ。

(Photo by Getty Images)

変化の時代に必要な「創造性」を磨く

 ご存知の通り、コロナ禍によってこの春からすべては一変した。大半の大学では対面授業が中止となり、オンライン授業が課せられるようになった。学生も大変だろうが、教授も大変なのである。新しいソフトやネット環境にあまり詳しくなかったボクの場合も、時間がないなかでオンライン授業のシステム構築を迫られ、本当に眠れない夜が続いた。

 しかし、「希望学」を開拓する立場としてめげるわけにはいかない。ボクは授業に「創造性」という言葉を持ちこみ、同時にこれをテーマとしても唱えることにした。

 厳しい時代である。なにが起きても盤石だよという大企業もあろうが、多くの人にとっては先の見えづらい日々だ。コロナが全世界の経済に打撃を与え、しかもそれによっていっそう強まりそうなIT化の波が、専門職ではない人々の仕事を次々と奪っていく。こういう言い方をするのは申し訳ないけれど、国や役所や会社がなんとかしてくれるのではないかと思っている人たちには、今まで以上に生きづらい時代がやってくる。

 あらゆる舞台に変化が押し寄せる時代、求められるのは大きいものへの追従の姿勢ではなく、個々の「創造性」なのだ。これに尽きる。この意識さえ学生と共有することができれば、ボクの授業にも意義がある。

 受け持ちの学生たちは国際学部を選んだ若者たちであるがゆえ、どうしても英語や中国語の勉強、世界の経済といったあたりに興味を抱くようだ。それはそれで真面目に学んで欲しいのだが、大国間のパワーバランスは変わりつつあるし、世界経済だってどうなるのかわからない今、安心して若者たちを送り出すのに必要なのは、新しい時代の開拓者として生きていける術、すなわち「創造性」を身につけてもらうことなのだとボクは思っている。

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本と暮らすほど創造的な時間はない

 では、その創造性はどんなふうに育んでいくべきなのか。やり方はいくらでもあるだろうが、ボクの授業の場合は専ら読書だ。それはボクが、本とともに暮らすほど創造的な時間はないと信じているからだ。

 まず、前提として、テレビや映画、ネットの映像作品などを観ることと、本を読むという行為の決定的な違いを学生たちに認識してもらわなければいけない。

 作家は連続するイメージを、文字を使って記録していく。その集合体として物語が生まれる。読者は作品中の文字を読むことにより、連続するイメージを受け取る。作家のなかに生まれた情景を追体験している気分になる。

 しかし、実のところは、読者一人ずつの頭のなかで創造が行われているのだ。作家が記号として残した文字をきっかけに、読者は自由にイメージを編み、それぞれの情景を生みだしていく。ひとつの作品を読んでも、十人の読者がいれば十種類の主人公の顔があり、その背景がある。ここが、完成された映像をただ受け取る映画やテレビとまったく異なる点なのだ。

 映画やテレビがわるいと言っているわけではない。ただ、物語に触れる方法がまったく違うのである。読書とは、作家の創造性が半分、読者の創造性が半分。この両者が結び合って生じる、純粋な創造的行為なのだ。

 本を読むのは知識を頭に入れるためだと思いこんでいる人がいる。でも、本当にそうだろうか。知識などというものは、一週間前の夕飯のおかずと同じで、体に入れても抜けていくだけだ。だから、知識のための読書、それゆえの多読、速読といった方向にボクはあまり興味を持てない。早食いや大食いに似て、長続きしないのではないだろうか。

 それよりも、一冊の本をじっくりと読んだ方が良い。ボクはその方法を「扉を開ける読書」と呼んでいる。

 たとえば、大学三年生を対象としたボクのゼミでは、日本戦没学生の手記集である『きけ わだつみの声』(岩波文庫)と、ベトナム戦争時の米兵の手記集『Dear America LETTERS HOME FROM VIETNUM』(POCKET BOOKS)を学生たちに同時に読んでもらっている。

 これはまず、学生たちの常識的な歴史観に揺さぶりをかけるためだ。『きけ わだつみのこえ』に収録された手記は軍の検閲を逃れたものばかりなので、ほぼ兵士たちの本音が書かれている。彼らはもはや敗戦を覚悟していた。そして、自分たちを追いつめた大本営を、軍を憎んだ。それでも特攻機に乗って敵艦突入しなければいけなかった若者たちの苦悩。いわゆる「天皇陛下万歳」や「皇国のために死ねて幸せです」という言葉もないわけではないが、大半の若者たちの本音はそうではなかったと知ったとき、違う時代の違う人たちによって行われた戦争というイメージは大きく崩れ去る。

 米兵の手記集も同じだ。なぜ母国を遠く離れ、憎しみすら感じたことがないベトナム人と戦わなければいけないのか。その疑問を綴った手紙は多い。湿地帯に腰まで浸かって行軍しながら、自分は今なにをやっているのかとだれもが呻いた。だが、戦場で彼らは徐々に変わっていく。ここに送りこまれたことの意味はわからないが、殺さなければ殺されてしまう。だから撃つのだ。殺すのだ。

 大半の兵士たちが好んで戦場に向かったわけではなかった。大きな流れのなかで、気がつけばそこにいた。兵士たちと年齢が近い学生たちは、残された手記のなかのその「なまの悩み」に圧倒される。そして思う。戦いたくなかった若者たちを戦場に送りこみ、彼らに銃を持たせたのはいったいどういう力なのか?

 戦った時代も戦場も違うが、日米双方の兵士の手記集を学生に読んでもらっているのは、平和の礎とは、複数の視点を受け入れることだという信念がボクにあるからなのだが、授業は同時に、「扉をあける読書」の形をとる。

 学生たちは、読むと決められた頁のなかから、最低でも五分の時間を使ってゼミ仲間に発表する言葉を選ばなければならない。その言葉の横に扉の絵を描き、自分なりのやり方であけてくる、つまり、調べてくるのだ。

 たとえば「特攻」という言葉の横に扉を描いた学生なら、陸海軍の特攻兵器にどんな種類のものがあったのか、何人の日本兵が亡くなったのかを当然調べてくる。そして資料を見ているうちに、その特攻によって亡くなった米兵の数を知って愕然とするのだ。こと特攻に関しては、敵艦突入率は一割にも満たなかったとされているが、亡くなった日本兵は約四千人、米兵は倍の約八千人である。

 ここで学生は気づく。『きけ わだつみのこえ』で悲愴な遺書を残して死んでいった若者たち。感情移入をして読んでいたが、彼らもまた人を殺したのだと。そして殺された側にも愛する家族がいて、戦場と母国との手紙のやり取りがあったはずだと。

 これが、扉をあける読書の立体感とその深さである。学生たちは「沖縄戦」や「塹壕」、ときには「ゲーテ」や「ポアンカレー」「クロォチェ」など、当時の若者たちが夢中になっていた文学者や自由主義者についても調べてくる。そこで、兵士たちが哲学にいかに傾倒していたかを知る。みんなクレバーだったのだ。深く考えてもいた。それなのに、なぜ戦場に無抵抗で送られたのか?

 みんなで兵士たちの手記を読みながら、自分が選んだ言葉がくれば、学生たちは五分間の発表に入る。読書はここで多層的になり、奥深い森になる。

 あらゆるジャンルの本や物語で、この読書法は使えるはずだ。学生たちは扉をあけた体験によって、読書から無限の創造ができることを知る。一頁のなかにどれだけ多くの扉が隠れているか。そしてその扉の向こうに、また新たな世界が広がっていることも知る。

 すなわち、本の頁というものはすべて、新たな世界に通じる扉であふれかえっているのだ。そのことに気づくだけで、読書が与える力は大きく変わってくる。

 なぜなら、現実のこの世界もまったく本と同じで、無数の扉が隠されているからだ。だが、たいていの人は気づかない。なにもないと思える場所に扉を見つけ、それをあける能力こそが創造性だというのに。

 先が見えにくい世の中では、この創造性こそが力を発揮する。厚い雲を割り、地を照らす光は、創造性から生まれるのだ。

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さあ、どうやって扉をあけよう

 ちなみに、他の授業では以下のような本を学生たちと「扉をあけつつ」読んでいる。

 ハンセン病文学については、拙著『あん』(ポプラ文庫)を皮切りに、『隔離の記憶 ハンセン病といのちと希望と』(高木智子 彩流社)、『北條民雄 小説随筆書簡集』(講談社文芸文庫)など。四年生のゼミでは沖縄文学を読んでいる。『一九四五年 チムグリサ沖縄』(大城貞俊 さきがけ文庫)、『椎の川』(大城貞俊 コールサック小説文庫)、『豚の報い』(又吉栄喜 文春文庫)、『水滴』(目取真俊 文春文庫)など。

 後期の授業では、ここにさらに、「世界の詩人」「英米ロック・ポップス史」「ホロコーストとV.E.フランクルの思想」という授業が加わる。さあ、どうやって扉をあけていこうか。

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