「福祉との出会い」 寺尾紗穂「子どもたちに寄り添う現場で」から
記事:世界思想社
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福祉のことが気になりはじめたのはいつだろう。
私の意識にはっきりと浮かび上がってきた時期は覚えている。娘たちを産んで数年たち、年子育児をしているとき、大阪で二児が放置され、餓死する事件があった。ちょうど娘たちと同じくらいの子供たちだった。
私は夜、布団をしいた暗がりの中で寝相の悪い娘たちが行き倒れたように二人眠っている姿を見て、どうしても、亡くなった二児のことを重ねて考えてしまった。育児をしている身にとって、想像はリアルなものになる。いったいオムツを長時間替えてもらえないで、どうなっていたのだろう。少し考えてみても最悪な想像ばかりが広がり、暗がりで寝ている娘たちが死んでしまった二人の子に見えて恐ろしかった。二人を放置した母親と同じ、 私もシングルマザーだった。
では、子供を生んだから福祉という始点に近づいていったのだろうか。
記憶を遡ってみると、高校時代、私は選択科目だった「福祉」という授業をとっていた。その授業で盲学校に見学にいったり、車椅子で押したり押されたりという体験もした。それから、学校で募っていた、学校の近所にある福祉作業所の人びとと交流するボランティアにもたまに参加していた。
私の高校時代というのは、自分で立ち上げたミュージカルサークルや、学校新聞の編集などに追われていた記憶が中心で、ボランティアに参加していたことはむしろ記憶としては忘れかけていた淡いものだったが、そのときに作業所のスタッフの人から
「あなたは普段からこういう活動に参加しているの?」
と言われたことはよく思い出せる。「いいえ」と答えると
「じゃあどうしてそんなに自然に接することができるの?」
と言われたことが印象に残っていた。
自分にはわからないことだったが、今ならなんとなくわかる気もする。私は生きていくにつれ、世の中には猫嫌いな人もいるし、虫嫌いな人はもっと多いことを知った。速度の速いゴキブリだけは、好意を持つのは難しかったが、それ以外のほとんどの虫たちは、私にとって興味深い友達だった。私はただそこで、さまざまな形をもって命が動いていること、それを見ること、その名を調べてその小さな命に少し近づいた気持ちになる瞬間が好きだった。動物はいうまでもなく、みんな好きだった。
私は生き物が好きだ。人間もその生を悩みつつ選択しながら生きている姿、考えていることやその人の好きなものを知ることが好きだった。虫と人を同列に扱うのか、と怒り出す人もいるかもしれない。そういう人には悪いけれど、私の中ではほぼ同列だった。言葉を持つか持たないか。言葉を持つことがそんなにえらいのだろうか。私は言葉を持たないものがどんなことを考えているのか想像することも好きだった。だから高校時代も、障害のある人とあまり先入観なく付き合えたのかもしれない。私の中で小さなころからあったのは、「だって、みんな結局同じ」という感覚だった。
今まで出会った人の中には、ホームレスが車内に乗ってきたら嫌な顔をして隣の車両に移動する同級生もいたし、ビッグイシューを配布する音楽イベントを初めてやったときには、会場に来てくれたビッグイシュー販売者さんに、お寺のお坊さんがいかにも迷惑という感じで、お香をたきだしたこともあった(その後八回イベントをやらせてもらった浄土宗梅窓院ではない)。みんな本当は同じはずなのに、その差異ばかりに気をとられて、つまらない行動をとっているように思えた。そういう場に居合わせると、いらだちや悲しみを感じた。
一方で、「みんな結局同じ」という考えは、自分自身への恐怖にもなった。
言ってみれば、二児を殺してしまったシングルマザーも、私と「同じ」はずだった。彼女は何を間違えたのか、私は何かを間違えなかったのか。あるいは彼女が持っていなくて、私が持っていたもの、恵まれていたものはなんだったろうか。「みんな結局同じ」を基点にすれば、いくつもの問いが立ち上がってくる。私も彼女と似た生い立ちに生まれ、似たような選択をしてきたら、同じような結果になったのではないか。自分のわからなさに揺れる私は、とても彼女を断罪はできなかった。
情けなさも、たよりなさも、みんな同じだよと受け止めてもらえる社会。普通に働いて、食べるものに困らなくて、困ったら誰か助けてくれて、おたがいさまって思える社会。そんなのは夢物語だろうか。夢見ることは悪いことではないと信じたい。夢見て動く人がいなくなれば、社会は硬直し、停滞するしかないからだ。
福祉は、日々を生きる中で感じる疑問や悲しみ、憤りと願いとにつながっているのだと思う。それでも現場をしらない私の思いはどこか宙ぶらりんでもある。だから現場で奮闘する人たちの声を聞きにいこう。そこでは日々あらたな出会いとさよなら、問題と希望が生まれているはずだ。
システムの中で困難を感じたり、そこからこぼれて立ち往生している子どもたちは、それでも単なる弱者ではありえない。特殊な状況を生きるマイノリティである、それゆえに、未来の文化を書き換えうる可能性を秘めているかもしれない。彼らと、彼らを支えつつ現場でふんばる人々の、あがきと笑顔とが、この社会の選ぶべき道を教えてくれるような気がしている。
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