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5人の女性戦場ジャーナリストによる、強くて弱いエッセイ集 『命を危険にさらして』

記事:創元社

『命を危険にさらして 5人の女性戦場ジャーナリストの証言』書影
『命を危険にさらして 5人の女性戦場ジャーナリストの証言』書影

帰って来るために、戦場に行く

 本書の5人の著者はみなTF1というフランスの大手テレビ局に所属している(た)女性ジャーナリストであるが、1980年代後半のまだ女性が戦場で報道活動を行うことが一般的でなかった時代の先駆者から、彼女らの活躍を受けてさらに飛躍し2010年代の紛争を追った若手、あるいはレポーターとしてだけでなく自らカメラをかついで映像を撮る映像ジャーナリストまで、経歴はさまざまだ。

 戦場ジャーナリストの本というと、多くは現場で取材してきたルポルタージュや写真集が占め、もう少し主観的なエッセイでも、戦場での生活が話題の中心になるだろう。本書も確かに戦場での出来事は詳細に語られるのだが、一方で、彼女たちが「自国」つまりフランスへ戻ってきた時のプライベート、あるいはもっとパーソナルな内面についても、同じくらい大きく踏み込んで書かれている。戦場ジャーナリストは帰ってくるために戦場へ行くのだ。

 出かけていく。それが彼女たちの仕事だ。現場で、できるだけ近いところから、なんらかの形で真実を確かめるために出かけていく。声なき声を聞き、拾い上げ、具体的なものとするために出かけていく。[中略]
 戦場ジャーナリストの仕事は、出かけていくこと、証言をすること、そして戻ってくることである。
(「はじめに」より)

 「帰る」という使命こそが、彼女たちを戦場で生き延びさせる。と同時に、彼女たちを苦しめもする。安全で居心地がよく、愛する家族が待つフランスから、たった数時間のフライトで到着する地域では、人々があまりにもたやすく殺され、終わりのない不当な暴力に怯え、飢え続けているからだ。

 ジャーナリストとして、著者たちは報道の力を信じている。しかし、苦しみのどん底にいる人々、にもかかわらず他所から来たジャーナリストに対して思いやりを示してくれる人々に対して、直接なにかができるわけではない。それどころか、視聴者にあまりに過大なショックを与え過ぎないよう、報道は現実に起こっていることのうち、もっとも「まし」な部分を切り取らねばならないのだという。真実を目の当たりにしながら助けるすべもなく、全てを伝えることもできず、自分たちだけがぬくぬくとした母国へ帰る時、彼女たちを苛むのはどれほどの無力感であろうか。

 では故郷へ戻れば安心かといえば、実はそうではない。ほぼ全員が書いているように、彼女たちは戦場での出来事をありのまま家族や恋人、ほかの誰かに話すことはしない。あまりに危険すぎて、心配させるだけだからだ。また、戦場で感じるある種の興奮や、極限状態を共有しているゆえのクルーや兵士たちとの結束感も、本当の意味では理解されないだろうとも感じている。

 著者たちが描く戦場の様子や思い出に関する筆致はとても力強い。それが衝撃であっても、悔しさや無力感であったとしても、戦場で得たものは何でも熱量が大きい。一方で、家族や恋人にも話さずに心のうちに秘めていた葛藤や孤独については、まるで小さなつぶやきのように、飾らない言葉で記している。私はどの著者のエッセイも、この「小さなつぶやき」の部分が特に好きである。

テレビ局に「派遣される」「女性」ジャーナリスト

 本書のもう一つの特徴は、著者たちが“組織に所属する”“女性”の戦場ジャーナリストである、ということであろう。

 現在の日本の報道機関は基本的に社員を戦闘地域に派遣しないため、日本における戦場ルポは、本書の推薦者でもある佐藤和孝氏のようなフリーランスのジャーナリストによるものがほとんどである。それに対して本書の著者たちは、いわば会社員の立場で(もちろん、本人の希望も考慮して)戦場に派遣されている。

 特に危険をともなう取材を行う時、許可を出す本国の上司も非常に難しい選択を迫られる。そして特ダネを追うGOが出たとしても、フランスや当事国の政府が強引に差し止めることもある。危険な取材が失敗した時、ジャーナリストが無謀な世間知らずとして批判の的にさらされるのは、どこの国でも、フリーも社員も一緒である。しかし少なくとも会社は社員を擁護してくれる。こうした立場の違いは興味深い。

 性別に関しては、正直なところあまり問う意味はないと、本書を読めばすぐにわかる。マリーヌ・ジャックマンやパトリシア・アレモニエールなどの先駆者の時代には、女性が戦場報道なんてとんでもないと言われ続けたが、彼女たちは根拠のない批判を実力でねじ伏せた。戦場報道においては、屈強な肉体や筋力はあまり重要ではない。極限状態でも冷静に判断する力や、常に自分を保つ精神力こそが生死を分かつ。本書にはたびたび「弾丸の音は気にしなくていい。あたる弾の音は聞こえないから」という標語が出てくるが、これを実行できるかどうかに性差はないからだ。

 一方で、彼女たちは女性と子どもしか入れないコミュニティでも取材ができる。そうして、これまでは見過ごされがちだった戦闘の背後で起こっていること、戦場と紙一重のところで生きている市民たちの声も、拾い上げることができるようになったのだ。

戦場はどこにでもある

 本書の著者の多くは、今現在は戦場報道をしていない。年齢的にリタイアした人もいれば、難病の子どもを出産して育児に専念している人、スタジオのニュースキャスターに配置換えになった人もいる。しかしどの立場にいても、彼女たちは彼女たちの闘いに精一杯取り組んでいる。

 それに、戦場ジャーナリストが取材するのは戦争や戦闘だけではない。本書にはハイチ地震やチリの鉱山事故、女性に対する暴力に対抗するフェミニスト団体のルポの様子なども登場する。どの現場にも相応の過酷な現実があり、理不尽にもたらされた苦しみがあり、闘いがある。飛び交う銃弾も、襲いくるマチェーテ(山刀)もなくても、そこは著者たちが真実を伝えるべき「戦場」なのである。

 戦闘地域とその周辺に存在する圧倒的な暴力や、生命と尊厳が常に危険にさらされている状況と、その他の場合とをたやすく比較すべきではないかもしれない。しかし著者たちはどんな現場のどんな事件であっても、これまで踏み込んだすべての「戦場」での経験を背負い、あるいは活かしながら仕事に当たっているのだ。

 インターネットで大量の情報が得られ、SNSで誰でも情報を発信できるようになった世界で、マスコミ(出版も含む)の存在価値に対する風当たりは厳しい。政治的・社会的中立性や倫理問題、古い価値観やシステムの刷新など、業界全体で改善すべき課題が多いことも確かである。しかし一方で、ジャーナリストがその情熱と経験をもって取り組まなければ情報を得ることもできず、命をかけてでも伝えなければ最初からなかったことにされてしまうような事実が数多く存在することも、知ってもらえれば嬉しい。

(創元社編集局 小野紗也香)

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