吟遊詩人や物売り、霊媒たちが息づく濃密なアフリカ エチオピアのストリートへ
記事:世界思想社
記事:世界思想社
遠くに行く者と、行かない者。後者の人間だから、書物を読むのではないかと思うことがある。小さな自我の檻に閉じ込められ、今・此処を生きるわたし。読んでいる間だけなのかもしれないけれど、書物は、わたしではない誰か、今ではない何時か、此処ではない何処かへといざなってくれる。自分・今・此処だけが世界ではないという、当たり前なのに普段失念しがちなことを再認識させてくれるのだ。
「小さな場所、はずれた地点を根拠として書かれた作品であること。場違いな人々に対する温かいまなざしをもつ作品であること。日本語に変わりゆく声を与える意志をもつ作品であること」という精神を刻みこんだ、日本語で書かれている作品ならジャンル不問という鉄犬ヘテロトピア文学賞。わたしが川瀬慈という「遠くに行く者」に出会えたのは、この小さな文学賞のおかげだ。井鯉こま、温又柔、木村友祐、姜信子、管啓次郎、田中庸介、中村和恵が選考委員を務めた第6回受賞作が、川瀬の『ストリートの精霊たち』(世界思想社)だったのだ。
川瀬慈は著書プロフィールによれば、「人類学、シネマ、現代アートの実践の交差点から、イメージや音と用いた話法を探究する」映像人類学、民族誌映画の研究者。受賞作には、2001年に訪れて以来、幾度も足を運んでいるエチオピア北部の都市ゴンダールで出会った大勢の人たちとの交流が描かれている。
繁華街の路上で、口笛芸で金を稼ぐストリート・チルドレンのゲダモや、現地語で〈コレ(精霊)〉と呼ばれる物乞いの女性アットゥ。
くいっぱぐれて中年女性のポケットからお金と身分証を盗んでしまったものの、良心の呵責に耐えきれず返しに行った〈君〉と、謝罪を温かく受け入れてくれた女性。
ムルという名の優しくおだやかな物乞いの女性が〈私〉のノート
〈世間からは鍛冶屋、皮なめし、壺づくり、機織りなどを専業とする、モヤテンニャ(手に職をもつ者)という範疇に入れられ、蔑視される〉、音楽芸能を生業とするアズマリとして生まれた少年タガブ。弦楽器マシンコを奏でながら神に捧げる歌や恋歌を歌うアズマリに魅了され、アズマリの村に滞在して調査するようになる〈私〉。
ストリートガイドをしている時に出会った観光客の米国人女性と結婚し、アメリカで暮らすもすぐに別れてゴンダールに舞い戻り、自死してしまった青年ンダショー。
〈かび臭いバーのなかで男たちの視線を浴びながら、ときにはカウンターで酔っ払いたちの話を聴き、求められるままに体を売ることで生計を立てた〉〈君〉のように、各地からゴンダールに流れついてくる女たち。
ホームステイ先の農家の娘アベバが霊媒の〈ファラス(馬)〉となって行われる、憑依儀礼ザールを体験する〈私〉。
キリスト教エチオピア正教会の聖職者のたまご〈コロタマリ〉として修行を積んでいる15歳の少年ゲブレと、彼が育った農村の日々の思い出。
ストリートで出会った人々が自由に出入りする〈私〉の定宿エチオピアホテルの部屋と、そこによくやってきた少年ヨハネスがノートに書き残した味わいのある絵の数々。
イングランドで再会した旧友のテグストゥが語る、国外脱出の長くてつらい旅と、故郷ゴンダールでの〈私〉との思い出。
アメリカのワシントンDCで出会った、ゴンダール出身の中年楽師サテン・アテノーとの奇縁と、1ヶ月に渡る魂のレベルの深い交流。
などなど、調査研究のための取材の枠を大きくはみ出す濃い人間関係を、20年の歳月をかけてゴンダールをはじめとするエチオピア各地で培っていく川瀬の、これは学術論文には収めきれなかったエモーショナルな声の数々だ。一人称、三人称にとどまらず、「君は」「おまえは」と呼びかけてみたり、小さな博物館に展示されている十字架に語らせてみたりとさまざまなトーンの語りが響き合い、〈シュルンシュルン〉〈イェニ、イェニ、イェニ、イェニ〉〈ウォフ・ノ〉といった現地の美しい言葉がちりばめられた、私小説のような、詩のような、エッセイのような17篇なのだ。
〈日本から一万キロ以上飛び、首都のアジスアベバに到着。さらにそこから青ナイルの源のタナ湖を越え、雄大な高原を見下ろしつつ、七百三十キロ北上し〉、やっとたどり着くことができるゴンダール。遠くに行く者が語る、彼の地の空気、アズマリが奏でる音楽、ラリベロッチ(吟遊詩人)が謳い上げる詩、名前と貌を持った大勢の人たち、活力に溢れた命とあっけなく散ってしまう命、光と影に出会うことで、遠くに行かないわたしが自我という小さな檻から抜け出てゴンダールの路上に舞い降りる。これは、そんな得がたい体験ができる、まさにコレ(精霊)のごとき一冊なのだ。