読んだ後に、世界の見え方が変わる。ミステリーに通じる人文書の醍醐味:紀伊國屋書店新宿本店
記事:じんぶん堂企画室
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一日の乗降客数約359万人(2018年)、ギネス記録にも認定された東京・新宿駅。東口から徒歩3分のところに新宿本店はある。地下1階から7階までの本館と別館を擁する大型書店は、1927年の創業以来、街の発展とともに情報と文化の発信地として幅広い世代に親しまれてきた。
その人文書フロアで2010年、新宿本店の書店員が立ち上げた「紀伊國屋じんぶん大賞」は、10年の月日をかけて、出版社や著者のほか一般読者を巻き込む一大プロジェクトに成長している。今回は人文書フロアを担当する東二町(ひがしにちょう)順也さんに、人生を変えた読書の原体験や、人文書を読む意義、そしていまこそ読みたい人文書について聞いた。
東二町さんに、小さい頃はどんな本を読んでいたのか訊ねてみると、中学時代に戦前の海外ミステリーにはまったエピソードを教えてくれた。
「中学1、2年くらいのときに、進学校に通っていたので徹夜でテスト勉強していて、勉強が嫌になったんです。そのとき、目の前に本があった。現実逃避的に、じゃあ読もう、と」
最初に読んだのは、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』(ハヤカワ文庫)。「叙述トリックの走りというか、ミステリー界ではエポックメイキングな本なんです。その後は、自分に条件を課して、古い順からずっと読んでまいりました」
ミステリーの扉を開いた東二町さんは、江戸川乱歩や、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズのほか、ミステリー黄金期といわれる1920〜30年代に活躍したアメリカの推理作家エラリー・クイーンやヴァン・ダインなどを読破していったという。
綾辻行人さんや有栖川有栖さんなどの現代のミステリー作家に親しんだのもこの頃だ。
「日本の作家も、海外の作品に影響を受けて、リスペクトを込めて、ヴァン・ダインやエラリー・クイーン作品に似せていて。あらかじめバックボーンとなる作品を読んでいると楽しめることがわかったので、楽しみながら読んでいましたね」
新卒で紀伊國屋書店に入社した東二町さんは、新宿本店で人文書を担当。本社勤務を経て、再び新宿本店へ。仕入れ業務を経て、現在は再び本館3階の人文書を担当している。書店員になった理由について、「思い返せば、出版に携わる仕事をしたかったのもあるかもしれないです。その当時の自分は、あんまり考えてはなかったのですが」と話す。
教育書や歴史書、哲学などのジャンルを担当しながら、その度に「この本面白そうだな」と思った本を自ら読み進めていった。ミステリーが好きだが、ジャンルは変わっても、本の楽しみ方には「あまり差はない」と語る。
「ミステリーってオチがあるんですよね。最後はカタストロフィー(ものごとの破局。悲劇的な結末)が描かれる。歴史書や哲学書も大きなテーマがあって、『結論』が書かれている。読む前と読んだ後で、見えていた世界ががらりと変わる。それはある意味、カタストロフィーでもある。その点では、ノンフィクションもフィクションもそんなに変わらないのかなと」
独特の表現で視野を広げる大事さを説く東二町さん。「自分だけでネットで調べられることには、限界がある。知らないことを知るためには、人から教えてもらわないといけない。その出会いを作るのが棚作りだと思っています」
日本有数の大型書店でもある紀伊國屋書店新宿本店。人文書の棚づくりは、ただ売れる本を並べるだけではなく、「面白いと思える本を出していく」のが醍醐味だという。
「自分が面白いと思う感覚が当たると、みんな同じことを考えてるのかな、と思うことがあります。もちろん外れる場合もあるわけで、そのズレを修正していくというか、みんなが面白いと感じるものを増やしていく感じです」
著者が訪れてサインを書いていくことも多い。
「人文にはファンがついている著者がいるので、新刊を出されるときに選書してもらったりフェアをやったりしていますね。今は『人新世の「資本論」』(集英社新書)など、斎藤幸平先生のフェアをやっています。今回は集英社さんからフェアをご提案いただいて、思った以上に売れていますね」
社会学者の森山至貴さんの『10代から知っておきたい あなたを閉じ込める「ずるい言葉」』(WAVE出版)も、初版から店頭で大きく展開し、多くの人に届いているそうだ。
「森山先生は作曲家やピアニストとして合唱の曲も書かれていて。実は私、今でも森山先生の曲を歌ったりしているんです。森山先生が私の担当の分野で本を出されるというので、『やります』と(笑)」
「メディアにも記事を寄稿されていて、マイノリティーの方にも配慮した文章を書かれていたので、初回から強気なスタートでしたが売れていますね。色々な視点からの見方がわかる、面白い本だと思います」
ベストセラーとは違い、歴史や宗教や哲学などの人文書は、どんどん売れるものではない。そんな中で、人文書の読者を広げようと2010年から始まった「紀伊國屋じんぶん大賞」は、新宿本店から立ち上がった企画だ。1位から30位までが、選考委員の紀伊國屋書店スタッフや出版関係者、読者投票によって選出されている。
販売促進本部の四井志郎さんによると、もともと新宿本店の人文書売り場では、「じんぶんや」という先生のコメントを添えた選書コーナーを2004年から月替わりで展開していた。その企画の集大成として生まれたのだという。
これまでの大賞受賞者は、國分功一郎さん、東浩紀さん、千葉雅也さん、柄谷行人さん、岸政彦さん……。そして2020年は臨床心理学者の東畑開人さんだ。それぞれの著者の受賞後の活躍も目覚ましい。人文書の賞でありながら幅広いジャンルの本が受賞しており、初期の2012年には作家・赤坂真理さんの東京裁判を描いた小説『東京プリズン』(河出書房新社)も入賞している。
「じんぶん大賞」の受賞作は、全国の店舗でフェアをして売り場から盛り上げ、読者に届けていく。四井さんは、「書店の役割として、応援している著者の方がどんどん功績をあげられていくのは、うれしいですね」と話す。
幅広いジャンルで読書を重ねる東二町さんに、人生を変えた一冊を訊ねた。すると、やはり『アクロイド殺し』を挙げた。その後の人生や勉強にも大きな影響があったという。
「実際ミステリーしか読まなくなりましたから。自分で変わりたいと思って読んだわけではなくて、後から見ると変わっていたんだなって感じですね」
1926年に発表されたアガサ・クリスティの6冊目となる長編推理小説の本作。深夜の電話で駆けつけたシェパード医師は、村の名士アクロイドの変わり果てた姿を目にする。容疑者とされたアクロイドの甥が行方をくらませ、事件は迷宮入りするかに思われたが、村に引っ越してきた変人が名探偵ポワロと判明し、新たな展開を見せていく――。
「やっぱりカタストロフィーでしょうね。人間はこういうので騙されるのか、と。読む前と読んだ後で認識が変わった。色んな見方があって答えは一つじゃないんだと。ミステリーを読んで学んだことかもしれないです」
いま向き合いたい人文書の1冊目は、歴史学者の加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)。なお、加藤さんは、『戦争まで――歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)で、2017年のじんぶん大賞も受賞している。
普通のよき日本人や、世界の人たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜなのか。日本近現代史を紐解きながら高校生と「戦争」を考える戦争史講座をまとめた一冊だ。
「大学でも講義を受けたことがあるんです。加藤先生が日本学術会議の会員に任命されなかったことが、いまニュースでいろいろ言われていますけど、先生が政権に批判的なスタンスなのかというと、私の印象は全然そういう感じではない。国内世論や日本を取り巻く国際情勢などを丁寧に分析して、日本が日中戦争、第二次世界大戦への道を主体的に選択していった過程を説明した本でしたよね」
もう1冊は、社会学者の小熊英二さんの『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)。戦後に流通した言葉や思想家たちの言説を丹念にたどることで、「戦後」の姿を甦らせ、「現在」を照らし出す。
戦後に、共産党が日本国憲法の制定に反対し、社会党が改憲をうたい、保守派の首相が第9条を絶賛していた時代があったこと。戦後の左派知識人たちが、「民族」を賞賛し、「市民」を批判していた時期があったこと。本書に描かれるのは、すべて「戦後」の話だ。
「細かく歴史書のように流れが書かれてあって。(同じ「戦後」であっても)昔は違ったんだな、とわかって面白かったですね」
読むことで世界の見え方が変わる。読む前とは違う自分になっている。東二町さんは、そんな人文書の魅力もまた「カタストロフィー」という言葉で表した。
「そんなに難しく考える方ではないのですけど、読む前と読んだ後で、自分の認識を変えてくれる。世界はこう見えていたけど、こういう見方もあるのかと気づく。そういうのを体験してくれればいいなと思います。それが私の言う『カタストロフィー』ですね」