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原爆で生き残った人たちの複雑な思い 『広島第二県女二年西組』関千枝子さん寄稿(後編)

記事:筑摩書房

広島・原爆ドーム
広島・原爆ドーム

「恥ずかしいことは何もない」と怒った彼女の心の傷

 訂正の第二は原爆の生き残りの一人・山崎容子さんと私が学校で会った日を八日から九日に直した。この日付けのまちがいを山崎さんは初版のときから気づいていたのにずっと言わなかった。山崎さんの記憶には私と会ったことは欠落しており、それを気にしていたらしい。山崎さんは、大火傷を負った山県幸子さんに、トマトを持ってきてあげると約束したが、帰宅途中に気持ちが悪くなり、そのまま寝込んだ。約束を果たせなかったことは彼女の心の傷だった。彼女の記憶はそのことに集中し、ほかのことは意識から消えたのだろう。

 山崎さんの作業欠席の理由は、所用で出掛けるお母さんに留守番を頼まれたからだった。留守番のため休んだのは、病気欠席より辛いものがあるだろうと私は思った。本書の〈生き残りの人々〉の項でも私は彼女の欠席の理由を書いていない。書くと彼女が嫌がるだろうと思ったからだ。あるとき何気なくそのことに触れたことがある。彼女は烈火のごとく怒った。「うちらは、君に忠に親に孝にと教わった。親の言うことを聞くのは君に忠ということじゃと私は思っていた。恥ずかしいことは何もない」。以来、この話をしたことはない。だが、私は彼女の言葉とは裏腹に、彼女の「心の傷」を感じた。多分、彼女はこう言わないと心の整理がつかなかったのだろう。

 山崎さんは沈黙を守った梶川さんとは逆の生き方をした。学校の慰霊祭を支え、語り部として原爆のことを懸命に話した。彼女は話のうまいほうではない。語るのは苦手だったと思うが彼女は努力した。体をこわし、目もひどく悪くなっていたが、車椅子で慰霊祭に参加した。二〇〇九年、慰霊祭に彼女の姿はなく、間もなく、訃報を聞いた。

「あの時咲いていた花は夾竹桃だけでした」

 もう一つ直したのは吉村恭子さんの項で、恭子さんの遺体を大箪笥の引き出しに入れ焼くところ。吉村恭子さんの場合、看取った方が多かったので、記憶証言にずれがあった。少々直し、恭子さんの姉・良子さんが引き出しに夾竹桃(きょうちくとう)をいっぱい詰めた話を加えた。良子さんは恭子さんと仲がよかった。「あの恭子ちゃんが、こんな無残な死に方をして、引き出しなどに入れて焼くなんて」。悔しくて、残念で、良子さんは庭の夾竹桃の花を折り、引き出しにつめたという。原爆の死者を焼く場面はたくさん聞いたが、花に包まれて焼かれたのはこの恭子さんのケースしか私は知らない。

 夾竹桃というのも気になった。広島の平和公園にはたくさんの夾竹桃が植えられている。当時市の配給課長で後に市長になった浜井信三氏が、救助活動中に夾竹桃の花を見て印象深かったから、という話は有名である。吉村家の庭には夾竹桃が数本あった。「あの時咲いていた花は夾竹桃だけでした」。広島の八月六日は暑い。あの時咲いていたのは夾竹桃だけだったのだ。夾竹桃にあなたもがんばったね、とほめてやりたかった。

夾竹桃の花
夾竹桃の花

 吉村恭子さんの死に関しては、宍戸幸輔氏の『広島が滅んだ日』(読売新聞社)の中にも記述がある。宍戸氏は陸軍大尉中国軍管区参謀、親戚の吉村家に寄宿していた。詳細な記録だが、恭子さんを焼く場面は「彼女の亡骸は白い毛布を敷き詰めた戸板に乗せられ、どこで見つけてきたか可愛い野花が捧げられていた」とある。引き出しも夾竹桃もない。記憶は完全に違っている。原爆に関してはこうした小さな食い違いがよくある。自分の一番の関心事だけが記憶に残り、それ以外のことは記憶から欠落する。宍戸氏にとっても寄宿している家の娘さんの死は大きな事件だろうが、死体を焼く場面は印象が薄かったのだろうか。私は引き出しを抜き、花をいっぱい詰めた肉親の記憶を取る。

核兵器が完全に廃絶される時、心の傷を忘れられるだろう

 訂正のことをくどくど弁明した。あるいは読者の方は、それほど大きな直しではないのにと思われるかもしれないが、どの訂正にも生き残りの複雑な思いが絡んでいる。原爆は死者だけでなく生き残りのものにも墓場までつづく「心の傷」を残す。私自身、この本を、友への鎮魂の思いで書いたが、初版から四半世紀たっても悲しみはおさまるどころか、なお痛みは深い。

 私が心の傷を忘れられる日があるとすると、それは、核兵器が完全に廃絶される時と思っている。被爆者のできることは実相を後世に残すことしかない。戦争を知らない若い人々にとりあえず、この本を読んでくださいとお願いしたい。

『広島第二県女二年西組』(ちくま文庫)
『広島第二県女二年西組』(ちくま文庫)

(*前編はこちら

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