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生涯たった一度の学術論文を書くための道案内 村上紀夫著『歴史学で卒業論文を書くために』

記事:創元社

歴史学徒、歴史に学ばず

 単行本にとって出だしはとても大切である。著者の原稿に甘い私のような編集者でも、出だしだけは何度も書き直しをお願いしたりするのが日常茶飯事である。その点、この本の出だしは、文句のつけどころがないものだった。

12月ごろになると、大学では必ず悲喜劇が演じられる。
歴史はくり返すという格言があるが、それに対して「一度目は偉大な悲劇として、二度目はみすぼらしい笑劇として」と付け加えたのはマルクスである〔出典略〕。毎年のように締切直前になって慌てふためく人たちや、青い顔をして助けを求めにやってくる人が現れる。教員は毎年のことなので、何度も注意していたのに。そして、先輩たちが、あれほど「もう少し早く勉強を始めていたら」と反省し、「もっときちんと勉強しておけばよかった」と後悔をしているのに。「歴史を学んで」いながら「歴史に学んでいない」から、毎年のように同じトラブルが発生することになる。(本書1頁)

 著者の村上氏は、奈良大学の史学科の先生である。だからこれは、おそらく実話である。毎年毎年正月の漫才番組のようにくり返される「みすぼらしい笑劇」。しかし、当事者らにとって、ことは笑って済ませられる問題ではない。慣性こそが本質とも言える大学教育の現場ではあるが、こんなことに慣性はいらない。ならば行動あるのみ。笑劇のリピート再生を少しでもくい止めるべく、執筆したのがこの本なのである。

 そのため、本論は、4年生の4月時から始まる。

4年生の春になったら、最初にしてほしいことが二つある。一つはノートを買うこと。もう一つはファイルを買うことである。
ファイルは箱型のボックスファイルが容量も大きくて使いやすいと思うが、まあ何でもいい。さしあたってはクリアファイルでもいいし、何ならA4くらいの紙が入るような大きめの菓子箱でもいいだろう。(本書18頁)

 といった感じで、アドバイスは極めて具体的である。また、なぜノートを買うのか、ファイルは何に使うのか、手段と目的がきちんと切り分けられていて明快である。

 卒論という得体の知れない敵を前に、おろおろと手をこまねいている学生でも、ノートとファイルを買うことぐらいはできるであろう。簡単に見える最初の一歩がものすごく大事なのだ。百里の道も一歩から。その簡単に見える一歩の踏み出し方こそが大事なのであり、そこさえ大きく間違えなければ、8カ月後には卒論を完成させることが出来る、そういう作りになっている本なのである。

 でも、卒論に近道や王道はない。世間に顔向けできない恥ずかしい卒論提出を経験した元学生には痛いほどわかる真理についても、本書はとても早い段階で諭してくれる。

残念ながら、卒業論文を楽にすませるためのコツや秘訣はない。秘訣はないが、これだけは間違いないという唯一のアドバイスは、「早め早めに手を付け、作業を進める」ということにつきる。何ごともギリギリになってやると、いろんな失敗がつきものである。(本書6頁)

 まるで、私の普段の仕事の姿勢に説教を喰らっているかのような錯覚すら覚えるアドバイスである。読み物としても面白かったという感想が多いのも、本書の特色の一つであり、無味乾燥なマニュアルでは起こり得ない、教育効果を生んでいるのである。

 以上が、まだ新年度が始まったばかりのこの時期に、本書を紹介する所以である。

(編集局 山口泰生)

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