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“消されて”しまった「疫病退散」の異神・牛頭天王と蘇民将来の伝説、コロナ禍のなかで蘇る

記事:作品社

『増補新版 牛頭天王と蘇民将来伝説』――「疫病退散」の霊験ゆえに今も各地に伝わる民間信仰=蘇民将来の子孫とは。
『増補新版 牛頭天王と蘇民将来伝説』――「疫病退散」の霊験ゆえに今も各地に伝わる民間信仰=蘇民将来の子孫とは。

「疫病退散」を祈る祇園祭がコロナで中止に

 2020年の京都の祇園祭は、新型コロナウイルスによる感染病の流行のために、中止された。厳密にいえば、祭のハイライトである山鉾巡行が取りやめになったのだが、30台以上の大型で華麗な山鉾(山車)が巡行する祭礼が中止されることは、京都祇園の町民たちが伝統として守ってきた祇園祭の肝腎のところが失われるわけで、寒心に堪えない。

御池通に集結した祇園祭・後祭の山鉾(2019年7月24日、朝日新聞撮影)
御池通に集結した祇園祭・後祭の山鉾(2019年7月24日、朝日新聞撮影)

 というのも、夏越しの祓えの意味を持つ祇園祭は、疫病退散のために行うことを起源としているのだから、それが疫病(コロナウイルス)に駆逐されるということは、本末転倒も甚だしい。応仁の乱以降、戦乱や政変のために何度か中断されたことはあっても、流行病によって中止されることはなかった(戦前のコレラ蔓延時に延期はあった)。蘇民将来の札を掲げれば、疫神が家内に侵入することを防ぐという祭の主旨を考えれば、逆に今こそ祇園祭を盛大に行うべきなのだ。それこそ日本人がコロナに打ち勝った証として、である(どう実行するかには工夫や知恵が必要だが)。

“消されて”しまった牛頭天王

 アマビエなる流行神が巷に流行っているが、古来、疫病退散の強力な神として知られていたのは、牛頭天王だった。江戸時代の浮世絵には、額の上に牛頭を掲げた牛頭天王の一団(源為朝や鍾馗、玄三大師など)が、疫神、厄神、疱瘡神などの軍団と戦うという合戦図があり、疫病封じのお札として庶民の間で流通していたのである。

 牛頭天王が嫁取りの旅の際に、一夜の宿りで手厚くもてなしてくれた蘇民将来を賞で、「蘇民将来之子孫也」の札を与え、疫神封じとしたことが(『備後風土記』逸文)、祭礼の始まりである(その代りに天王を邪慳に扱った巨旦将来の家には疫神を放った)。牛頭天王が南海龍王の娘である波利采女を娶っての行列が、山鉾巡行の起源であり、京都をはじめとして、各地の祇園祭、津島祭が、山車や屋台、屋台船を繰り出しての豪華絢爛なものとなっているのは、疫病との戦いへの勝利による凱旋行と婚礼の祝祭感覚が強いからだ。

一年中、家の玄関に飾られている伊勢の門飾。「蘇民将来子孫家門」と書かれている(1982年、朝日新聞撮影)
一年中、家の玄関に飾られている伊勢の門飾。「蘇民将来子孫家門」と書かれている(1982年、朝日新聞撮影)

 京都の八坂神社は、もともとは祇園感神院といい、牛頭天王を祭る神社だった。明治初めの神仏分離、廃仏毀釈のために、仏教色のある牛頭天王(祇園天神)は、主神の地位を奪われ、各地の天王社(祇園社)は、スサノオを主神とする素盞嗚神社、八坂神社、津島神社、八雲神社、須賀神社と改称させられた。牛頭天王は、“消されて”しまったのである。

 しかし、各地に牛頭天王の痕跡は残されている。京都山崎の天王山、東京四谷の天王坂、東京南千住の天王公園、東京モノレール線の天王洲アイル、常磐快速線の天王台駅、横浜の相模鉄道の天王町駅、これらすべては、牛頭天王を祭った天王社があった場所で、天王町という地名を起源としたものである。

13年ぶりに増補新版として蘇る

 拙著『増補新版 牛頭天王と蘇民将来伝説』(作品社)は、日本全国の牛頭天王、蘇民将来の信仰の跡を辿ったものであり、文献調査と現地視察とを中心とした研究書であり、紀行書である。姫路の廣峯神社、京都八坂神社をはじめとして、広島県、兵庫県、京都府、滋賀県、愛知県、三重県、東京都、千葉県、岩手県など、文字通り東奔西走した。初版を上梓した後も、折につけ所縁の場所を訪れ、福岡県、茨城県、埼玉県などの各地各所を探訪した。まさに、“東ニ天王ノ名ガアレバ行ッテ調ベ、西ニ蘇民祭ガアレバ見物シ、北ニ伝説ヤ伝承ガアレバソレヲ繙キ、南ニ天王像ヤ図ガアレバ見タイト欲シ(どこでも、秘仏としての牛頭天王像を拝観させてくれるところは少なかったのである)”という旅を繰り返したのである。

 糖尿病、腎臓病を抱える我が身としては、それらの旅が苦しくなかったといえば、嘘になる。比叡山の山歩きは、風雨に祟られて遭難寸前の目に遭ったし、岩手の毛越寺の真冬の真夜中に行われた蘇民祭の見物は死ぬほど寒かった。だが、そうした社寺参拝の旅が、楽しくなかったといえば、それも嘘になる。瀬戸内海を眺めながらの、広島県、岡山県、兵庫県の山陽道の旅は、花ざかりの旅として楽しかったし、みちのくの旅路では、合間合間に温泉に浸かって旅の疲れを癒すことができた。

 喜びと苦難の成果がこの書である。最初の伊勢の「蘇民の森」に同行してくれた髙木有氏の手によって、初版が刊行されたのは、2007年のことである。思いもかけず、読売文学賞(紀行部門)を得たのは僥倖だった。選考委員だった故・川村二郎氏(津島神社信仰圏が出自である)が熱心に推奨してくれたそうだ。

旧版(左)と増補新版(右)、いずれも作品社刊
旧版(左)と増補新版(右)、いずれも作品社刊

 このたび、増補新版として、新しい装丁で13年ぶりに復刊されることとなった。やはり髙木有氏のご努力によるものだ。本文ではほんのちょっとの間違いを訂正したほかは、新しく「江戸の牛頭天王」の一文を補遺とした。牛頭天王と蘇民将来を探る旅は奥が深い。関東居住時に、足元の東京や埼玉、茨城などを回る旅の記録をおろそかにしていた。そのリベンジとして、雪深い札幌の郊外の地で、かつての旅を思い起こしながら書いた。新型コロナウイルスを蹴殺す勢いで売れてほしいものだ。

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