1. じんぶん堂TOP
  2. 哲学・思想
  3. プラトン、カント、ニーチェ…… 私たちが女性哲学者の名前を言えない理由

プラトン、カント、ニーチェ…… 私たちが女性哲学者の名前を言えない理由

記事:晶文社

『哲学の女王たち もうひとつの思想史入門』(晶文社)
『哲学の女王たち もうひとつの思想史入門』(晶文社)

哲学の歴史が語ってこなかったもの

 プラトンの『国家』をフェミニズム哲学の本だと思う人はまずいないだろう。しかし、男性と同じように女性にも理想の都市国家をつくりあげる能力があるとプラトンが語ったとき、彼は時代のはるか先を行っていた。ソクラテスの言葉を通してプラトンが主張したのは、才能と知性を備えた女性は、男性とともに「国の守護者」として力を発揮すべきだということである。「哲人王」とも呼ばれた守護者たちは、哲学の智恵を市民に授け、都市に調和をもたらすことで国家を統治する存在だった。

 それから2000年以上たっても、人々は相変わらずこう思っている。プラトンの時代から思想の分野を担ってきたのはほとんどが男性だろうと。まるで、女性も偉大な哲学者になれるというプラトンの予言を、これまでだれも実現してこなかったかのように。少なくとも、現在の哲学書を目にすれば、そう思ってしまう。

 これまで、哲学の歴史は女性を正当に評価してこなかった。それは最近出版されたこの分野の本を見てみるだけでわかる。たとえば『哲学――100人の思想家たち(Philosophy:100 Essential Thinkers)』に取りあげられている女性はわずかふたり。その栄誉に浴しているのは、メアリ・ウルストンクラフトとシモーヌ・ド・ボーヴォワールだけだ。『偉大な哲学者たち――ソクラテスからチューリングまで(The Great Philosophers:From Socrates to Turing)』にはひとりも入っていない。この本でも、各章の執筆者は現代の哲学者たちだが、その全員が男性である。本書を執筆中、AC・グレイリングの哲学書が出版された。その題名たるや『哲学の歴史(The History of Philosophy)』と大きく出たが、女性哲学者の項目はひとつもない。たしかに、「フェミニズム哲学」という3ページ半の解説はあるものの、そこに名前が挙げられている女性哲学者はマーサ・ヌスバウムただひとり。なるほどこれは問題だと読者も気づきはじめてくれたはずだ。(中略)

『哲学の女王たち』の口絵。20名のカラーイラストを収録
『哲学の女王たち』の口絵。20名のカラーイラストを収録

米・哲学教授は女性17%、黒人1

 これまで哲学の分野で、そして学問のほとんどの分野で女性の数が少なかったのは事実であり、それは女性たちが長いあいだ教育から排除されてきたからだ。イギリスではじめて4人の女性が学位を授けられ、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学)を卒業したのは1880年のことである。ケンブリッジ大学が女性に正式な学位を授与したのは、イギリスの教育機関としてはもっとも遅く、1948年のことだった。こうして女性は制度上で排除されてきたため、社会のなかで限られた役割しか与えられず、思考も自由も最低限のものにならざるをえなかった。

 しかし今は2019年だ[※原書刊行時]。さまざまなことがこの一世紀で確実に進歩した。哲学の学位を取得する女性がこれまでにないほど増え、現在はほとんどの大学で、学部の授業では男子学生より女子学生のほうが多いくらいだ。ただ、進歩はみられるものの、大学組織の上のほうでは、いまだに途方もなく大きい男女格差が存在する。教員に占める女性の割合が50パーセントに近い哲学科はほとんどない。2015年、アメリカの上位20の大学で、女性の哲学教授の割合はわずか22パーセントにすぎなかった。哲学の分野によっては、1970年代から女性教員の数がほとんど増えていない。したがって、哲学という男の世界に多くの若い女性たちが飛び込んできたとしても、それをもって上層部にも女性が増えているとみなすことはできないのだ。そのうえ、女性が講師や教授の地位を得られたとしても、その圧倒的多数は白人である。白人でない女性は、相変わらず哲学の分野ではきわめて数が少なく、マイノリティ出身となると、高い地位に就ける人はほとんどいない。

 『ニューヨーク・タイムズ』のインタビュー記事「哲学における黒人女性の苦労と前途」のなかで、アニタ・L・アレン教授はこう話している。アメリカの大学では、常勤の哲学教授のうち、女性はおよそ17パーセントですが、黒人はたった1パーセントしかいません。(中略)

『哲学の女王たち』目次。ディオティマからハンナ・アーレント、ボーヴォワールまで
『哲学の女王たち』目次。ディオティマからハンナ・アーレント、ボーヴォワールまで

『哲学の女王たち』目次。アイリス・マードックやアンスコム、アンジェラ・デイヴィスなど
『哲学の女王たち』目次。アイリス・マードックやアンスコム、アンジェラ・デイヴィスなど

 

「哲学者」と呼ばれなかった人たち

 残念ながら、哲学に対する人々の認識を変えるには、長い時間が必要である。わたしたちは本書のプロモーション・ビデオを作成するにあたって、一般の人たちに、哲学者の名前をできるだけ多く挙げてくださいと頼んだ。おなじみの哲学者の名をだれもが口にしたあと、では女性哲学者の名前を挙げられますかと尋ねた。すると、名前をひとつでも答えられた人はだれもいなかった。

 本書はこうした認識を変えるための試みである。そのため、本文では「哲学者」の定義をあえて広く使っている。というのも、哲学の歴史に女性が取りあげられてこなかったのは、彼女たちの多くが「政治活動家」や「学のある女性」としかみなされなかったことも一因だと思うからだ。そのせいで、哲学者といえば白人の男性が肘掛け椅子で考えにふけっているイメージが定着してしまった。しかしほんとうは、明快で鋭い知性、探究心や洞察力こそ、この女性たちを「哲学者」と名づけるにふさわしい資質なのだ。それを今こそ認めるべきである。

(R.バクストン+L.ホワイティング編『哲学の女王たち』(向井和美訳)「まえがき」より)

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ