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話題の本『土偶を読む』の編集者 「そこにしかないものの痕跡を残したい」

記事:じんぶん堂企画室

江坂祐輔さん(東京都千代田区神田神保町の晶文社にて)
江坂祐輔さん(東京都千代田区神田神保町の晶文社にて)

 東京・神保町にある晶文社を訪ねると、江坂祐輔さん(44)はキャップをかぶって現れた。トレードマークなんですかと聞くと、いや髪がぐちゃぐちゃだからです、と、ほんの一瞬とって見せてくれた。

 江坂さんは大学院でインド哲学の研究をしていた。同じことをずっとできるタイプではないからと、修士課程を修了後、研究者の道には進まず出版社に入った。

 出版の仕事を考えたのは、かつて父親が出版社に勤めており、小さい頃からなじみがあったからだ。

「幼児向けの出版社で絵本や教材を作っていました。3、4歳の僕を実験台にして、教材開発などを試行錯誤していたようです。僕が科学雑誌のモデルになったこともあります」

“お墨付き”不要の『土偶を読む』

 この4月末には、編集を担当した『土偶を読む』が刊行され、大きな話題になっている。

 著者の竹倉史人さんは宗教人類学が専門の在野研究者だ。土偶は人をかたどったものだという従来の定説には客観的根拠が少ないとし、神話的表現が込められた<植物像>だという新説をうち立てた。まったく新しいアプローチが評価される一方で、その独創性がネット上で議論を呼び起こしている。

江坂さんが編集を担当した『土偶を読む』(著・竹倉史人)
江坂さんが編集を担当した『土偶を読む』(著・竹倉史人)

 江坂さんは「ファクトの細かな部分を追究する学術書が多い中、『土偶を読む』のように、学際的でかつ壮大な視野を持つ本の登場は久しぶりなのではないでしょうか。竹倉さんが心から楽しんだ研究は冒険のようで、読む人をわくわくさせてくれます」と話す。

 『土偶を読む』は、発表の場を与えられずにいた研究だった。竹倉さんがいくつもの出版社に持ち込んだものの、「考古学研究者のお墨付き」がないという理由で書籍化を断られていた。研究の最終段階で話を聞いてくれた考古学研究者たちからも、結局は協力を得られなかったという。

 そんなとき、かつて編集を担当した本の著者が「彼ならきっと話を聞いてくれる」と引き合わせてくれたのが、晶文社の江坂さんだった。

『土偶を読む』への反響について「これほど大きいとは思ってませんでした」と話す江坂さん。だが、その表情はどこか「想定済みです」と言っているようにも
『土偶を読む』への反響について「これほど大きいとは思ってませんでした」と話す江坂さん。だが、その表情はどこか「想定済みです」と言っているようにも

 竹倉さんは、仮説を立て、関連する実証データを元に、イコノロジー(図像解釈学)などの方法を使って自説を細かく検証していた。

 資料を読み、竹倉さんの話を聞いた江坂さんは、その場で書籍化を約束した。「お墨付きは?」と思わず竹倉さんが聞くと、江坂さんは笑って「不要です」と即答したという。

 「この本は『考古学』の研究書ではなく、人類学・神話学・美術・認知科学等さまざまな視点から、これまでは考古学が専門としていると思われていた『土偶』あるいは『縄文人のこころ』にアプローチしたものです。それゆえ、考古学研究者のお墨付きは特に必要ないと考えました。基本的に研究というものは何か新しい見解をそこに付け加えない限り、意味がない。今までにないまったく新しい視点を提示したこの本は、まさに真の研究だと思います」

 著者の竹倉さんは「仮説を検証していく挌闘のプロセスを読者にも追体験してほしい、それは新しい学術の表現であり自分の研究の一部だ」と晶文社YouTubeチャンネル「開封動画」で語っていた。

ブックデザイナーの仕事の大きさ

『土偶を読む』は、視覚的にも読みやすく作った本なのだという。

 本論を邪魔せずリズムをもって入れられた豊富な図版。その上下に引かれた罫は、目を凝らしてもわからないほど微かに波打ち、手書きの風合いを出している。人の手で作られた土偶の雰囲気に合わせることで、ページ全体がまとまりをもって感じ取れるように考えられている。

『土偶を読む』の図版が掲載されたページ。手書きのような罫と、やわらかいフォントのキャプションは、土偶の雰囲気をじゃましない
『土偶を読む』の図版が掲載されたページ。手書きのような罫と、やわらかいフォントのキャプションは、土偶の雰囲気をじゃましない

 「ブックデザイナーの寄藤文平さんと古屋郁美さんによるものです。こういう細かいノイズのようなものだけでなく、さまざまな仕掛けが全ページにわたって緻密に配置されています。どの本でもデザインはとにかく重視しています。本づくりにおいては何よりデザイナーさんの力がとても大きいんです」と江坂さんは説明する。

 土偶の図版をいつまでも眺めながら竹倉さんと一緒に土偶を読み解いてみたくなる仕掛けを作った寄藤さん、古屋さんそして江坂さんは、本作りを通して、竹倉さんの学術表現を形にした。

「どの本も書店でちょっと浮いている」

 今までにないもの。誰もやらないもの。それが仕事を選ぶときの基準だという。

 “今までにない料理本”として作ったのが、『cook』(著・坂口恭平)。

『cook』(著・坂口恭平)の一部。坂口さんが30日間毎日、朝・昼・晩に作った料理の写真が、手書きの日記とともにおさめられている
『cook』(著・坂口恭平)の一部。坂口さんが30日間毎日、朝・昼・晩に作った料理の写真が、手書きの日記とともにおさめられている

 躁鬱を抱えていた坂口さんが毎日料理をすることで気持ちを立て直していく30日間の料理日記だ。坂口さんがスマートフォンで撮った料理の写真と、その日考えたことや料理の手順などを綴った手書きのノートが原寸大で、小さな書き込みなどもほぼそのままおさめられている。

 江坂さんは「料理って何だろうということに、こういう形でさかのぼってみた本は、これまでにはなかったんじゃないか」という。

 “今までにない整体の本”『ねじれとゆがみ』も作った。

 別所愉庵さんがブログに載せていた膨大な量の整体法に出会った江坂さんが、自分で試してみて、その手軽さと効用に感動し、「これは皆にも知ってほしい」と思い、体系化し、書籍にまとめたものだ。

 別所さんの「なんとも独特なここちよい文章」を多く入れ、誰でもすぐ実践できるようにイラストを工夫した。

『ねじれとゆがみ』は、美柑和俊さんによる装丁。「表紙は、同じ人間のいろんな状態――体がねじれた状態、調子のよい状態――を、平井さくらさんのイラストで表しています」
『ねじれとゆがみ』は、美柑和俊さんによる装丁。「表紙は、同じ人間のいろんな状態――体がねじれた状態、調子のよい状態――を、平井さくらさんのイラストで表しています」

 家族をモデルにして、自ら構図を考えて写真を撮り、それをもとに平井さくらさんに独特のタッチのイラストにしてもらったのだという。幼かった江坂さんをモデルにして教材作りに励んでいた父親と似たようなことを、それから35年近くたった今、江坂さんもしている。

 どちらの本も、表紙、判型、全体から「今までにない」存在感を放っている。

「僕が作った本はどれも、書店の棚でちょっと浮いて見えるかもしれない」

江坂さんの机の端にテニスボールが2個置いてあった。「気持ちを集中させたいとき、たまにこうして使うんです」
江坂さんの机の端にテニスボールが2個置いてあった。「気持ちを集中させたいとき、たまにこうして使うんです」

 江坂さんにとって編集という仕事とは。あらためて聞いてみた。

「その人の頭の中に、あるいは体験としてあるもの、その時点では誰もアクセスできないけれど、皆がそれに触れることで楽しくなったり、わくわくしたり、喜んだり、元気になったりするものについて、それらがなるべく自然なかたちで世の中に流れて行く。そこにほんの少しだけ関わっている。そんな仕事なのかな、と」

 江坂さんが仕事選びの基準だと言った「今までにないもの」とは、江坂さんがじっと耳をすまし、目をこらして見つけた、ひとりひとりの内に秘められた光のようなものなのだろう。

「研究、料理……何でもよいと思います。ある人が何かを作るとき、それはこの世に一つしかないものになる。本作りも、そうした一つしかない大事な痕跡なんだな、と思います」

(じんぶん堂企画室 伏貫淳子)

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