本と、人と、街をつなぐ“交差点” 出版もイベントも雑貨販売もする奥渋谷の本屋:SPBS本店
記事:じんぶん堂企画室
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本屋さんであり、雑貨屋さんであり、イベント会場やギャラリーでもある。SPBS本店には、新刊や人文書などのほか、雑誌、写真集、絵本、コミックなども並び、古典的な名著からリトルプレス、自費出版の本に至るまでどれも気軽に手に取ることができる。
黒澤さんは、「SPBS本店では、自分の好きな本に出会える」ことを大切にしていると話す。
「他の本屋さんに行けば専門書もたくさんあると思うんですけど、SPBS本店は、本を手に取ってもらうきっかけをつくっていきたいという思いがあります。入口として、この分野やこのジャンル、この著者がいいのでは? という提案が棚づくりや選書に表れています」
入口を入って右側の「ソーシャル棚」は黒澤さんの担当だ。本への入口だけでなく、知らなかった世界への入口も意識しているという。
「うちは人文書の棚はなくて、ここに哲学や心理学の本も入れてます。棚のテーマが大きいので、いろいろな本を入れていますね。新刊台が狭いので、ソーシャル棚にはそこから溢れてしまったけど置いておきたい本も並べています」
黒澤さん自身は、小さい頃から、自分の好きな本を何度も読むタイプだったという。3、4歳の頃は、アメリカの絵本作家、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』や『まよなかのだいどころ』をくり返し読んだそうだ。
中学生になると、父に薦められて知ったSF作家・星新一さんの作品を読みふけった。高校のときには、母の本棚にあった作家・江國香織さんの『雨はコーラがのめない』(新潮文庫)というエッセイに出会った。タイトルが気になって手に取り、その文章に魅せられたという。
「雨は、江國さんが飼っていた犬の名前で、雨についての話と音楽についての話を組み合わせたエッセイなんですけど、世界観が大人っぽくておしゃれで、今まで触れたことのない感じの文章のきれいさ、音楽的な文章のつながりを感じて。文章や音楽を選ぶセンスがすごいなと思った記憶があります」
好きな作家の本だけを読んできた黒澤さんは、自分のことを「本好き」だとは思っていなかった。大学生になり、就職活動を考えるタイミングで、「本が好きかも」「言葉も好きだ」と気づいたという。
その頃、渋谷の古書店「Flying Books」で、松浦弥太郎さんの『最低で最高の本屋』(集英社文庫)と出会う。
「僕にとって本屋のイメージは大型書店だったんですけど、松浦さんの『最低で最高の本屋』は全然違う。もっと自由な本のあり方、売り方を提示していて、めちゃくちゃ自由なことが本屋でできるのかもと思ったんです」
同じ頃、内沼晋太郎さんの『本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本』(朝日新聞出版)を読み、さらに「本屋っていろんなことができるんだ」と感じた。
そして、東京・国立のコミュニティスペース「国立本店」で本にまつわる活動をしたことも転機になった。ここで屋台で本を届ける楽しさを知ったことが、後の黒澤さん個人の移動本屋の取り組み「YATAI BOOKS」にもつながっていく。
「譲り受けた、たいやき屋さんの屋台が国立本店のバックヤードに眠っていたので、外に持ち出してみたんです。絵本を屋台に並べて、公園に持っていって、遊びにきている子たちや親御さんに読んでもらって。偶然の出会いや、本がない場所に本がある面白さに気づいたんです」
黒澤さんは、本屋について調べるほどに、ただ「おしゃれな書店だな」と思っていたSPBSが、「まさに本屋の定義を変えていく試みをしている」と感じるようになったという。
「出版もイベントも、ギャラリーもやってる。雑貨も売ってる。僕もこういうかたちで本に携わりたいと思って、アルバイトの募集出ないかなと毎日SPBSのホームページをチェックして(笑)。そしたら1カ月以内にたまたま出たんです」
こうして、黒澤さんの書店員人生がはじまった。
黒澤さんは、「お店として『どういう生活を自分たちがしていきたいか』を提案していくことも重要」と話す。本だけでなく雑貨や古着も含め、ライフスタイルを届けるのがSPBS本店だ。
「売上を雑貨でちゃんと立てながら、自分たちの好きな本も置いていく。イベントもやるし、ギャラリーもやるし、雑貨もやる。お店に来てもらうきっかけをたくさんつくっておいて、偶然手に取った本というのを大事にしたい」
スタッフの好みを前面に出すことも大切にしている。担当が変われば、棚も変わっていく。
「人にお薦めされた本こそ一番読みたくなる。趣味の合う友達に『これ、絶対好きだから読んでみなよ』と言われたときが一番強いと思うんですよね。それをいろんな棚でやってる感じです。『これ好きだったら、多分これも好きだと思うよ』と、各担当が自分なりに考えて選書しています」
「お客さんが好きな本も詰まっています。例えば、新刊が出ると一気に売れる近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』(KADOKAWA)とか、お客さんが『これはSPBS本店で買いたい』と思ってくれるような本はちゃんと置いておきたい。伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)とか、高野文子さんの『るきさん』(ちくま文庫)もロングセラーなんですよ」
黒澤さんが店長になったのは、2020年1月。SPBS本店で働き始めて3年目の冬だった。それからすぐに、経験したことのないコロナ禍を迎えることになる。
当時を、黒澤さんは「絶望ですよね」と笑いながらふり返る。それでも、これ以上悪くなることはないと、これまでとは違うお店のあり方を考える機会にしたという。
「コロナ以前は、売上も、年々上がっていて、客数もすごく増えていたんです。でもひたすら売上だけを目指して、たくさん売っていくだけだと疲弊していってしまう部分もあるので、利益についてもしっかりと考えていく必要があるなと。お客様も減ってしまって、リアルなイベントもできなくて、時間もリソースも限られる中で、現実を見て、売上だけじゃなくて利益率と向き合うのは大事なことですよね」
2020年4月末〜5月の休業中には、「SPBS ONLINE SHOPPING」を開催。お客さんとZoomで話しながら、スタッフがマンツーマンの接客で店内を案内し、本を紹介する試みだったという。
「お客さんに『こんな本が欲しいです』って言われて、『じゃあ、この本どうですか』とおすすめしたり。棚を見せながら『これ気になります』と言われたら、手に取って、中を見せたりしました。郵送で買うこともできるようにしたんです」
「本屋って接客をしないので、おすすめされて買う経験がないですよね。いざやってみると『じゃあ、買いたいです』と。意外とおすすめされたい人は多いんだなと思いました。地方のお客さんからも『行けなかったからよかった』『行きたくなりました』と言ってもらえることが多くて。続けていくのもアリなのかなと思っています」
好きな本と丁寧に向き合ってきた黒澤さんに、人生を変えた一冊を聞いてみると、詩人・茨木のり子さんの『倚りかからず』(ちくま文庫)を挙げた。大学の図書館で見つけたという。
「『お休みどころ』という詩があって、今でもものすごく影響を受けています。昔、街道にあった『バス停に屋根をつけたぐらいのささやかなたたずまい』の小さいお休みどころに関する詩で。無人なんだけど、茶碗があって、夏は麦茶、冬は番茶の用意がある。重たい荷物を背負った人がここで一休みして、お茶を飲んで街に入っていく」
「誰が世話しているのか分からないんだけど、お茶の用意がある。これを『自動販売機の空々しさじゃなくて、人の気配が漂う無人』と表現していて。茨木さんは『やりたいのはこれかもしれない』と、ぼんやり15歳のセーラー服の私が考えた、と」
この詩に触れて、黒澤さんは「僕もやりたい。これ」と思ったのだという。
「多分、お休みどころがあるだけではダメで、お茶があることがポイントだと思うんです。人に対する気配りが、季節によって変わる。無償の行為なんですけど、人への想像力というか、ゆとりを持っていたいなと。そういうことを本屋としても続けていきたいですね」
いま向き合いたい人文書は、『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』(新曜社)。
哲学者の國分功一郎さんが中動態の視点から、小児科医で科学者の熊谷晋一郎さんが当事者研究の立場から、「責任」と「意志」の関わりを問い直す一冊。開かれた討論会の様子を対談形式でまとめたものだ。
「『あなたの責任です。あなたの意志でやったことですよね』というのは、すごく楽ですよね。自己責任というか。でも本当に自分の意志でそれをやったのかは分からない。何か社会的な、外圧的な因果関係もあるはずだけど、意志を持ち出すことで、それが全部なくなって、その人だけに責任を押しつけることができてしまう」
「本の中では、『意志というものと責任を結びつけるのは、すごい乱暴なんじゃないか』と言ってるんです。『レスポンシビリティ』という言葉は、応答を意味する『レスポンス』から来ていて、『責任は、負うものじゃなくて感じるものですよ』と。応答すべき何かがあって、そこに責任を感じたときに初めて、その人はそれに対して応答することができるのではないかと」
責任を感じないままの謝罪は、ただの反応ーー。黒澤さんは、「反応だけをしていれば、とりあえずその場は免責されたようになるけど、実際は何も解決してない状況はすごくある」と、今の時代に届けたい理由を添えた。
街の本屋の役割について、黒澤さんは「何もしなくてもいいところ」だと表現する。
「本屋は、ちょっと寄って少し休んで、出ていってもいい場所だと思っています。フラッと来て本をパラパラめくったり、待ち合わせの場所になったりする。ここを通ってまた別の世界に行く“交差点”というか、そのゆとりがすごく大事だと思っています」
SPBSは、奥渋谷という街のハブでもあり、近隣のショップや人たちとのコラボレーションは日常茶飯事だ。一緒にイベントをやることで、つながりを生む場所にもなっている。
黒澤さんは、「本を売ることで会話が生まれる。全世界の人が、みんな好きな本を売ったらいいじゃないか」と話す。個人で「YATAI BOOKS」の活動を続けるのもそれが理由だ。
「自分が好きな本を持っていって屋台に並べたら、もうお店になる。ものを売るとそこにコミュニケーションが発生するんです。そうすると、ゆるやか関係性や余白が生まれて、街はすごく面白くなっていくんじゃないかと。本を売れば、それをきっかけに会話が生まれますから」
現代の「お休みどころ」――。黒澤さんの言葉には、やさしい本屋の役割が詰まっていた。