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「実践知」の著者に惹かれる理由 創元社の編集者・内貴麻美さん

記事:じんぶん堂企画室

創元社編集局の内貴麻美さん。同社の公式キャラクター・ひつじのソジーもインタビューに同席してくれた(東京都千代田区神保町にある同社東京支店にて。記事内写真はすべて、撮影時のみマスクを外してもらって撮影)
創元社編集局の内貴麻美さん。同社の公式キャラクター・ひつじのソジーもインタビューに同席してくれた(東京都千代田区神保町にある同社東京支店にて。記事内写真はすべて、撮影時のみマスクを外してもらって撮影)

中高時代はバスケットボール、大学では本に没頭

 「大阪に出版社があるのですか?」。出版社は東京にあるのが当然のように言われたのに奮起し、書籍小売りから出版業に転じて生まれたのが、大阪に本社を持つ出版社の創元社だ。かつて小林秀雄が編集顧問を務めたこともある東京支店で編集者として働く内貴さんを訪ねた。

 神保町にある東京支社は総勢5人。営業4人と、編集の内貴さんだ。

 神戸で生まれ育った内貴さんは、昨年6月、結婚を機に夫が在住する東京に異動した。普段から書店巡りが好きだが、コロナ禍により東京ではあまり新規開拓ができていないと残念そうだ。

内貴さんが初めて企画・編集を担当した『翻訳できない 世界のことば』が好評だったため、その後シリーズ化された「世界を旅するイラストブックシリーズ」の一部
内貴さんが初めて企画・編集を担当した『翻訳できない 世界のことば』が好評だったため、その後シリーズ化された「世界を旅するイラストブックシリーズ」の一部

 中学と高校ではバスケットボールに打ち込み、大学はスポーツ健康科学部に入学した。

 「高2の時、膝に大怪我をして長いリハビリ生活に入ったのですが、肉体的にも精神的にもかなりつらいことだったので、せめて怪我の経験を活かす仕事に就こうと、少し意固地になって進学先を選びました」

 大学に入ると、バスケットボール一色だった6年間に抑えていた読書欲が爆発し、ジャンル問わず本を読みあさった。その頃はあまり周りの人に心を開けない時期だったので本にとても救われました、と内貴さんは振り返る。

 「当時、読書ノートのようなものをつけていました。誰に見られることもなく自由に感想を書いたり、印象的な文章を抜き書きしたりしていました。今、著者から頂いた原稿に感想を書いて返すとき、当時と同じことをしているなと思います」

 本がとにかく好きで、卒業後は出版社で働きたいと考えるようになった。

 しかし、ほとんどの出版社は東京にある。就職は難しいかなと思っていたある日、ゼミの教授が、大阪の出版社が募集しているよと創元社の新聞広告を教えてくれた。

 見ると、締切は明日。履歴書と作文を徹夜で書き上げ、翌日、郵送では間に合わないので持参した。

 経験者の募集だったにも関わらず採用され、大学4年からアルバイトとして編集部長のアシスタントについた。

 「とにかく著者のためにと考える上司でした。気配りが細やかで、著者へのゲラ(校正刷り)の送り方や、執筆をお願いする手紙の書き方など、ひとつひとつ丁寧に教えてもらいました。最初にそういうことを教えてもらって本当によかったと思っています」

著者の人柄を体現する本を作る

 「私が惹かれる著者は、『実践知』――単に情報として得た知識ではなく、身体に根差した経験的な知を私はそう呼んでいますが、そうした『実践知』をベースに、理論と実践の間を行き来しながら思考し、それを表現する自分だけの言葉を磨いている人です」

 そう考える内貴さんが作ったのが、『人類堆肥化計画』という不思議なタイトルの本だ。

内貴さんが編集を担当した『人類堆肥化計画』(著・東千茅)
内貴さんが編集を担当した『人類堆肥化計画』(著・東千茅)

 大阪にある個人書店「blackbird books」でたまたま手にした同人誌「つち式」で、里山で自給自足生活を営む東千茅さんの文章に出会った。清いイメージで表現されることの多い里山を、東さんは、自身の農耕生活をもとに、生き物同士が欲望をぶつけ合いながら生きる悦びと腐敗の塊として表現する。

 同店で開催された東さんのトークイベントに出かけ、執筆を依頼した。

 本書では、思想を記したパートの間に里山での生活を綴った随筆パートが、春夏秋冬ごとに登場する。

編集者の机といえばゲラや本が積み重ねられているイメージだが、整然とした内貴さんの机
編集者の机といえばゲラや本が積み重ねられているイメージだが、整然とした内貴さんの机

 「東さんから最初に頂いた原稿は思想パートのみでした。けれど、東さんの発想が奇抜な分、それだけでは机上の空論として捉えられてしまうかもしれないと懸念しました。農耕者である東さんの最大の強みは、自身が里山生活の実践者であることです。東さんが自らの実践をもとに思考していることが伝われば、本に説得力を持たせられると考えました。そこで、季節ごとの生活を随筆として丁寧に描写していただき、思想パートとは違う色のページにしてはさみこむ構成にしました」

 随筆パートを加えたのは、東さんという人物の全体像を伝えるためでもあった。

 「思想パートの東さんの文章を読むと、過激で暴力的な人間が想像されるかもしれません。でも、実際に東さんにお会いしたときの印象は、とてもおおらかで、底知れない深みのある方です。文章も、一方では過激ですが、「つち式」に綴られていた里山生活の描写は、非常に詩的で感性豊かなものでした。東さんという人間の全体像を伝えるためにも、日々の生活についての文章も必要だと思いました」

 やはり「実践知」の人として内貴さんが執筆の依頼を重ねているのが、言語学者の吉岡乾さんだ。

6月18日に発売されたばかりの『フィールド言語学者、巣ごもる。』(著・吉岡乾)
6月18日に発売されたばかりの『フィールド言語学者、巣ごもる。』(著・吉岡乾)

 言語調査に出かけるパキスタンやインドの過酷な環境に毒づきつつ、調査に奮闘する日々をユーモラスかつ真摯に綴るエッセイ『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』、そして、コロナ禍で調査に出かけられない状況下で日常にある「言葉」に目を向けたエッセイ『フィールド言語学者、巣ごもる。』は、内貴さんの依頼で生まれた。

 「嫌々」とは言いながらもひたむきに研究を続ける吉岡さんの「形容しがたい魅力」をいかに誇張せずそのまま伝えるか。そこにやりがいを感じたことが、著者の人柄を体現する本作りをこころがけるきっかけになった。

『フィールド言語学者、巣ごもる。』の入稿原稿。色とりどりに塗られているのは「言語ごとにフォントを変える必要があるので、印刷所さんに伝えるために色分けしてあります」(内貴さん)
『フィールド言語学者、巣ごもる。』の入稿原稿。色とりどりに塗られているのは「言語ごとにフォントを変える必要があるので、印刷所さんに伝えるために色分けしてあります」(内貴さん)

 東さん。吉岡さん。二人の著者へのまっすぐな気持ちが、内貴さんの言葉の端々から伝わる。最初の上司が内貴さんに伝えたのは、ゲラの送り方や手紙の書き方だけではなく、著者との向きあい方こそ、じつはもっとも大きかったのかもしれない。

理論と実践を行き来する人は、やさしい

 「実践知」をもとに思考する著者に、なぜ内貴さんは惹かれるのか。

 「私自身は、自分の感情や考えを言葉にして伝えることがすごく苦手だと感じています。言葉にしたときに、どうしてもこぼれ落ちるものがあるように感じるんです。身体や生活の実体からかけ離れた論理や言葉は、物事のグラデーションの部分を切り捨てざるを得ないところがあると思います。でも、自らの実践と理論とを行き来しながら思考する人は、その間でこぼれ落ちるものをすくい取ろうとしていると思うんです。目の前の現実と自分の知がどういうふうに結びつくのかを考えて、その間にある葛藤に目を向ける強さを持っている。それが、私にとっては『やさしさ』と感じられるのだと思います」

「『日常を深く生きる』というテーマに惹かれます。振り返ってみれば私が企画したどの本にもひそんでいるテーマかもしれません」(内貴さん)
「『日常を深く生きる』というテーマに惹かれます。振り返ってみれば私が企画したどの本にもひそんでいるテーマかもしれません」(内貴さん)

 実践と結びついた知は、五感を通して読む人の心に伝わり、ありふれた日常を見る目の解像度が上がって、毎日をより深く生きることにつながる――内貴さんは、そう思う。

 「私はどちらかというと感覚的な人間なので、体感をともなった知のほうが心に伝わってきます。本を作るときは、それがどんなジャンルの本であっても、最終的には人の心の問題を扱う本として作りたいと思っています。なぜなら、本として「言語化すること」は人の心に訴えるための行為ですし、この世の事象はすべて人間というフィルターを通して見るならば、それは心の問題とつながっていると思うからです。――編集の仕事は、編集者が世界をどう見るか、という一面もありますよね。本の世界は現実世界と同様に多様であるべきで、私が関わる本も、その多様さの一部分になればいいな、と思っています」

(じんぶん堂企画室 伏貫淳子)

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