『ヤンキーと地元』『日本の包茎』……ゲラの山の中から異色作続々 「読む人の地図のようになれば」
記事:じんぶん堂企画室
記事:じんぶん堂企画室
隅田川の西岸、台東区蔵前に筑摩書房はある。
第二編集室に案内されると、ゲラ(校正刷)や本が城壁のようにうず高く積み上げられた机が見えた。長めの髪に眼鏡とマスクをつけた背の高い男性が立ち上がって会釈する。筑摩選書編集長・石島裕之さん(56)だ。
2冊の本のタイトルから想像したイメージとは違い、穏やかなたたずまいの人だった。
2冊について聞くと、「若い人が読んでくれているようでうれしいですけど、“手にとりにくいシリーズ”になってしまったみたいで……」と苦笑した。電車の中で読みにくい、親から隠れて読んでいる、という声がSNS上でいくつか見られたという。
テーマは「仮性包茎」と、人が生まれてくることを否定する「反出生主義」。どちらの本も人前で話題にしづらい内容だ。誰にも相談できない悩みを抱えている人も少なくないだろう。
「人文社会科学系の本って、先行き不透明で複雑な現代社会を生きる私たちにとって、ある見通しを与えてくれたりすると思うんですね。モヤモヤしていたことの背景がクリアーに見えてきたり、少しでも前へ進むヒントを与えてくれたり……。そんな本を作りたいといつも思っています。そうした1冊1冊が、点が線になるようにつながっていって、読む人にとっての地図のようになっていけばいいな、と」
沖縄の「下層の若者」の現実を伝える『ヤンキーと地元』も、石島さんが編集を手がけた。2011年に社会学者の打越正行さんのもとを訪ねて執筆を依頼し、2019年に刊行した。
打越さんが暴走族の「パシリ」や型枠解体工として、沖縄の若者たちの中に入り、10年以上生活をともにした参与観察をまとめた本だ。地元の「しーじゃ(輩)」「うっとう(後輩)」という上下関係から逃れられない若者たちの生々しい現実が描かれている。
話題になって版を重ね、沖縄の書店が選ぶ沖縄書店大賞・沖縄部門大賞も受賞した。
石島さんは「地元の先輩後輩関係を頼るしか生きる場を確保しづらい若者たちの現実を、そのまま受けとってもらえれば……。そこから、沖縄が置かれた構造的な問題も浮かび上がってくると思うんです」と話す。
石島さんは黒い大きな鞄に、いつも同じシャープペンシルを4本入れて持ち歩いている。通勤の電車内で、気になる著者や原稿を依頼する人の本を読む時にメモ書きに使うものだ。
読みながら、本のページや扉に気付いたことをびっしりと書き込む。そのため細かい字を書ける0.3ミリ芯で、しかも筆圧で芯が折れにくいシャープペンシルが必需品なのだという。
机の上にあったゲラを見ると、緑色の文字で書き込みがされていた。赤ではなく、緑のインクだ。
「若いころは赤で書いていましたが、どうしても“修正”や“批判”のニュアンスが出てきてしまうので、筆者へのコメントは緑のインクで書くようにしています。明らかな間違いには今も赤を使います。4色ボールペンは必需品ですね」
ゲラの山は何年分あるのかと尋ねると、下のほうをひっぱり出して、「このあたりは2018年ですね」と笑った。そびえ立つゲラの山に頓着しない一方で、インクの色にも気を遣う。そのギャップがなんともおかしい。
石島さんが大学卒業後に最初に就職したのは、通信社の出版局だった。その当時、哲学者の鷲田小彌太さんが読書会を勧めているのを知り、仲間たちと読書会を始めた。それと並行して、研究者や編集者が参加するいくつかの読書会にも顔を出すようになった。
「かなり突っ込んだ議論をするので、根拠を持って考えることの大切さを学びました。視野もずいぶん広げてもらいましたね。僕がジェンダーの問題に関心を持つようになったのも、読書会で知り合った友人の影響です」
社会や思想の諸相を読み解いた“地図”をみんなで囲み、こんな考えがあったのかとワクワクしたり、よりよい道を探ったり、そんな場だった。
自分の手がける本が、読む人にとって、モヤモヤがクリアーになる“地図”となれば、考える足がかりとなれば――。石島さんがそう何度も口にしたことが、少し腑に落ちた。
最後に、いつか作ってみたい理想の本を聞いてみた。
「これ絵本じゃない?ってくらい言葉数が少ない本です。じつは、そういう本がかなり好きなんですよね。シンプルで、どんな人でも読むことができて、深さもある」
今日も、ゲラと本の城壁の中で、石島さんは黙々と“地図”を作り続けている。
(じんぶん堂企画室 伏貫淳子)