プロデューサーが語る『さよならテレビ』の顚末 未だに止まらない余震
記事:平凡社
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朝、起きて顔を洗い、鏡を見る。そこには、裏切り者が浮かんでいる。
取材対象のなかに放送後もずっと身を置き続ける。そんな体験を持つテレビマンは、いないだろう。当初、「半年は厳しい視線を浴びるぞ」とスタッフに言っていたが、『さよならテレビ』は一年以上も針の筵が続いた。私も、一時は出社できないような精神状態になったのだから、番組の後、ニュースデスクに戻ったディレクターの圡方宏史の心中は計り知れない。
波風を立てて初めてドキュメンタリーだ、などと言ってはいられない職場の状態を見かねて、報道部長が社内で番組についてのティーチ・インを開こうと提案した。
全ての社員に参加を呼びかけた会には、若手から役員まで、ほとんどの部署から約80人が参加した。スタッフ7人が、参加者と向き合う形で座り、意見交換が始まった。
その時の議事録……。「報道の苦悩を新鮮に見た」「弱さの持つ力を知った」「これが東海テレビの真の姿か」「制作者の奢りだ」「表現のために仲間を売った」「会社のイメージを棄損した」……。賛意を示す意見は少数で、否定的な発言が大勢を占めた。
私が思っていたことは、局員の感情的な問題より、このままで地上波ローカルの東海テレビが存続できるかということだった。一本の番組で集会が開かれるのは『ぴーかんテレビ』以来のことで、建設的な方向に進んでほしいと願ったが、『さよならテレビ』に映し出された仲間への同情や番組への怒りが充満して、テレビの未来を語り合うような場に発展することはなかった。
ティーチ・インのなかで、幾度も使われた言葉がある。「切り取る」だ。マイナスイメージを都合よく切り取って番組にしたものが『さよならテレビ』だという非難だった。「切り取る」という行為を疑いもなく悪行として批判するのだが、取材とは、撮影とは、構成とは、編集とは、そしてテレビとは何か、そうした問いを繰り返してこなかったテレビマンが、「ネトウヨ」が流行らせた用語に乗っかっているようで、残念至極だった。
ティーチ・インの後、いくつかメールが寄せられた。「あの番組を面白いと言えない会社が怖ろしい」「会社への危機感がひしひし伝わってきた。応援してます」。隠れキリシタンがかなりいた。
傷を、どう診てどう処置するかで、命の先行きが決まる。傷と認識せずに放っておいたために死ぬことだってある。認識の相違だなどと放置していられるほど、いまのテレビの傷は浅いのだろうか。
放送から1年半、『さよならテレビ』の映画公開を目指して、ゆっくり準備を進めていた。
実際には、映画版の編集を終えて、映画化を会社に提案するタイミングを計っていたのだが、その機会がなかなか訪れない。テレビドキュメンタリーのコンクールで賞に輝くなどをきっかけに、「ほら、評価に値する番組なんだよ」と一気に映画化に進みたいと考えていたのだが、エントリーしたコンクールの落選が続いていた。
こうなると、『さよならテレビ』が、この時代にそぐわなかったのかと疑心暗鬼になるのだが、映画界の反応は、そうではなかった。「御社で予算を確保できないのでしたら、お金を出しますので、一緒に映画化しませんか」。配給などの費用を負担するから映画化を考えてほしいという連絡が入るのだった。しかし、東海テレビの製作・配給、東風の宣伝・配給協力というこれまでの座組みを変えるつもりはなかった。何より、社内がもう少し冷静に番組を評価し、自信をもって映画化できることを願っていた。しかし、ここがラストチャンスだった。日本民間放送連盟賞の地区予選での高評価をバネに、経営トップと話して映画化の同意を得ることにしたのだ。
「あぶちゃん、東海テレビに愛はあるのかい?」
「もちろんです。気持ちがなければ、こんな番組は作れません」
「わかった」
これ以前に、経営トップとは、『さよならテレビ』について数回やりとりがあった。
初回は、放送直後で、「ある人に番組に対してガバナンスが利いているのかと言われたよ」だった。少々渋い顔をしていた。これまでドキュメンタリーについて、会社の幹部たちは意見を述べることがほとんどなかった。それが、今回は異例の事態だった。勢いづいて批判の矢を向けてきた理由は、トップのこの発言に由来していると思った。2回目は、こうだった。「信頼しているスタッフの番組に、経営がガバナンスを利かせないことのほうが、放送局の最も高度なガバナンスだと思う」。私は、この経営トップの言葉を聞いて、胸が熱くなった。他局の経営者から、決して良いことを言われているわけではあるまい。それなのに、揺るぎない信頼をスタッフに置いている。私たちのドキュメンタリーの質と自由度を守る最後の砦は、この経営トップだと思っている。
それなりの葛藤を経たが、さまざまな意見を吞み込んで、『さよならテレビ』は映画化への道が開かれた。東海テレビとは、そんなふうに懐の深い放送局だ。
2020年1月2日、ロードショー開始。映画館は立ち見が出た。全国へと回り、観客動員2万5000人を超えたところで、『さよならテレビ』は、コロナの渦に巻き込まれていった。
『さよならテレビ』は、今も続いている騒動だ。この先、テレビのことを考えるたびに、私は胸の中で治まらないうねりとともに『さよならテレビ』を感じるのだろう。その騒動の途上で発せられた二つの発語が忘れられない。「会社のイメージを棄損した」という「うち」への誇りから発せられた怒り。そして、経営トップの信頼関係に裏打ちされた、管理よりも制作環境の自由度を高めようとするメッセージだ。
瘦せていくテレビという表現空間……。しかし、表現することに正直なスタッフに恵まれて、私はドキュメンタリーに集中することが許されている。どれも、全国放送などにはならず、今のテレビ界からはみ出してしまっているようだが、お蔭で、映画の世界へ表現の翼を広げることができている。いつも思っていることは同じだ。作りたいように作る、その延長上で、同時代の、地域の人たちと共有できるものに辿り着きたい。
10年後、20年後、30年後、『さよならテレビ』は、どう解釈されているだろうか。そして、テレビは、その時どうなっているだろうか。現在の、そして未来のテレビマンに託すつもりで、この作品は送り出した。地上波テレビが、何より面白いと言われ続けるために……。
(平凡社新書『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』より抜粋)
平凡社新書『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』目次
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび