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「共に生きる」はきれいごと? 『手話の学校と難聴のディレクター』

記事:筑摩書房

廊下ではしゃぐ、明晴学園の子どもたち
廊下ではしゃぐ、明晴学園の子どもたち

「羨ましい」と思わせてくれる初めての番組

 子どもたちが大騒ぎしている。しかし、そこに声は聞こえない。なぜなら彼らはろう者。まくしたてるように手話を操り、豊かな表情で饒舌に会話をしている。先生にドッキリを仕掛けるんだと作戦を練って笑っているのだ。その楽しげな光景は、カルチャーショックにも似た衝撃を与えてくれた。

 2018年5月26日に放送された、ろう学校・明晴学園を舞台にしたETV特集『静かで、にぎやかな世界』(Eテレ)は、上質なテレビ番組を顕彰するギャラクシー賞で僕を含めた選考委員の大きな支持を集め、その年の大賞を受賞した。この番組で軽やかに手話を操る子どもたちを見ていると、手話もひとつの言語であるということを思い知らされる。英語がもっとしゃべれたらいいのにと思うのと同様に、手話をしゃべれず会話に加われない自分が悔しくなってしまうのだ。いまや障害者を「かわいそう」という目線でつくるドキュメンタリーはさすがにほとんどなくなったが、「羨ましい」と思わせてくれる番組に出会ったのは初めてだった。

通訳が文字にした音声情報をモニターで見ながら、番組をつくる長嶋愛さん
通訳が文字にした音声情報をモニターで見ながら、番組をつくる長嶋愛さん

 選考会の中で、ディレクターの長嶋愛も聴覚に障害があることを知った。だから僕は、「子どもたちの手話を理解できるから、こんな美しい世界が撮れたのか」と本書を読むまで早合点していた。

実は多様なろう者の世界

 けれど、実は彼女は子どもたちの話す手話をほとんど理解できないというのだ。ろう者の世界も多様だ。その定義も様々で、聴力の程度に応じて「ろう」と「難聴」に言い分けることもある。その定義でいえば彼女は「難聴」。ある時期までは、補聴器をつけていればある程度会話が理解できる程度の聴力はあった。だが、歳とともに聴力が低下し、現在は補聴器があっても音が鳴っているとギリギリ認識できるレベルだという。また、手話もひとつではない。彼女が身につけていたのは「日本語対応手話」と呼ばれるもので、日本語がベースにあり、声や日本語に合わせて手と指を動かす手話だ。僕らが一般的にイメージする手話はこちらだろう。一方、明晴学園の子どもたちが使う手話は「日本手話」と呼ばれ、日本語とは異なる文法を持つ視覚言語なのだ。従って彼女は、現場で聴者のスタッフが「手話→手話通訳」で済むところ、さらに「文字通訳」を介さなければ子どもたちの会話を理解できないという、むしろハンデ〟を背負っていたのだ。

学校生活で起きる問題は、子どもたち自身が話し合って解決していく
学校生活で起きる問題は、子どもたち自身が話し合って解決していく

 驚くのは日本では90年代初頭まで、ろう学校で手話が禁止されていたということだ。聴者は手話を使えないのだから、ろう者が口話を理解する能力を高めることでコミュニケーションを取るべきだという考えがあるのだろう。著者自身も以前はそのほうがいいのではないかと考えていたという。けれどそれは「共生」とは名ばかりのマジョリティに合わせればいいという勝手な理屈だ。明晴学園は、「日本語の獲得」を第一目標としてきたこれまでのろう学校の逆を行き、「日本手話」で学ぶことで子どもたちの思考力とコミュニケーション力を高める教育方針を掲げたのだ。人は「言葉」によって考える生き物だ。だからこそ彼らには彼らに合った手話という言葉が必要なのだ。

多様な視点を武器に〝障害〟に立ち向かう

 本書には番組にかかわったカメラマンやプロデューサーなどスタッフのインタビューも収録されている。その中で編集マンの松本哲夫が語ったエピソードが特に印象的だ。番組を編集している際、明晴学園の先生が手話の字幕テロップ確認のために編集室にやってきた。その時、自分だけが手話がわからず「おいてけぼり」になったというのだ。この空間ではマジョリティは手話で話す人たち。彼の前に〝障害〟が横たわったのだ。聞こえるか聞こえないかは関係ない。社会には、あらゆるところに〝障害〟がはびこっている。それにどう立ち向かっていくか。本書はそのひとつの記録だ。そこには〝気づき〟があふれていた。乗り越えるための大きな武器は〝多様な視点〟に他ならない。手話を知った世界と知らない世界、どちらが豊かなのかは明白だ。

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