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私たちが「打ち勝つ」べきもの――『アンダーコロナの移民たち』の視角から

記事:明石書店

鈴木江理子編著『アンダーコロナの移民たち~日本社会の脆弱性があらわれた場所』(明石書店)
鈴木江理子編著『アンダーコロナの移民たち~日本社会の脆弱性があらわれた場所』(明石書店)

 村上春樹氏の小説ではないが、2021年4月21日に本書『アンダーコロナの移民たち』のあとがきを書いて以降、良いニュースと悪いニュースがあった。前者は、改定出入国管理及び難民認定法(「入管法」)案の廃案であり、後者は、アンダーコロナが継続するなか、「弱者」を置き去りにした東京五輪開催強行である。

市民社会の声と2つのニュース

 5月18日、第204回通常国会で審議されていた改定入管法案が、事実上廃案となった。退去強制事由に該当するとして退去強制令書が発付された移民/外国人の大多数は出国しているが、日本に家族がいたり、日本で育ち教育を受けている子どもがいたり、帰国すれば生命の危険に晒されるなど、「帰れない事情」を抱える人々もいる。改定法案は、そのような人々の送還促進を企図するものであった。難民の送還停止効の例外規定など、難民申請者の生命を危険に晒すような条文も盛り込まれていた。

 当初は、容易に成立すると思われていた改定法案であったが、抗議声明や記者会見、署名や緊急アクション、デモやシットインなど、法案に反対する市民社会からの声が次第に高まり、その声に呼応するメディア報道や国会審議における野党の粘り強い姿勢によって、「改悪」は阻止された。声をあげた人々のなかには、今回の改定法案で初めて移民/外国人のおかれている状況に関心をもった人や、高校生や大学生などの若者たちもいた。名古屋出入国管理局で起きたスリランカ人女性ウィシュマさん死亡事件や、それに対する当局の不誠実な対応も、廃案への推進力となった。

 一方、東京五輪開催については、5-6月に大手メディアによって実施された世論調査をみると、いずれも半数以上が中止あるいは延期と回答しているにもかかわらず、開催が強行されようとしている。開催中止を求める市民社会の声を結集することができなかったためであろうか。

 2020年3月17日、当時の安倍首相は、G7首脳緊急テレビ会議後の会見で「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証として、完全な形で実現する」と語り、同月24日に、東京五輪の延期が決定された。あれから1年余り、ワクチン接種が始まったとはいえ、事態はいまだ収束していない。コロナ感染によって、あるいはコロナによる経済活動の低迷や人の移動の制限によって、多くの人々が苦しんでいる状況のどこに、「打ち勝つ証」があるのだろうか。そして何より、私たちが真に打ち勝つべきは、コロナ禍で露呈した社会の脆弱性ではないだろうか。

アンダーコロナで露呈した脆弱性

 ウイルス感染症の脅威は、人種・民族・国籍を超えたものである。けれども実際には、罹患を含むその影響は、社会構造的に「弱い」立場におかれている者に、より大きく現れる。リーマンショックに続く「二回目の危機」に見舞われている日系南米人、仕事とともに住居まで失い、行き場をなくす移住労働者、「社会的剥奪」という構造的課題が一層複雑化・深刻化し、追い込まれる技能実習生、「学べない、働けない、帰れない」留学生、学びとつながりの危機にある移民/外国ルーツの子どもたち、今日を生き抜くことすら困難な状況に陥っている仮放免者――。

 「私たちが困ったときに、日本政府は助けてくれないのだろうか」。日本滞在28年、60歳のブラジル人男性の問いかけである。不定期なアルバイトで働きつつ、仕事を真剣に探しているが、安定的に生活するための仕事が見つからず、家賃を払うことができない。

 平時から、制度の壁(国籍や在留資格による制約)、言葉の壁、心の壁(差別)によって、不平等な状況におかれている移民/外国人にとって、コロナ禍という非常事態における困難は、残念ながら、当然の帰結なのかもしれない。「外国人材の活用」や「共生社会の実現」といった謳い文句で隠蔽されていた「不都合な真実」が可視化されたのだ。

 政府としても、コロナ対策として、既存のセーフティネットの拡充や新たな制度の創設、在留資格の特例措置などの支援を実施しているものの、移民/外国人の深刻な困難を改善するには、十分とはいえない。加えて、経済的支援措置として創設された特別定額給付金や学生支援緊急給付金では、一部の移民/外国人が対象外とされてしまった。すべての人々の「連帯」が求められる非常事態における公的差別は決して許されるものではないし、市民レベルの差別を容認・助長する危険性すらある。

ポスト・コロナの「もうひとつの社会」に向けて

 平時の不平等ゆえに、「自助」が困難な状況であるにもかかわらず、「公助」が限られている――在留資格によっては「公助」から排除されている――移民/外国人を支えているのは、市民社会による「共助」である。

 これまで移民/外国人支援に携わってきたNPOや宗教団体に加えて、商店街や自治会、企業や学校、さらには移民/外国人の当事者コミュニティなど、多様な団体や個人が、共にこの社会で生きる移民/外国人の困難や困窮に心を痛め、多言語情報の発信や相談会の開催、行政窓口への同行、食料配布や現金給付、住居提供など、さまざまな支援活動を行っている。

 日本が受入れ国へと転換したこの30年余りの間に、同僚として、クラスメートとして、友人・知人として、隣人として、身近に移民/外国人と接する市民が増え、彼/彼女らを同じ社会で暮らす「仲間」として迎え入れている人々による共助の輪は、コロナ禍に芽生えた希望ともいえよう。

 だが、事態が長期化するなかで、共助にも限界があるゆえに、公助の拡大を求める声をあげていくことも重要である。市民社会の声が改定入管法案廃案の一因となったことは、一人ひとりが声をあげれば、社会を変えられることを実感するものでもあったはずだ。

 そして、その経験は、アンダーコロナのcompassionとともに、ポスト・コロナにおいても引き継いでいく必要があるだろう。収束後のポスト・コロナが、コロナ以前の日常の単なる再現であってはならない。移民/外国人を「弱者」にしている社会の脆弱性を解消し、人種・民族・国籍にかかわらず、共に生きられる「もうひとつの社会」を、一人ひとりが主体的に参画し、共につくっていく。アンダーコロナの移民/外国人をめぐる状況を伝えることによって、本書がそのための一助になれば幸いである。

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