先日、国会審議中だった出入国管理法改正案の実質廃案が決定した。背景には、法案に抗議する世論の高まりがあった。また、名古屋出入国在留管理局の収容施設でスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事案をめぐる政府の不誠実な対応にも批判が集まった。
入管収容施設とは、原則は、在留資格のない外国人を送還するまで留めておく施設である。しかし現実には、数年にわたり長期収容される例が後を絶たない。この背景には、法律上無期限収容が可能なことにくわえ、難民申請中や、生活の本拠になっているなどの理由で日本での暮らしを望んでいるものの在留資格が付与されない人が少なからずいることによる。彼らは原則収容されるが、いつ解放されるかもわからないまま施設に閉じ込められることで、心身ともに病を発する人が非常に多い。
『ルポ 入管』は、こうした入管収容の問題を多角的に論じるとともに、仮放免(収容が一時的に解かれること)後も、健康保険にも入れず、就労も認められない状態で暮らす移民・難民の暮らしをリアルに伝える。
在留決める根拠
ウィシュマさんの事案は、入管の秘密主義を端的に示しているが、これは入管という行政機構の本質でもある。そもそも法の執行を担う行政権力は、『統治新論』(大竹弘二、國分功一郎著、太田出版・1980円)が論じるように、ブラックボックスのなかで法を超えていく傾向をもつ。こうした行政は民主的手続きによって統制するほかないが、民主主義国家の公式メンバーシップから除外された外国人を主な対象とする入管行政は、民主的統制も及びにくいという構造的欠陥を抱える。くわえて出入国在留管理庁の前身は戦後占領期に整備され、当初より大幅な裁量が認められてきた。つまり同庁は、行政権力の権能をあからさまに行使することが許された機構といえる。
一方、収容は「不法滞在者」だから仕方がないのではという声もある。だが在留資格がなくとも人権はあり、無期限収容は国連からも批判されてきた。
また、在留資格がない移民に正規の資格を認める手続きはあり、日本では在留特別許可がそれにあたる。ではどのような基準で資格が認められるのか。ジョセフ・カレンズは、在留資格のない移民でも、社会で人間関係を築き、メンバーと認められていることに着目し、この実質的なメンバーシップこそが、在留資格を認める根拠となると主張する。『不法移民はいつ〈不法〉でなくなるのか』は、カレンズと他の論者との議論も含め、移民の在留を認める根拠を考える際の手がかりとなる。
「不法」への視線
日本でも1980年代以降、より多くの移民が来日するようになったが、社会や市場のニーズと政策が合致しておらず、在留資格のない移民が数多く暮らしてきた。とくにバブル期に来日し、日本経済の下支えをした南・西アジア出身者の多くは、そうだった。『国境を越える』は、その後の彼らを追った論集である。帰国した人もいれば、日本で在留資格を得てビジネスを展開する人もおり、彼らが生きる世界は、元「不法滞在者」というレンズを通してのぞく視線からは想像もできないほど広い。同時に、日本滞在中は職場や近所の人によくしてもらったという彼らの記憶にふれる後日談は、市井の人の認識と、政府やメディアによって作り出された「不法滞在者」イメージとのギャップを浮き彫りにする。
構造的欠陥と歴史的差別を土台に、このイメージを利用して権限を強化してきた入管行政に歯止めをかけるために、開かれた民主主義の場をいかに創り出せるのかが問われている。=朝日新聞2021年5月29日掲載