パイナップルケーキ論争 台湾のネット民は、中国をどう「論破」したか?
記事:白水社
記事:白水社
中国の影響力は台湾社会のなかに広く浸透している。しかし、台湾社会の側に、このような圧力行使を受け止める力がないわけではない。圧力にさらされれば、しばしば抵抗が起こる。作用は反作用をともなう。
「中国ファクター」の作用が生み出す反作用のひとつの事例として、台湾の人びとによるささやかな反撃の実例をみてみよう。2016年の総統選挙では、民主進歩党(民進党)候補の蔡英文が国民党候補の朱立倫を破り勝利をおさめた。蔡英文は総統就任後、中国が台湾に対して受け入れを求める「92年コンセンサス」を認めない旨を表明した。「92年コンセンサス」とは、1992年に中国と台湾の窓口機関が交わしたとされる、「1つの中国」原則をめぐる中台双方の解釈上の「コンセンサス」である。国民党・馬英九政権はこの「92年コンセンサス」を認めることで中国との関係改善を進めた、という経緯があった。
中国は、「92年コンセンサス」を認めない蔡英文政権に対してさまざまな圧力を行使したが、そのひとつが「中国人観光客の『元栓を締める』」ことであった。中国からの観光客の台湾訪問は、民進党・陳水扁政権(2000〜2008年)からの政権交代によって成立した馬英九政権のもと、2008年に開始され、2014年には台湾を訪れる観光客全体の40%を占めるまでに増えて、台湾の観光関連業に大きなインパクトをもたらしていた。
中国政府が訪台中国人観光客を減らす方針を明らかにすると、台湾の中国寄りのメディアや利益団体、国民党系の政治家からは、蔡英文政権の姿勢を批判する声があがった。また、観光業関係者らはデモをおこなって経済的打撃の大きさを訴えた。中国政府はさらに、「92年コンセンサス」を支持する国民党系の地方政府の首長らを中国に招いてもてなすなど、蔡政権への圧力を強めた。
このとき、台湾の社会では、中国の圧力に対する草の根の抗議が起こった。とくに「ネット民」の自発的な行動が目立った。ユーモアにあふれたツッコミで、中国人観光客が減ると台湾経済が大きな打撃を受ける、とする「中国人観光客の経済効果論」を「論破」したのである。たとえば、台湾の代表的な中国寄りメディアとされる『中国時報』ではつぎのような報道がなされた。
〔台湾土産の定番品である〕パイナップルケーキの年間生産額は約200億台湾元であるが、現在、店頭では〔売り上げが〕2割強減少しており、通年換算では40〜50億台湾元の減少となる見通しである。通常、手土産はツアー最終日の前日に台北地域で購入されるため、影響は主に台北とその周辺地域に集中するだろう。欧米客で穴埋めしようにも、欧米人はパイナップルケーキを好まないため無用な努力だ。
しかし、この報道はすぐさまネット民に「論破」された。彼らは経済部の統計資料を調べたうえで、こう指摘したのだ。
台湾全体のすべてのベーカリー業界を合わせても年間売り上げは240億台湾元なのに、パイナップルケーキの年間生産額が200億元? 肉まん、マントウ、パン、クッキー、太陽餅など、数えきれない種類の商品があるなかで、パイナップルケーキの比重がそんなに大きいか?(中略)経済部のデータを調べる奴なんかいないから騙せるとでも思ったの?
台湾最大のネット掲示板PTT(『批踢踢実業坊』)に書き込まれたこの文章は、フェイスブックなどのソーシャルメディアで瞬く間に拡散され、メディアで引用されて、さらに広く知られることとなった。こうしたネット民の論破は「中国人観光客の経済効果論」に対抗する反撃のひとつのパターンとなった。中国政府の圧力も、ネット民の嘲笑の前に力をなくしていったのである。
「パイナップルケーキ論争」のような、中国およびその同盟者たちと台湾のネット民のあいだの小さな攻防戦は、中国が台湾に対して行使する影響力へのごくささやかな反撃にすぎない。というのも、中国の影響力の浸透は、すでに台湾の日常生活の一部になっているからだ。たとえば、芸能界では、いわゆる「台湾独立派芸能人」と分類された俳優や歌手に対して中国政府が圧力をかける事件が幾度も起きてきた。周子瑜(ツゥイ)や戴立忍(レオン・ダイ)の謝罪事件など、枚挙に暇がない。台湾では、中国からの影響力の作用と、これに対する社会の側からの反作用が、日々繰り返されているのだ。
【呉介民・川上桃子「第1章 台湾における『中国ファクター』 その作用と反作用」(『中国ファクターの政治社会学 台湾への影響力の浸透』所収)より】