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ミャンマークーデターから6カ月/下――翻弄されるロヒンギャ

記事:筑摩書房

バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプでは、2017年8月以降に逃れた70万人以上を含め、80万人を超えるロヒンギャが暮らしている。
バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプでは、2017年8月以降に逃れた70万人以上を含め、80万人を超えるロヒンギャが暮らしている。

『ミャンマークーデターから6カ月/上――深まる国軍と市民の溝』はこちら。

市民権付与の約束

 クーデターを起こしたミャンマー国軍に対抗するために民主派勢力が樹立した「挙国一致政府(NUG)」は6月3日、西部ラカイン(アラカン)州に住むベンガル系の少数派「ロヒンギャ」に関する声明を発表した。

 声明は、現行の国籍法を廃止し、隣接するバングラデシュからの不法移民として扱われてきたロヒンギャに市民権を与えると約束。国軍の掃討作戦に伴う迫害でバングラデシュに逃れたロヒンギャ難民の早期帰還を図り、必要に応じて、ジェノサイド(民族大量虐殺)などを犯した人物を裁く国際刑事裁判所(ICC)の捜査にも協力すると表明した。

 翌4日にはオンラインの記者会見を開催。ミャンマー西部チン州出身の少数民族で、NUGの国際協力相を務めるササ氏は、ロヒンギャに「兄弟姉妹」と呼び掛けた。

 国民の9割が仏教徒のミャンマーで、ロヒンギャはイスラム教を信仰する少数派だ。2017年8月にバングラデシュへの大規模流出が始まる前の時点で、推定人口は州全体の3分の1にあたる約100万人。農業や漁業に就いてきたが、多くは無国籍状態に置かれていた。

 ミャンマーの現行国籍法は、国軍のネウィン将軍が樹立した独裁政権下の1982年につくられた。同法は先住民族には自動的に市民権を与える。先住民族は英国による植民地化が始まる1824年より前からいた人々と規定された。リスト化され、ビルマ、カレン、ラカインなど8つの主要民族グループのもと、135のサブグループに分かれている。

 このリストに、ロヒンギャは含まれていない。ラカイン州には古くからベンガル系の人々が一定程度いたとみられるが、植民地化後にバングラデシュ地域から多数の流入があった歴史などが影響し、ロヒンギャは先住民族の枠組みから除外されてきた。

 このため、代々居住している人がいるにもかかわらず、ロヒンギャは移動の自由や教育の機会を制限され、他民族からは「ベンガリー」という蔑称で呼ばれるなど、さまざまな面で差別を受けてきた。

 抑圧的な状況に対し、ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」は、アウンサンスーチー国家顧問率いる国民民主連盟(NLD)政権下の2017年8月、ラカイン州内で警察や国軍の施設を襲撃した。反撃に出た国軍など治安部隊の掃討作戦の中、殺人やレイプなどロヒンギャへの深刻な迫害が起き、70万人以上がバングラデシュに逃れた。

 NLD政権時代のミャンマーとバングラデシュの両政府は、難民の帰還開始で合意したが、帰国後の権利保障に対するロヒンギャの不信感は強く、希望者が現れなかったため、計画倒れに終わっていた。

共闘の模索

 クーデターから1カ月半余りたった3月23日、多数派民族のビルマ人を中心とする在日ミャンマー人と在日ロヒンギャのリーダーが、東京都内で共同記者会見を開いた。

 母国で微妙な関係にある両者が同席する会見は珍しい。クーデターを起こしたミャンマー国軍に対し、結束して戦う姿勢を見せるためだという。

 ロヒンギャのゾーミントゥさん(49)は「ミャンマーで暮らす全ての人々のために国軍を排除する」と訴え、ミャンマー人のチョウチョウソーさん(58)は「敵とは国軍で、私たちお互いではない」と力を込めた。

東京都内で2021年3月23日、共同記者会見を開くゾーミントゥさん(左)とチョウチョウソーさん
東京都内で2021年3月23日、共同記者会見を開くゾーミントゥさん(左)とチョウチョウソーさん

 2月1日のクーデターの後、国軍への反発から、民族間の距離を縮めようとする動きが現れていた。

 拙著でも、ミャンマーの著名な作家2人が、国軍によるロヒンギャ迫害に沈黙してきた過去をSNSで謝罪したことなどに触れた。

 冒頭のNUGの声明は、こうした流れに沿ったとも言える。

 6月下旬、筆者はゾーミントゥさんに会った。「ほとんどのロヒンギャが声明を歓迎している」と受け入れつつも「100%は喜べない」と揺れる心情をにじませていた。

 声明で約束した市民権付与が、ロヒンギャの要望通りに先住民族と認める意味なのか、明示されていないからだ。あくまで移民のような扱いで、帰化しやすくするというだけなのか、気に掛かるのだという。

 ミャンマーが軍政下にあった1998年、ゾーミントゥさんは日本に亡命した。スーチー氏が率いる民主化運動を支持し、逮捕の危険が迫ったためだった。

 亡命前、ゾーミントゥさんは最高学府ヤンゴン大の学生だった。ロヒンギャとしては少ない例だが、地元ラカイン州の大学で成績優秀だったため、ヤンゴン大に入学が認められた。ただ、本来の志望だった法学や医学など、一部の専門分野はロヒンギャに門戸を開いていないため、やむなく動物学を専攻した。

 日本では2002年に難民認定を受けた。母国が民主化し、差別が解消されるように望み、軍政に軟禁されたスーチー氏の解放を求めて、日本で何度もデモに参加した。

 時が経ち、ミャンマーが民政移管し、解放されたスーチー氏のNLD政権が16年に成立したが、期待にはそぐわなかった。

 国軍による迫害でかつてない規模の難民が発生するなど、ロヒンギャを取り巻く環境は悪化。にもかかわらず、スーチー氏はロヒンギャを守る積極策を打たないまま、「ジェノサイド」との国際的な批判に反論し、迫害に関する捜査や処罰はミャンマーに任せるべきだと主張した。「ロヒンギャ」という呼称の使用も避けていた。

 クーデターでスーチー氏らNLDの主要幹部が拘束された後、残った民主派勢力は今年4月にNUGを樹立した。NUGはトップの国家顧問にスーチー氏を据えている。今回のロヒンギャを巡る声明は、以前のスーチー氏の言動と食い違いがある。拘束中のスーチー氏との接触が難しい中、声明に至るまでに、齟齬を乗り越える詳細な議論が尽くされたとは考えにくい。

「NUGは厳しい状況にある。だから声明を出した。本当の心からの内容か、分からない」。ゾーミントゥさんは冷静に語る。

 ロヒンギャへの人権侵害を巡り、ミャンマーは欧米を中心に、国際社会から非難を浴びてきた。NUGは国際世論を味方に付けるため、ロヒンギャに理解ある姿勢をアピールしているという見方だ。

翻弄される難民

 NUGはネット上の情報発信も駆使して国民の支持を集めているものの、国軍の実効支配を崩せていない。

 スーチー氏は10件に上る事件で起訴され、解放の見込みが立たず、クーデターへの抗議デモは、弾圧で小規模化している。

 NUGが国軍に対峙するため、少数民族武装勢力と連携して創設を目指すとした「連邦軍」も、具体像はまだ見えない。

 声明に対する他民族の受け止め方も複雑だ。

 ロヒンギャが多く住むラカイン州で、総人口の大半は仏教徒を中心とする少数民族ラカイン人が占めている。ラカイン人は15世紀以降、ラカイン州の地域に「アラカン王国」を築いた。18世紀にビルマ人の王朝に滅ぼされたが、今も民族意識は強い。ロヒンギャとの確執は根深く、死者が出る衝突を度々起こしてきた。

 ラカイン人の武装勢力「アラカン解放党(ALP)」の報道担当者はNUGの声明について、現地メディアに「利害関係者に相談せずに決めるべきではない」と不快感を表した。

 ラカイン人の血を引く50代の在日ミャンマー人男性は、日本でクーデターへの抗議デモに頻繁に参加してきた。「声明は欧米やイスラム諸国の支援を得るための戦略だろう。国軍に対抗するため、私たちはNUGについていくしかない。NUGが『ロヒンギャ』と呼ぶなら、その呼び方を認める」と一定の理解を示す。

 ただ、ロヒンギャをラカイン人と同様の先住民族とみなすべきかという問いに対しては「複雑な歴史があり、難しい。まだ、幅広い国民の同意は得られていない」と歯切れが悪かった。

 バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプでは、17年8月以降に逃れた70万人以上を含め、80万人を超えるロヒンギャが暮らす。

雨期でキャンプに溜まった泥水を掻き出す難民(2021年6月)
雨期でキャンプに溜まった泥水を掻き出す難民(2021年6月)

ボランティアが運営する学校で勉強するロヒンギャの少年。バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプで。(2021年5月、難民提供)
ボランティアが運営する学校で勉強するロヒンギャの少年。バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプで。(2021年5月、難民提供)

 バングラデシュ政府は過密状態を解消する名目で、本土から沖合60キロにあるベンガル湾の島に、10万人を移す計画を立てている。昨年以降、一部の難民が移住したが、高潮の危険がある上、避難生活の長期化につながる恐れが指摘されている。
「私たちは故郷に帰りたい。なぜ孤島に移す必要があるのか」。コックスバザールの難民キャンプで、青年組織の会長を務める男性(25)は憤りと落胆を交える。「国軍が実権を握り、帰還は非常に厳しくなった」

 クーデターを主導したミンアウンフライン総司令官は5月下旬、香港メディアのインタビューで、「ロヒンギャ」という呼び名は1948年のミャンマー独立後に使われ始めたとして、「我々は決して認めない」と強調。国軍がクーデター後に設置した最高意思決定機関「国家統治評議会」の報道官も6月中旬の記者会見で「ロヒンギャという民族はいない」と主張している。

 2人の発言は、ロヒンギャを国民として受け入れる意欲がない国軍の姿を浮き彫りにしている。

 NUGの声明は、膠着したロヒンギャ問題に一石を投じた。打算的な面がちらつくとは言え、民族融和に向けた糸口になる可能性はある。

 ただ、現状では人権意識の欠如した国軍が立ちはだかっている。難民が帰還し、市民権の議論が深まる展望は開けていない。ロヒンギャたちは国軍とNUGの主張の狭間で、翻弄されている。

【webちくまより転載】

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