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新たな近代日本宗教史の展望・上 宗教教団ではない宗教性への関心

記事:春秋社

地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線築地駅付近。地上に運び出された乗客は救急車などに収容された
地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線築地駅付近。地上に運び出された乗客は救急車などに収容された

近代という時代

 2020年9月に刊行が始まった隔月刊の『近代日本宗教史』全6巻(春秋社)が、7月に完結した。明治維新から平成までのおよそ150年の宗教史である。末木文美士、大谷栄一、西村明の3氏とともに私自身も編者に名を連ねたが、あらためてこのシリーズの意義を振り返ってみたい。

 6巻はそれぞれ、第1巻「幕末〜明治前期」、第2巻「明治後期」、第3巻「大正期」、第4巻「昭和初期〜敗戦」、第5巻「敗戦〜昭和中期」、第6巻「昭和後期〜平成期」を扱っている。第1〜5巻までは各巻が15年から25年ぐらいの期間を扱い、第6巻のみ約50年を範囲としている。

 第6巻の50年というのは長いようだが、1970年頃から現在までを指す。新しいところほど、その歴史を的確に捉えるのは難しい。そこで題も「模索する現代」となっている。だが、この50年はほぼその中ほどにオウム真理教地下鉄サリン事件があった。また、1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災があった。これらは日本の宗教史の大きな転換と関わっていると感じられている。

 また、1979年にはイラン革命、1989年にはベルリンの壁の崩壊があり、2001年にはアメリカでの同時多発テロ事件があった。冷戦体制の崩壊と新たな宗教勢力の台頭が起こった時期でもある。この時期の日本の宗教史を展望することは容易でないが、大きな課題である。この時期について展望をもつことは、また近代日本宗教史の全体を構想する上でも意義あることだろう。

どこに宗教性を見るか

 オウム真理教事件を踏まえて刊行され、多くの読者を得て、英語や韓国語にも翻訳されている書物に、阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書、1996年)がある。この書物が問うているのは、「いつから、どういう意味で「日本人は無宗教」なのか」、「無宗教」にしては目立つ宗教的なものをどう捉えるのか」、という問いだ。近代日本史はひたすら宗教の後退・衰退のプロセスだった、という思い込みは根強い。そうだとすると、近代日本宗教史を振り返っても、それは宗教の衰退の歴史ということになる。

 この第6巻が扱う「模索する現代」の時期はどうか。この第6巻収録の諸論考を踏まえて筆者がまとめた「総論」は「信仰共同体への帰属を超えた宗教性のゆくえ」となっている。「信仰共同体」、たとえば「教団」とか「地縁」「血縁」などに帰属することと結びついた宗教性を見ていても、現代の「宗教性のゆくえ」は見えないということだ。

 では、「信仰共同体を超えた宗教性」はどのようにして捉えることができるのか。第6巻では第四章から第八章がこのテーマに関わっている。第四章の堀江宗正「消費社会と宗教の変容」、第五章の川村覚文「ポスト世俗主義時代の技術と資本主義、そしてアニメの潜在性」、第六章の及川高「縮図としての沖縄」、第七章の飯嶋秀治「癒しの力としての宗教・水俣」、第八章の鎌田東二「霊性と宗教――平成期」といった具合だ。宗教教団、宗教施設や宗教者ではないところに宗教性を見るという視座が広く採用されている。もちろん宗教教団が重要でないというわけではない。オウム真理教の暴力や臨床宗教師、宗教思想の新地平といった問題を見る上でも、教団以外の宗教性に目を及ぼす必要があるという捉え方だ。

 これは、この第6巻に限られたことではない。たとえば、第3巻には第二章の碧海寿広「大正の教養主義と生命主義」、第三章の栗田英彦「心霊と身体技法」がある。第3巻の第一章は大谷栄一氏による「総論――大正宗教史の射程」だが、その前半の構成は、一「「宗教」と「宗教的なもの」と「非宗教」」、二「教養主義と宗教のかかわり」、三「民間精神療法と「二つの近代化」」となっており、ここでも宗教教団や信仰共同体を超えて、文化の中の宗教的なものに重きが置かれていることがわかる。

 しかし、宗教教団や信仰共同体ではない宗教性という点で、全巻で問われているのは国家や天皇の宗教性である。第3巻には第七章、藤本頼生「天皇信仰の展開」という章があるが、第1巻は第二章がジョン・ブリーン「天皇、神話、宗教」であり、第三章は桐原健真「国体論の形成とその行方」となっている。第2巻は末木文美士による第一章が「総論――帝国の確立と宗教」であり、第4巻はほぼ全巻にわたって、国家の宗教性が論題になっている。国家の宗教性という覆いがとれて、信教の自由が花開いたように捉えられる時期を扱う第5巻は、もっとも宗教教団が目立つ巻かもしれないが、そこでも第六章の西村明「慰霊と平和」は教団という枠を超え、国家が大きく関心の対象となっている。

 これほどに近代日本宗教史において国家は大きな題材となるわけであるとすれば、一般に歴史叙述の中心に置かれる政治史においても、宗教が大きな位置を占めるはずである。近代政治史は宗教史が大きな位置を占めていることにもなるはずだ。「日本人は無宗教」を突き崩す新たな所見ではないだろうか。

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