ポスト・トランプのアメリカはどこへ?――『現代アメリカ社会を知るための63章【2020年代】』
記事:明石書店
記事:明石書店
『現代アメリカ社会を知るための63章【2020年代】』は、明石書店から出されているエリア・スタディーズ叢書中のアメリカ合衆国(以下、アメリカ)社会に関する書の4冊目となるものである。
全体的に3つの大きな視点―基層的な情報、容易に目に見える事柄(主に文化的現象)、深層に起こっている事柄―からアメリカ社会を見直すという姿勢は、第1作(『現代アメリカ社会を知るための60章』、1998年刊行)から継続されている。それぞれの視点は細分化され、各章で幅広いテーマを扱うように心がけた。
それでも、アメリカ社会の動きに関して十分に触れなかった分野がある。たとえば戦争に関する事柄である。アメリカは最近の30年間で、湾岸戦争、アフガニスタン紛争、イラク戦争という3つの戦争を戦った。反戦のムードが強かったベトナム戦争(1964年8月〜75年4月)時と比べて、国内の反響はどうだったのか。湾岸戦争では出征兵士の留守宅に大切な人を待つことを表す「黄色いハンカチ」が掲げられるなど愛国主義の高まりが示されたが、戦後には多くの帰還兵がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したことが問題とされるに至った。これらも取り上げられるべき項目だったかも知れない。
本書においては、当然「ドナルド・トランプ政権」の4年間がテーマとなるべきであったが、本書の準備・編集が始まった段階で、すでに同政権への批判が起こりつつあり、同政権は退けられ、「ポスト・トランプ」時代の到来が早い時点で意識された。
アメリカ・ファーストの行方
第一に、トランプ政権の特徴であった「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」は、次期政権によって覆されることが予測された。
トランプ政権は、アメリカが創設にかかわった、もしくはその運営・継続において大きな役割を担ってきたいくつかの重要な国際組織や国際協約から離脱、あるいは離脱の意志を表明した。たとえば、環境問題を考えるパリ協定からの離脱、世界保健機関からの脱退、国連人権委員会からの脱退などである。
また、メキシコとの国境に高い壁を構築すること、イスラム圏からの移民制限、非合法入国者の親子分断を容認する措置を遂行した。アメリカの「内向き」の姿勢が示された。しかしこれらの政策は、バイデン新政権により逐一覆された。
BLM運動のうねり
第二に、警察による黒人に対する暴力行為があきらかになり、それへの抗議(「ブラック・ライブズ・マター[BLM]」)が全国に広まった時、「法と秩序の維持」を優先させるとしたトランプ政権の対応は、問題の解決ではなく混迷を導いた。
トランプ大統領は「略奪が始まれば銃撃も始まる」と述べ、抗議を鎮圧するための公権力の使用を正当化する姿勢をあきらかにした。しかし彼のこのような姿勢に対抗するように、「私は息ができない」という警察による暴力の犠牲者(ジョージ・フロイド)の言葉や、国歌演奏時に人種差別撤廃を訴えるために「片膝を着く」アスリートのポーズが広まった。
本年開催の東京オリンピックにおいて、選手がこのような訴えを競技場で表すことは「政治的中立を謳った」オリンピック憲章に違反するものではないと判断され、容認されたことは注目に値する。
現職大統領による煽動?
第三に、トランプは白人至上主義者であるかどうかが問われなければならない。2020年11月の大統領選挙において現職のトランプは多くの支持票を獲得したが、それ以上の支持を得た対立候補に敗れた。その結果を受け入れることができない人々は2021年1月6日、連邦議会議事堂に乱入した。
トランプがそれを煽動したとの疑惑も生じ、弾劾裁判が開かれた(2月13日、連邦議会上院による無罪の評決)。しかし彼に対する疑惑は依然としてあり、彼のSNSアカウントは停止を命じられた。
新型コロナウイルス感染症への対応
第四に、アメリカでは新型コロナウイルスの感染者は3400万人を超え、死者も60万人を超えている(ジョンズ・ホプキンス大学集計などによる―『読売新聞』2021年7月23日朝刊)。かくも過大な犠牲が出たのは、トランプ政権の対応が不十分だったからであるという批判がある一方、トランプ支持者からは、ワクチン接種を含むバイデン政権の対応策への不信が示されている。
このようなことから、アメリカは「分断」しているように見える。二分化しているとの印象は拭えない。アメリカの依って立って来た政治理念や国家的理想がもはや成り立たないかに見え、アメリカの民主主義は脆弱そのものであるかのようである。
しかし、よい方への変化の兆しもうかがえる。はじめての女性、そしてはじめてアフリカ系・アジア系の祖先(ルーツ)を持つ副大統領が誕生した。ジョージア州の二名の連邦上院議員が、アフリカ系とユダヤ系となったのも、歴史上はじめてのことである。新大統領は「私たちは互いを敵ではなく、隣人とみなすことができる」と、議事堂乱入事件後の就任式において謳った。アメリカが分裂して戦闘を交えた南北戦争の終焉を間近にして、エイブラハム・リンカンが第二次就任演説で述べた、「誰に対しても悪意を抱かず、慈悲の心で接し、われわれすべての国民の間に正しく永遠に続く平和を実現し、(中略)育む仕事を終えるべく全力を尽くそうではないか」(1865年3月4日)という言葉を彷彿とさせる。
また2021年の就任式において、黒人女性詩人アマンダ・ゴーマン(17年にアメリカ議会図書館により全米青年桂冠詩人に選ばれた)は、「分断を終わらせよう。なぜなら私たちは未来を考えるから。それぞれのちがいに執着するのをやめなければならない」と訴えた。
アメリカはこれからどこに向かおうとするか。トランプ政権の4年間は現在のアメリカの分断を生んだ原因であるのか、それとも分断の結果であり、象徴であるのか。
現在いくつかの州において、あきらかにアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系住民にとって不利になるように投票の方法や選挙区の線引きを変える動きがある。たとえばジョージア州において、2021年3月法案が成立し、知事がそれに署名した。
これに抗議し、アメリカ・プロ野球大リーグが今年のオールスターゲームをジョージア州アトランタからコロラド州デンバーに移したことは記憶に新しい(この試合はアフリカ系アメリカ人の野球スター、ハンク・アーロンの功績を称えるものであったことは皮肉である)。このような動きをより根本的に阻止するための法案が、現在審議されている。バイデン政権は強くその成立を図っているが、予断は許されない。
他方、本書でも触れられているように、南北戦争時の南部連合軍の旗のデザイン(X形十字に13の星を並べたもの、海軍や北バージニア軍が用いた)が、2001年ジョージア州、20年ミシシッピ州において否定される一方、南部連合軍に関連した銅像や記念碑が撤去されるなど、奴隷制や南北戦争後の人種隔離法は構造的人種主義を助長した体制であったという認識が広まっている。
この動きがさらに広まって、第二次世界大戦時に転住を強制された日系アメリカ人への謝罪と、存命者全員に対して二万ドルの支払いを認めた事例に倣って(1988年市民自由法による)、奴隷制時代を通じてのアフリカ系アメリカ人への「差別待遇への賠償」が実現する時が来るかもしれない。
さらに基層的な社会変化を表すものとして、性的指向・性自認における少数派に対する過去の差別に関して同様の「賠償」が考慮される時が来るかもしれない。このように激しく動く現代アメリカ社会を正しく「知るための」作業は、今後も続くことであろう。