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社会的行動にも影響?―脳の損傷と心の不思議な関係

記事:朝倉書店

脳の損傷によって障害された心のはたらきから心と脳との問題にアプローチする神経心理学。『手を動かしながら学ぶ 神経心理学』はデジタル付録も参照しながら学べる入門書です。
脳の損傷によって障害された心のはたらきから心と脳との問題にアプローチする神経心理学。『手を動かしながら学ぶ 神経心理学』はデジタル付録も参照しながら学べる入門書です。

脳の損傷がパーソナリティも変える?

 25 歳のフィネアス・ゲージ(Gage, P. G.)は、鉄道会社ではたらく仕事熱心な好青年であった。しかし、仕事中の事故で負った脳損傷をきっかけとして、彼のパーソナリティや行動は劇的に変化する。気まぐれで、無礼で、ときおりひどくばちあたりな行為にふけり、自身の希望に反することを言われると苛立ったりした。言葉遣いも下品で、女性たちはゲージといっしょにいないよう忠告を受けたとのことである。ほどなくして、彼は問題行動のために会社から解雇される。その後、さまざまな職に就くも、自身の気まぐれや素行の悪さにより、どれも長続きしなかった1)。

 上記の例のように、脳損傷は、社会的な場面での私たちの適応的行動、すなわち、社会的行動に深刻な影響を与えることがある。また、社会的行動は、他者の内面や社会的文脈に対する適切な理解(社会的認知)を基盤とする。本節では、ゲージの脳において損傷された前頭前野の機能的役割に着目しながら、人とのかかわりを支える認知過程とその神経基盤について考えていきたい。

ゲージの脳損傷※
1848 年,鉄道工事中に起きたダイナマイトの暴発事故で,鉄の棒がゲージの左頬から前頭葉にかけて貫通し,それにより彼は頭部に大怪我を負った。
※Damasio, H., et al. (1994). Science, 264, 1102-1105.
ゲージの脳損傷※ 1848 年,鉄道工事中に起きたダイナマイトの暴発事故で,鉄の棒がゲージの左頬から前頭葉にかけて貫通し,それにより彼は頭部に大怪我を負った。 ※Damasio, H., et al. (1994). Science, 264, 1102-1105.

前頭前野の四つの認知機能

 前頭前野は、前頭葉の前方に広がる脳領域で、外側面では運動前野、内側面では補足運動野より前方に位置する。スタス(Stuss, D. T.)によると、前頭前野は異なる解剖学的基盤をもつ次の4 つの認知機能を司る2)。

①実行的認知機能(executive cognitive functions):低次の、より自動的な機能の制御と方向づけを担う高次の認知機能。遂行機能または実行機能(executive function)とも呼ばれる。プランニング、モニタリング、認知的構えの転換、認知的柔軟性、反応抑制などが含まれる(〈e〉2.6.1 付録:実行的認知機能が必要とされる課題)。外側前頭前野を基盤とする。

②行動-情動の自己調節機能(behavioral-emotional self-regulatory functions):情動処理や報酬処理とかかわる認知機能で、行為の結果として生じる情動の理解や、特定の状況下で適応的にふるまうための行動の自己制御を担う。腹内側前頭前野を基盤とする。

③活性化調節機能(energization regulating functions):行動または心的過程の発動と維持、動機づけと関係する。個人が有するあらゆる認知機能の活性化を担う。右半球の上内側前頭前野との関連性が重視されている。

④メタ認知過程(meta-cognitive processes):自己意識や自己の内的状況の理解と、それを基盤とした他者理解を担う。前頭極との関係が想定されている。

 以上の4 つの認知機能は、前頭葉の局在損傷や萎縮、外傷性脳損傷(traumatic brain injury, TBI)などにより障害される。これらの認知機能は、個人の認知特性や行動特性と密接に関係するため、どれか1 つでも障害されると、患者を知る人から「性格が変わった」とよく表現される認知・行動様式の変化が観察される。

<a href="https://app.box.com/file/853624909552?s=hvm5r4zj2tdlaxk6u7j0uavuqyo1yzpv" target="_blank" rel="noopener noreferrer">〈e〉2.6.1 付録:実行的認知機能が必要とされる課題</a>
<a href="https://app.box.com/file/853624909552?s=hvm5r4zj2tdlaxk6u7j0uavuqyo1yzpv" target="_blank" rel="noopener noreferrer">〈e〉2.6.1 付録:実行的認知機能が必要とされる課題</a>

前頭前野がもたらす影響とは?

 ゲージの例で明らかなように、前頭前野の損傷は、ときとして深刻な社会的行動障害を引き起こす。社会的行動障害は、攻撃行動や社会的不適応行動といった陽性症状と、自発性や動機づけの低下を示す陰性症状の2 つに大別される。

a.陽性症状
陽性症状の神経基盤としては腹内側前頭前野が重視されている。前項で述べたように、腹内側前頭前野は情動認知に重要な役割を果たしており、この領域の損傷は、他者の情動や情動的文脈を適切に理解することの失敗を基盤として生じる行動障害、いわゆる「空気を読めない行動」と呼ばれる他者への配慮が欠けた行動をもたらすと考えられる。(中略)たとえば、暴力的行為やセクシャルハラスメント的な言動、金銭の浪費、万引き、また、報酬処理の障害によってもたらされる無謀なギャンブル行動などの問題行動の引き金となりうる。(後略)

b.陰性症状
陰性症状としては、英語圏ではアパシー(apathy)、本邦では発動性障害と表現される症状が出現する。発動性障害を呈す患者は、つねに動因を失った無気力な状態で、他者からの指示がない限り自発的に行動しようとしない。話しかけられると最小限の受け答えをするが、自分からは決して話そうとせず、放っておかれると、長時間、空を見つめたまま、何もせずに過ごしてしまう3)。(後略)

「手を動かしながら学ぶ 神経心理学」
「手を動かしながら学ぶ 神経心理学」

文献

1)Damasio, A. R. (1994). Descartes’ error: Emotion, reason, and the human brain. Putnam.(ダマシオA. R.2010).デカルトの誤り 田中三彦(訳) 情動,理性,人間の脳 筑摩書房)
2)Stuss, D. T. (2009). Rehabilitation of frontal lobe dysfunction: A working framework. In M. Oddy & A. Worthington (eds.), The rehabilitation of executive disorders: A guide to theory and practice. Oxford University Press. pp.3-17.
3)柴崎光世・豊田元子(2014).言語聴覚研究,11, 36-47.

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