そんな生き方があるのかという素直な驚きを正味150回味わえる 岸政彦編『東京の生活史』
記事:筑摩書房
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自分はこれまで誰かの人生をこんなふうに聞きとったことがあっただろうか。『東京の生活史』を読み終えて、かつて感じたことのない気分に圧倒されているとそんな疑問が浮かんでくる。考えてみたら肉親や友人でも、生まれてこの方どんな生活を送ってきたのかをよく知らない。それがどうだろう、この本ときたら! なにしろ東京にゆかりのある150人の人びとの、文字通り唯一無二の細部に満ちた人生が1200ページにわたって畳み込まれているのだ。
書名にある「生活史」とは、社会学や人類学で用いられる調査の手法のこと。「ライフヒストリー」ともいう。詳しくは本書の編者で、自身も社会学者として生活史を実践してきた岸政彦の『マンゴーと手榴弾――生活史の理論』(勁草書房)などをお読みいただくとして、ここでは個人の人生を語りやその他の資料によって捉えようとする試みと大まかに理解しておこう。
ところでこの本は、岸政彦の思いつきとツイートから始まった。2018年のことだ。私もそのツイートと展開を目にして、人びとの反応の大きさに驚き、成り行きから目を離せなかった一人である。参加者の抽選、説明会と研修、語り手への聞き取り、文字起こしから編集の工程を経て、2021年の夏、ついに完成した。辞書や事典を編むような一大プロジェクトだ。
それにしてもどう評したものか。ここではありすぎる見所となさすぎる紙幅を考慮して、いくつかの点を紹介したい。まず、この本がなによりいいのは、そんな生き方があるのかという素直な驚きを正味150回味わえるところ。二つとして同じ人生はなく、この本なくして知るはずもなかった人の生き様に触れられる。もうこれだけで「今すぐ手に入れましょう」と言いたい。文字とはいえ、これだけの他人の経験に接すると、「私と似た境遇の人がいた」とか「そんなふうに生きてもいいのか」とか、自分の生き方を見る目にも変化が起きるに違いない。
また、書き起こされた語り手の言葉が、整理されすぎていないのもいい。唐突に始まったかと思えば、(当人以外には)脈絡不明の連想が働いたり、それは誰ですかという人が出てきたり、話がどこへ転じていくかまったく予断を許さない。ああ、ここに生きている人間がいる、と感じる。小説やドラマのセリフとちがって過度に整えられていない、これぞ天然の語りだ。
同様に、語り手のプロフィールや注釈などが一切ないのも素晴らしい。タイトルにしても文中からの引用で、「もう何百人目かの俺なわけですよ」「私のあずかり知る東京はだいたいこのへんがすべてなんですけど。中央線がすべてなんですよね」とか、狙ってもなかなか書けないフレーズに満ちている。ほぼ語りだけがそのまま提示されているわけである。
加えて言えば、聞き手と語り手の関係の妙がある。どんな関係かは必ずしも明示されないものの、語り手から「なあ、もういいか。おしまい」とか「あなたの好きな風間杜夫」だなんて言葉が出るのを見て、家族や友人に話を聞いているんだなと分かるケースもある。どんな関係だとこういう会話になるのだろうと推測しながら読むのも楽しい。
最後に、これだけの語りをかたちにした聞き手のみなさんにも拍手を送りたい。人は、よく聞いてもらえると感じるからこそ安心して話せるものだ。また、同じ語り手でも聞き手が変われば違う語りになるはずで、この組み合わせでなければこのようには語られなかったかと思うとそれがまた愛おしくもある。
東京はどこへ行ったのか。ここに登場する語り手たちは、生まれた時代も場所も経歴もまちまちで、「これぞ東京」という分かりやすいイメージは見当たらない。読者は、むしろこの多様な人びとを受け入れる器として、かれらの語りの断片から、ちぐはぐなコラージュのように浮かび上がる都市を目にすることになるだろう。
読めば読むほど人生も東京も分からなくなる。ということは、思い込みから解放してくれる本なのである。座右に置こう。