岸政彦 編『東京の生活史』聞き手インタビュー vol.1 毛利マナさん
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
毛利マナさんが聞き手をつとめた内容見本はこちら(本文より冒頭部分抜粋)
――今回『東京の生活史』に聞き手として参加したきっかけを教えてください。
以前、通っている高校に岸先生が講演をしに来たことがあって、「つながること1人になること」っていうテーマで話してくださったんです。その時のお話がすごく面白くて、今でも覚えているんです。その後、母が Twitterで岸先生をフォローするようになり、「こんな募集をしてるよ」って教えてくれて。
――応募されたのは、社会学に興味があったんでしょうか。
ありましたね。その岸先生の話がすごく面白かったので。進路をどうするかすごくいろいろ言われている時期でもあったので「実際の社会学ってどういうものなのかな」という思いもありました。
――こうやって聞き取りをするのは初めてでしたか?
初めてです。初めてです。
――おばあさまに話を聞くというのは決めていた?
そうですね。ずっと近くで暮らしてきて、週に3、4回ぐらいは祖母の家に来て一緒に夕飯を食べたり週末出かけたりしています。ですから、祖母が韓国の釜山から引き揚げてきたことはもちろん知っていたし、面白い人生だったっていうのはなんとなく聞いていたので、改めて聞いてみたいなと思って。
――おばあさまに依頼する時、どういう言い方でお願いされましたか?
結構大雑把というか、「ばぁばが生まれた時から今までの人生史的なものをインタビューしたい」と言って、「いいよ」という感じでした。
――事前に準備したり?
準備したほうがよかったと思うんですけど、「まあいいか」と思ってあんまり。聞きたいことを50個ぐらい、質問に困った時用に書いてはいたんですけど。ただ遊びに行くっていう感じで。準備してたっていう感じではなかったです。
でもいざ聞こうと思ったら、改まって二人だけで話すということは今まで無かったので「やばい、どうしよう」と思って。岸先生が講演の時に、インタビューの最初は「お生まれはどこですか」って聞いてるって言ってらっしゃったので、お生まれはどこですか、みたいな感じで始めました(笑)。
――聞き取りをする時に意識したことはありましたか。
いつも会話しているから主語がないことが多くて、私も普段は「ああ、それね」っていう感じで分かっているから、祖母も詳しく説明しようという気がないんですよ。だからできるだけ「あそこってどこ?」みたいに聞くようにしました。
――やってみて難しかったところはありますか?
祖母は校正の学校に通ってたこともあって、「てにをは」とか言葉がちゃんとしていないと駄目らしく、話し言葉のまま第一稿を見せたら結構ショックだったみたいです。急に「やめるわ」的なことを言われて。
――それは焦りますね。
やばい! と思って、母と一緒に「ちょっと待って、ちょっと待って」って。祖母的には、文章がちゃんとしていればいいらしくて、直したら大丈夫だったのでよかったんですけど、「やめる」って言い出した時は、めちゃくちゃ焦りました。
同時に「話し言葉ってこんなに日本語崩壊しているんだな」と改めて思いました。どこまで話し言葉を残すのかの判断が難しくて、私は祖母が近くにいるから「これ直していい?」ってすぐに見せることができたんですけど、他の人はたぶん何回も見せられるわけじゃないから、大変だったんじゃないかなって思いました。
あと「ゲラ」っていうのが分かんない。母が編集者なので、赤の入れ方とか校正のやり方とかも教えてもらって。学校でもパソコンはほとんど触らないので、まずタイピングから始まりました。
――普段は携帯しか使わないですか?
そうですね。ですから、テープ起こしのタイピングは、すごく頑張りました。
――原稿をまとめ終わって、いかがですか。
「いろんな人の話を聞いてみたいな」と思いました。私がよく知っている祖母でさえも、知らないことがいっぱいあったので、仲のいい友達にも知らない所がたくさんあるのかな、と思いました。話を聞いたことで祖母のことを今までとは違う感じで思えるようになったし、なんだろうな、尊敬的なものが加わった気がします。
――自分のおばあちゃんとして触れ合っていた人が一人の人として見えてくるタイミングは、普段あまりないですよね。
そうなんですよね。「おばあちゃんじゃないこともあったんだ」ということに気付かされたというか、私は今の祖母しか見ていないので、一人の人だったんだなと思って。「祖母じゃない時代もあったんだな」っていうのを知って、それが見えていなかったことにびっくりしました。
――聞き取りをして、原稿をまとめる過程でどの部分が一番面白かったですか?
学校の国語の授業で「羅生門」をやった時に、一つの行為だけで、その人のことを嫌ってはいけないという話があったんです。
「羅生門」は下人が生きるために悪になるかならないか悩むなかで、結局悪になることを選ぶっていう話なんですけど。おばあさんが羅生門の上に捨ててある死人の髪を抜いていたのを見て、下人がすごい憎悪を持ったという心情の描写が出てきて。
芥川は「それは合理的ではない」的なことを言っていて、授業でも、その憎悪っていうのは、本当は「老婆に対する憎悪」じゃなくて、「老婆がしている行為に対する憎悪」であるはずなのに、下人はそれを「老婆に対する憎悪」に転化している、って解説されたんです。ちょっと意味が分からなかったんですよね。「何でその人自身に悪意を持つのがダメなのかな」って思ってたんですけど。今、聞き取りをしてみて思うのは、一瞬の行為だけでは判断できないっていうことだったんです。
実際に話を聞いてみて、その一人の人が抱えているものの大きさを感じました。「これだけのものを、一つの行動だけで判断するっていうことはできないんだな」って。授業と繋がっていくのが嬉しかったです。
――文字を起こして見直してみて「あっ」という感じでしょうか。
そうですね。人それぞれに物語というか深いものがあって、私が見たある一瞬だけで、その人のことを嫌いって言う権利なんてないんだなって思いました。行為とその人自身は引き離されてるっていうことが分かって、「羅生門、そういうことなんだな」と。
――かなり大きな意識の転換ですよね。
そうなんですよね。今コロナで、マスクをしてない人とかを見て「こいつ何だ」とか思ってたんですけど、「マスクをしない」っていう行為だけが私をイラっとさせるだけで、その人のことを「最低な奴だ」と思う権利はないんだなっていう風に思ったんです。
――他にも意識が変わったことはありましたか?
友達もおばあちゃんとかお母さんの、生まれてから今までの話を聞いてみたらいいのにな、と思うようになりました。やっぱり認識が変わるんですよね。今まで「母」とか役割でしか見ていなかったのが分かるから。「それまで生きてきたんだ」ということが分かると、人として近く感じてその人のことをもっと好きになるから、勧めたいなと思うようになりました。
私の通っている学校はキリスト教なので、隣人愛とかの話をよく聞くんです。そこで言われる「隣人を大切にする」っていう意味が分かったと言っていいのかな。キリスト教の超命題だから、分かったつもりかもしれないですけど。大切にするっていうことは、その人のことに一生懸命向き合うっていうことじゃないですか。今回、話を聞いて真剣に向き合ってみたらその人のことを好きになって、近くなったような感じがしたから、それを積み重ねていくといろんな人が大切になっていくじゃないですか。そういう人と人との繋がりが平和をつくっていくのかなっていうのは、なんとなく感じました。
聞き手/濱中祐美子(筑摩書房 宣伝課)
プロジェクトの舞台裏を全公開!特設サイトにて試し読みや、『東京の生活史』が出来るまでの日々を記録した「担当編集者制作日誌」がお読みいただけます。