岸政彦 編『東京の生活史』聞き手インタビュー vol.3 加藤雄太さん
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
加藤雄太さんが聞き手をつとめた内容見本はこちら(本文より冒頭部分抜粋)
※本インタビュー内で、本文原稿では明かされない語り手の属性についての言及があります。先入観なしにお読みになりたい方は、先に『東京の生活史』をお読みになることをおすすめします。
――加藤さんは『東京の生活史』に参加される前から、個人的なプロジェクトとして街中で通りすがりの方に声をかけて、インタビューを続けていらっしゃるんですよね。
18歳の時から、カメラを手にして町で出会った人に声をかけてお話を聞くということを続けています。18歳の時に大学に入って、周りの友達が急に髪を染めたりアルバイトやサークルを始めたり、年上の人と恋愛したり、みんな自分なりに大人になるプロセスを踏んでいるように見えたんですね。僕はその時焼き鳥屋でアルバイトをしていて、日々、焼き鳥を焼くことだけは着実にうまくなったんですが、「こういうのしたかったっけ」「何したいんかなー」という気持ちがずっとあったんです。
それを先輩に相談した時に、僕がずっと日記を書いていることと、いろんな人に話を聞くのが好きだということをお伝えしたら、「毎日知らん人に話しかけろ、で、話しかけた内容を文章で書け。そしたらお前の欲求2つ満たされるやろ」って言われたんです。難しいこと言うなーと思ったんですが、次の日その先輩と遊ぶ約束をしたら、先輩は現れなかったんですね。たぶん「その場所で知らん人に話を聞け、それを文章に書け」ってことだと受け取って、その時にその場で知らん人に話しかけたのが一番最初でした。
――最初の話しかけは成功しましたか?
怖かったのですが、「こんにちは」って声をかけたらいい感じに返してくれたので、「否定されへんかったぞ」って思えて、楽しかったんです。それはすごく大きかったですね。
――その1回で終わらずに続けているのは、すごいことですよね。
大人になるって何なのかとか、何が好きなことなのかとかが、とにかくわからなくて。話しかける怖さより「話聞いたら教えてもらえるやろ」「教えて」って欲が強かったんでしょうね。
――人生について聞くことで「大人になる」ことを摑みたいという気持ちがあったんですね。
ありました。なので最初は聞く内容も、人生の決断系に偏っていましたね。出会った人が結婚指輪をしていたら、「何で結婚しましたか」「何でその人やったんですか」とか「何で今の仕事にしましたか」とかそういうことばっかり聞いていました。
話を聞くことを続けていく中で、20歳くらいの時に「大人になってもずっと続けたいな」と思って、そういう仕事があるのか考えていたんです。新聞記者、本の編集者、アナウンサー、いろいろあると思うのですが、どれも違うなと思っていた時に、通っていた関西学院大学の図書館に『街の人生』と『断片的なものの社会学』が置いてあって、岸政彦さんを知ったんです。すごく衝撃でした。海外だと『Humans of New York』という、ニューヨーク市の路上でポートレートとインタビューを集めたプロジェクトがあって、本もベストセラーになってそれで生計を立てている人がいることは知っていたんですが、岸さんにたどり着いたことで「日本でこれ仕事にしてる人おったわ」と、自分のやっていることに自信が持てました。
その時ちょうどクラウドファンディングに挑戦して、プロジェクトの本を完成できたタイミングだったので、できた本を勝手に岸さんに送りつけたんです。そうしたらメールで「面白いことやってますね、継続してください」とお返事をいただけて。すごくうれしくて、そのメールを拡大プリントして自分の部屋のドアに貼っていました。僕は誰かにお金をもらってやっているわけでもなく、サボっても「お前昨日やってなかったやん」って言われることもないから、継続するモチベーションを保つのがすごく難しかったんですね。そんな時に岸さんの存在がすごく大きくて、そのメールの出力を毎日見ては「よーし外行くぞ」って思っていました。
――今回の『東京の生活史』の語り手はどうやって選ばれたのでしょうか。
語り手の直美さんは路上で生活されている方なのですが、マイクというストリートフォトグラファーの方が「お前にどうしても写真を撮ってほしい人がいる」と、直美さんを紹介してくださったんです。初めてお会いした時、すっごく明るくて前向きな方で、素敵な人やなって、一瞬ですごい好きになったんです。近くで働いているホストの人とかも直美さんにあいさつしていくんですけど、彼らから「これ差し入れ」っていただいたお酒とかを僕らにもくれたりして。その時にポートレートを撮らせてもらって直美さんに写真をお渡ししたら、すごく気に入ってくださったんです。その後に『東京の生活史』のお話があって、誰に聞きたいか考えた時に、一番に頭に浮かんだのが直美さんでした。
――聞き取りはどれくらいの時間をかけてされたんですか。
3ヶ月間、毎日通いました。自分が住んでいる町に直美さんはいらして、仕事終わりにその町にいる人に声をかけて写真を撮るのは日課なので、そこに直美さんにも挨拶するっていうのが付け加わった感じでした。聞き取りの場みたいな形で録音させてね、ってお願いしたのは2回あって、それ以外の時はあいさつ程度の時もあれば、録音はしなかったけど話し込んだ時もありました。
――原稿を一読した時に、語り手が加藤さんに対してすごく信頼している雰囲気があったので、親族の方とかなのかなと思っていました。時間をかけて関係性を築かれたんですね。
直美さんが自分の過去を話すのは録音するタイミングだけで、それ以外の時はお酒を飲んで、極力忘れようとしているんですよね。ご自身に関することは、たぶん意図して口にしない。テープを回し始めた時に僕も過去のことに触れるから、やっとその時に口を開いてくれて。元々メディアに対する毛嫌いがすごくある方で、インタビューがどこかに掲載されるということをあまり好んではいなかったんですが、名前も場所も変えているので「これやったら誰かわからへんな」という感じで掲載NGもありませんでした。自分の過去について文章になったことをすごく喜んでくださって、一回目に原稿を見せに行った時は泣いてらっしゃいました。
――直美さんはもう本をご覧になりましたか?
実は1月くらいに原稿を提出した後、直美さんが定位置からいなくなったんです。その前から、申請が通って家を借りられる、携帯も持てるようになるという話を聞いていて、あーよかったね、携帯持ったらLINE交換しようねって言っていたんですが。毎日定位置の前を通っているし、マイクさんや近くで働いている顔見知りの人に確認しても誰もわからなくて。3月くらいに一回だけお見かけした時に、ちょうどコロナもあって、かなりやつれていたんです。同じコミュニティにいた方がコロナで亡くなったりもしていたので、余計にいま、直美さんどないしてんねやろって心配です。
――ブログに掲載された過去のインタビューを拝見すると、かなり人生のディープな話をされている方もいらっしゃいますよね。普段はどれくらい話してこういった話題までたどり着くんでしょうか。
写真だけ撮る時は3分くらいで終わる時もありますし、お話を聞かせていただきたい時は15分とか、最長では8時間一緒にいたこともありました。僕もどうやったら出会った瞬間からなるべく最短で、その人の背景が見えるような話まで持っていけるかというのはずっと考え続けています。インタビューを始めたばかりの時は相手の警戒心を解くために「大学生の加藤です、本も作りました、ほんとに大丈夫です、悪用しません」みたいに話しかけて、会話を繫げることに不安があったので細かく質問事項を出して、ボードみたいのを持って一個一個聞いていた時期もありました。でも自分の中で違うなって思って、逆に今は何も持ってないですね。カメラだけ。
最近は自己紹介とか「何の仕事してらっしゃるんですか」とかの軽い質問もなしに「今もがいてることって何ですか」みたいな切り口を投げてみて、相手が答えてくれたことに対してだんだん聞いてみる、ということを繰り返しています。もちろんめちゃくちゃ怪しまれて去って行かれることもありますが、意外と知らない人間だからこそ、ぱっと話しかけた時に相手がすんなり口を開いてくれることもあると思っています。
――声をかけて、何割くらいの方からお話を聞くことができる感触がありますか?
5人中3人くらいという感じです。ただ、僕の中で嫌な部分でもあるんですが、今、8年くらい続けているので声をかける時に「この人話聞かせてくれそう」「写真撮らせてくれそう」と自分でフィルターをかけちゃっているんですよね。新宿とか人がいっぱいいる中でも、結局声をかける人を選定しているので相手が応えてくれる割合は上がるんですが、同時にどんな人に対してもウェルカムでいて、写真を撮らせてほしいな、話を聞きたいな、と思う自分の根本にある意識をそぎ落としちゃってるなというのは感じます。
――それを自覚しながら避けることは難しいですよね。
難しいです。だからこそどうやったらそのフィルターを外せるか、偶然であることって何なんやろと試行錯誤しています。その瞬間にログインしている人同士をランダムに繫ぐアプリを使ってみたり、instagramのストーリーで募集をした人にお話を聞かせてもらったり、できるだけ自分で選ぶことを避けたいというのは最近思っていますね。
――初対面の人に街中でぱっと声をかけて話を聞くことを続ける、そもそものモチベーションはどういうところにあるんでしょうか。
自分が玄関を出るまでは知らなかった人から話を聞かせてもらえて、人生のことを教えてもらえる、写真も撮らせてもらえる、そのすべてが僕にとってすごく嬉しいことなんです。中毒みたいに、フィルムを現像して写真に写っていた時には他では味わえないくらい幸福を感じていて。あとは何よりも、生きていれば必ず誰かとお会いしますが、どんな相手に対しても否定せずに話を聞いたり写真を撮ったりできる人になりたいという思いが強くあります。毎日外に出て、どんな人でもいいから話を聞かせてもらったり、あいさつだけでもさせてもらうことで、どんどん自分の器を拡げていきたいというのも、モチベーションになっています。自分を否定されたくないのと同時に、どんな人のことも否定したくないという気持ちがあるんです。
やめようと思ったことは今までに一回もなくて、毎日続けていれば誰かには断られるのでその瞬間は下がるんですけど、それ以上に受け入れてもらえた時や、話を聞かせてもらえた人から「話聞いてくれてありがとう」と言っていただけてお互いがさわやかに別れられた一日って嬉しいんですよね。その感覚が残ってるから、断られても今日は信じてちょっと外出てみようと思えています。
――今後も同じように活動を続けていく予定ですか?
年々、写真を頑張りたい気持ちは強くなっています。同時に、仕事終わりに路上で声をかけたり写真を撮ることは、お金とかじゃなく話の聞き方もうまくなりたいですし、まだまだ警戒されるので、どうやったら警戒が解けるんかなとか良くしていきたいという欲はありますね。
新宿で声をかけることを続ける中で、長くお店を続けているマスターの方とかにもお会いするのですが、「新宿って昔こういう場所やったんやな」とか「今はこういう人が集まるんやな」とかをお聞きできるのが面白くて。直美さんのお話を聞いた時も、ホストの人が余ったお弁当を直美さんに分けていたり、ホステスの人がお金を渡していたり、3ヶ月間毎日通う中で見えてくるものが確実にあったんです。打越正行さんが沖縄で参与観察をされているように、長く環境に入り込むことでいろいろなことが見えてくると、もっと撮るものや聞くことも変わるんやろなと思って、今は新宿に長くいて、話を聞き続けてみたいなと思っています。
聞き手/濱中祐美子(筑摩書房 宣伝課)
プロジェクトの舞台裏を全公開!特設サイトにて試し読みや、『東京の生活史』が出来るまでの日々を記録した「担当編集者制作日誌」がお読みいただけます。