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「鎌倉殿」を差配した“尼将軍”北条政子の魅力とは? 大河ドラマを見る前に!(芥川賞作家・三田誠広)

記事:作品社

三田誠広『尼将軍』(作品社)
三田誠広『尼将軍』(作品社)

とにかく「強い」女性、北条政子

 平安末期から鎌倉にかけての時代に興味をもっていて、これまでも西行、平清盛、源頼朝、親鸞、日蓮といった人物を描いてきたのだが、どうしても書きたいテーマとして以前から考えてきたのが尼将軍政子だった。

 日本の歴史の中で、古代の何人かの女帝を除いて、女性が最高権力者になった例は、政子の他にはいない。なぜそんなことが可能だったのかを考えているうちに、ごく自然に政子という人物のイメージが頭の中にうかんできた。

 ぼくは小説家だから、資料をただ並べるだけではなく、人物像については自分の想像力で色をつけていくのだが、すべてが創作かというとそうではなく、ある程度の資料を読み込んでいるうちに、その時代の歴史の流れが見えてきて、必然的にある人物像が浮かび上がることがある。

装画に使われた菊池容斎『前賢故実』のなかの政子
装画に使われた菊池容斎『前賢故実』のなかの政子

 たとえばこの作品では、ヒロインが馬に乗って父の館に駆け込んできて、そこで剣術の練習をしている弟(北条義時)を、木刀で打ちのめすシーンから話が始まる。これは当時の東国では土地をめぐる争いが多発し、女も武器をもって闘っていたという歴史的な事実から浮かんできたイメージだ。

 そこから導き出される結論は、政子は夫の頼朝よりも、馬術が巧みで剣術も強かったらしい。そうすると東国育ちの強い女と、京育ちの文弱な男というカップルの姿が見えてくる。この冒頭の剣術のシーンから、最後の場面となる三浦義村との対決シーンまで、政子はつねに剣を手にして闘い続ける。

 何と闘うのかといえば、まずは目の前にいる平家の郎党の伊豆目代であり、京を支配している平家であり、鎌倉を揺るがす御家人たちであり、自分の意のままにならない二人の息子であり、最後には朝廷を相手に戦さを起こすことになる。そして生涯をとおしてすべての闘いに勝ってしまう。

 本当に強い女性だなと、作品を書きながら何度も思った。もちろんぼくは小説を書いているので、史実をそのままに描いているのではない。小説家は、自分の目で見てきたように作品を書くものだが、ぼくはいまでも、政子はこういう女性だったはずだと信じている。

小説家として挑む歴史の「謎解き」

 この時代の資料としては、『吾妻鏡』、慈円の『愚管抄』などがあるだけだが、調べてもわからないことがいくつかある。たとえば政子の本当の呼び名がわからない(鎌倉では尼御台と呼ばれていた)。北条義時の嫡男で三代執権となった泰時の母親が誰かわからない。実朝暗殺の真相もわからない。こうした謎の部分についても、小説家は自分の目で見たように本当らしく書くしかない。

 しかし書いているぼくとしては、虚構を捏造しているという意識はまったくない。書いているうちに自然と筆が進んで、これしかないという真実を掴んだ気がする。それが小説を書く喜びでもあるのだが、ぼくはこの作品を書きながら、いくつもの謎を解いた気がしている。その謎解きの楽しさを読者と共有できれば幸いだ。

 改めてこの時代のことを考えてみると、すごい時代だったと思わずにはいられない。頼朝は何度も京に出向いて後白河院に頭を下げ、将軍職を切望したのに、後白河院が亡くなるまで将軍職に就くことができなかった。武力では日本国を支配していても、後白河院の方が上位にあったのだ。

 しかし政子が御家人たちをアジテートして起こした承久の乱では、帝は廃帝となり、三人の上皇が流刑とされた。これほどの歴史的な逆転劇もめったに起こるものではない。ぼくは読者とともに、その現場に立ち合うことになる。小説というものはおもしろいなと、いまは自画自賛している。

政子の弟・義時についての「解説」も

 これは偶然なのだが、この小説を作品社から出すことが決まった時、まったく同時期に『小説集 北条義時』というアンソロジーが出ることがわかり、その本の解説を頼まれた。海音寺潮五郎、高橋直樹、岡本綺堂、近松秋江、永井路子といった先輩作家(高橋さんはぼくより若い人のようだが)の作品を読ませていただいて、この時代の楽しさを再確認した。できればその本のぼくの解説も読んでいただければと思う。

『尼将軍』と『小説集 北条義時』(作品社、左)
『尼将軍』と『小説集 北条義時』(作品社、左)

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