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日本初のJ・M・クッツェー論、あるいは彼自身の「写真」 くぼたのぞみさん(翻訳家・詩人)

記事:白水社

ノーベル文学賞作家の実像に迫る! くぼたのぞみ著『J・M・クッツェーと真実』(白水社刊)は、作品の奥深くに埋め込まれた「真実」を解き明かす。【巻末に年譜・全著作リストを収録】
ノーベル文学賞作家の実像に迫る! くぼたのぞみ著『J・M・クッツェーと真実』(白水社刊)は、作品の奥深くに埋め込まれた「真実」を解き明かす。【巻末に年譜・全著作リストを収録】

ジョン・マクスウェル・クッツェー[John Maxwell Coetzee] 撮影:くぼたのぞみ
ジョン・マクスウェル・クッツェー[John Maxwell Coetzee] 撮影:くぼたのぞみ

ふぞろいの本たち

 ジョン・マクスウェル・クッツェーは1940年2月9日、オランダ系植民者の末裔としてアフリカ大陸の南端に生まれ、少数の白人が有色人種を「合法的」に支配、搾取するアパルトヘイト体制下の南アフリカで、白人として生きた作家だ。「生きた」というのは、彼にとって、なぜ自分はいまここにこうしているのかと問いつづけながら作品を書くことだった。自分はアパルトヘイト体制から最大の恩恵を受ける世代として育ったとクッツェーは気づき、さまざまな意匠を凝らした作品によって、植民地主義を発展させた西欧の近代思想を根底から問いなおしていった。その過程でみずからの存在を徹底検証し、変革しようとした。そのプロセスは自伝的3部作の最終巻『サマータイム』で、登場人物の口を借りて詳しく述べられている。自省や自己検証という批判の方法が彼自身を形成したヨーロッパ的な思想に基づいたものと認識しているのは、「わたしの知的献身は明らかにヨーロッパ的」と明言したノーベル文学賞受賞直後のインタビュー(「ダーゲンズ・ニューヘーテル紙」)からもわかる。このインタビューは『鉄の時代』について書いた項で引用した。

 クッツェー作品と出会ったころは、もちろん、そこまで理解できていたわけではない。何冊か翻訳する過程で見えてきたのだ。南アフリカ出身の他の作家の作品を訳すことが、この土地を舞台にしたクッツェー作品の歴史的なコンテクストを知るための助けになった。南アフリカで黒人の父と白人の母を持って「生まれること自体が違法」だったベッシー・ヘッドの短篇集『優しさと力の物語』、あるいは、南部アフリカ先住民とヨーロッパ人の混血を始祖とするグリクワ民族出身のゾーイ・ウィカムの力作長篇『デイヴィッドの物語』などを翻訳したおかげで、視界はとてもクリアになった。

 

くぼたのぞみ[Nozomi Kubota]
くぼたのぞみ[Nozomi Kubota]

 

 2002年に南アフリカからオーストラリアへ住まいを移したクッツェーは、翌年ノーベル文学賞を受賞した。授賞理由は「数々の装いを凝らし、アウトサイダーが巻きこまれていくところを意表を突くかたちで描いた」ことで、その「小説はよく練られた構成、含みのある対話と鮮やかな分析を特徴とする。だが同時に、彼は厳正実直な猜疑心の持ち主で、西欧文明のもつ残酷な合理主義と見せかけのモラリティを容赦なく批判した」(ノーベル財団のホームページ)というものだった。

 ノーベル文学賞授賞理由にあった「西欧文明の残虐な合理性と見せかけのモラリティへの容赦ない批判」の思想は、ここ数十年のあいだにじわじわと世界に浸透してきたものだ。植民地主義的拡大によって築かれた「世界の歴史」を、時代をさかのぼって検証する作業が世界中で進められている。2015年3月にケープタウン大学で起きた「ローズ・マスト・フォール」という、教育の「脱植民地化」を求める運動もその1つだろう。

 クッツェーの母校であり長年の職場でもあったケープタウン大学が設置されたのは、南部アフリカを植民地化することに「大いなる貢献をした」イギリス人鉱山王セシル・ローズの別荘が建っていた場所だ。だから大学構内には、書斎の椅子に腰かけて、右手にあごをのせて遠くを見やり、アフリカ大陸南端からエジプトのカイロまで鉄道を敷設することを夢想するローズ像があった。それを学生たちが「フォール(撤去)」と主張したのだ。学内で徹底的な討論が行なわれて、ローズ像は構内から撤去され、別の場所に移された。

 数年前に米国で始まり、イギリス、フランス、ベルギー、オランダなど世界各地に広まった#BlackLivesMatter(ブラック・ライヴズ・マター)運動の歴史的文脈も「ローズ・マスト・フォール」などとの関連で注意深く読み解き、広く共有される時期に来ている。なぜなら、こういった運動の根っこには、大航海時代に始まるヨーロッパ列強が三角貿易と奴隷制に基づくプランテーションなどの植民地経営によって吸いあげ、蓄積し、何世紀もかけて継承してきたグローバルな富と、生命の問題が横たわっているからだ。

 初めてクッツェーを訳した80年代末は「名誉白人扱いを名誉と思う日本人」が活躍する、、、、バブル末期で、本を売るために「アフリカ」を前面に出さないでほしいとさえいわれたものだ。あれから30数年がすぎたいま、世界では近代日本が意識的に、あるいは無意識に追いかけてきた「白人/マジョリティ/権威」の価値観は昔日のものになりつつある。

 

【ノーベル文学賞でのスピーチ:2003 Literature Laureate J. M. Coetzee remembers his parents】 

 

 

 つい最近知られるようになったのは、カレッジ時代のジョン・クッツェーが写真家になろうと考えていたことで、自宅に暗室まで作っていたという。クッツェーは知る人ぞ知る写真狂で映画狂である。幼いころから映画に親しみ、20代初めに暮らしたロンドンでは週末になると映画館に通ったエピソードが『青年時代』に出てくる。ヌーヴェルヴァーグの映画に影響を受けてモンタージュ手法を駆使した第2作『その国の奥で』や、写真家が主人公の『遅い男』だけでなく、作家自身が「写真と映画の痕跡はぼくのすべての作品に見られる」(『少年時代の写真』)と語るように、どの作品にも写真や映像が必ずといっていいほど使われているのだ。

 

『J・M・クッツェー 少年時代の写真』(ハーマン・ウィッテンバーグ編、くぼたのぞみ訳、白水社刊)。 アパルトヘイトが強化されていく1950年代──クッツェー自身がケープタウンのカレッジ時代(12歳~16歳頃)に撮影した貴重な写真131点とその分析、クッツェーのインタビューを収録。【10代の蔵書も初公開!】
『J・M・クッツェー 少年時代の写真』(ハーマン・ウィッテンバーグ編、くぼたのぞみ訳、白水社刊)。 アパルトヘイトが強化されていく1950年代──クッツェー自身がケープタウンのカレッジ時代(12歳~16歳頃)に撮影した貴重な写真131点とその分析、クッツェーのインタビューを収録。【10代の蔵書も初公開!】

 

 そんなクッツェーの出世作『蛮族を待ちながら』(日本語訳は『夷狄を待ちながら』)が作家自身のシナリオによって、ジョニー・デップとマーク・ライランスの共演でついに映画化された。帝国と植民地の関係をめぐるこの物語について、クッツェーが、プレミアム上映されたメキシコシティの大学で、「野蛮」なのはむしろ都会人ではないかと問いかけたのは、2019年10月のことだった。

 

【映画『ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏』公式トレーラー:Waiting For The Barbarians - Trailer starring Mark Rylance, Johnny Depp, and Robert Pattinson】

 

 映画や写真のほかにもクッツェーには「狂」のつく趣味というか、健康法がある。自転車だ。8歳のときに新品の自転車を手に入れた興奮は『少年時代』に出てくるが、成人してからも、環境に負荷をかけない自転車をこよなく愛し、世界各地を自転車で旅している。ケープタウンのレースで1991年と94年に自己最高記録を出しているが、これはアパルトヘイト根幹法の撤廃が宣言された91年と、全人種参加の選挙が実施されてネルソン・マンデラが大統領になった94年と重なる。当時のクッツェーの高揚感を彷彿とさせるエピソードではないか。

 

くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』P.92─93より
くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』P.92─93より

 

 『マイケル・K』で最初のブッカー賞を受賞したときケープタウンに住んでいたクッツェーは、大学の試験中だからという理由で授賞式を欠席した。『恥辱』で2度目に受賞したときも欠席した。なんだか変わった人だなと思った。しかしいま考えると、60年代にイギリスとアメリカに滞在し、70年代から90年代にかけて激動の南アフリカで暮らしたクッツェーは、世界のなかで自分がどのような位置にあるかを厳しく認識せざるをえなかったに違いない。20代前半にイギリスで暮らし、その後に渡ったアメリカではヴィザが延長されなくなった体験からか、政治集団に対してはシンパシーは表明しても一定の距離を保つ姿勢を崩さなかった。それは、解放運動がピークを迎えた南アフリカ社会で、人間関係をめぐって大きな衝突や誤解の嵐を引き起こしたことは想像に難くない。不器用なほどの頑固さである。

 インタビュー嫌いの作家として知られていたが、じつは、2000年にオランダのテレビ局が制作した長時間ドキュメンタリー「美と慰め」に出演している。またこの年、カナダのCBCラジオのキャスター、エレノア・ワクテルから大学の研究室でロングインタビューを受けている。このとき、絶海の孤島に送られるとしたらどんな本を持っていくか、と問われて、「『イーリアス』と『ドン・キホーテ』かな」と答えたことは注目に値する。またドストエフスキー好きも有名だ。(義理の)息子の死を悼む1994年の『ペテルブルグの文豪』の主人公をドストエフスキーとしたため、当時流行りのポストモダンの作風として注目された。

 

くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』P.98─99より
くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』P.98─99より

くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』P.124─125より
くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』P.124─125より

 

 クッツェーが初めて日本に紹介された1980年代末の出版界は、ざっくりいうと、ポストモダンの潮流が勢いよく流れこんだ時代だった。クッツェー自身もその世界的潮流を意識して作品を発表していた。典型例がダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を想起させる1986年の『敵、あるいはフォー』だ。そこにはメトロポリスの出版界から認められたいという強い野心がうかがえる。このことは2018年5月に、『モラルの話』の出版記念イベントで、マドリッド、ビルバオ、グラナダをまわった作家自身が半世紀近い自分の経歴をふりかえって明言している。ちなみにこの『モラルの話』は、講演集を小説仕立てにした『エリザベス・コステロ』の主人公であるフェミニスト作家を中心にした短篇集で、七つの物語を繫ぐのは生命としての動物と人間の関係だ。デビュー作『ダスクランズ』を刊行すると同時にヴェジタリアンになったクッツェーにとって、この問題は90年代以降の最大のテーマといえるだろう。

 

くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』(白水社)P.240─241より
くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』(白水社)P.240─241より

 

 作品への世界的な評価をふりかえってみよう。80年代半ば、『マイケル・K』でブッカー賞を受賞し、2年後にそのフランス語訳でフェミナ賞を受賞したクッツェーは、キングペンギンが大々的に売りだした作家の1人だった。アカデミズムではラカンやフーコーなど心理学、哲学との関連から分析、批評され、ポストモダン的な作品構成、ポストコロニアル的な視点から論じられた。60年代の構造主義言語学の申し子を自認するクッツェーは、ロラン・バルトやジャック・デリダの影響を受けたとみずから語っている。だが、「クッツェー・ペーパー」と呼ばれる草稿、書類、手紙類をテキサス州にあるハリー・ランサムセンターに委譲して、作品が書かれたプロセスを作家みずからが明かしたあとは、自伝、フィクション、真実、といったキーワードで論じられることが多い。「世界文学」や「翻訳」の文脈でもクッツェーの名は必ず出てくる。これは英語圏に限らない。

 南アフリカ国内での評価はもちろん絶大だが、オーストラリアへ移り住んだころは『恥辱』が人種差別的だと批判する人がいた。しかし2020年2月に東ケープ州マカンダ(旧グレアムズタウン)で、作家80歳の誕生祝いを兼ねて、文学記念館の開館を祝う催しが開かれたときのリポートが、いまでは人種を超えて若い作家たちがJ・M・クッツェーを読み、その影響を受けながら活躍していることを伝えている。そこには有色人種を主人公とした唯一の作品『マイケル・K』、南アフリカの文脈で(「世界文学」に抗して)再度読みなおして議論する若い作家たちの姿があった。クッツェーの仕事全体が故国で正当に評価される時代を迎えたのだ。

 

J・M・クッツェー80歳記念祝典動画:John M Coetzee 80th Birthday Celebration】

 

 日本へは2006年の初来日以来三度訪れていて、小説作品はほぼすべて邦訳がある。広く世界中の国々に足を延ばしてきたクッツェーの作品は数多くの言語に翻訳され、その航跡として、英語圏のみならず各地に「トランス・ローカル」な文学共同体が形成されている。アフリカーンス語やオランダ語から翻訳もするクッツェーは、ラテン語、ドイツ語は得意だと自分でも語っているが、ギリシア語、ロシア語、スペイン語、イタリア語もこなす恐るべきポリグロット(多言語使用者)だ。

 言語と出版の関係を見据えた活動がまた驚くほどラディカルなのだ。自分の第一言語である英語が他の少数言語を押しつぶすやり方を批判して、自作をまずオランダ語やスペイン語の翻訳で出すようになった。話題になるとつい訳者も、最初に出たスペイン語訳を注文する(読めないのに)。装幀が美しいとオランダ語訳やドイツ語訳まで買ってしまう(読めないのに)。もちろん翻訳の参照にフランス語訳は必ず買う。というわけで、書棚のふぞろい本は凸凹と増えつづける。

 

【くぼたのぞみ著『J・M・クッツェーと真実』(白水社)所収「プロローグ──ふぞろいの本たち」より】

 

くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』(白水社)目次より
くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』(白水社)目次より

 

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